エミネム『The Slim Shady LP』:未熟な頃の作品の中で見せていた特異性
1999年2月23日に発売された『The Slim Shady LP』は、エミネムにとってメジャーレーベルからのデビュー・アルバムにして、後に世界で最も危険なMCとなる男が発泡した威嚇射撃となった。後にリリースされた作品と比較すると『The Slim Shady LP』は控え目で希薄さありつつも、ポップ・カルチャーへのテロリストであるエミネムの驚くほど短かった無名時代の貴重なサウンドを捉え、今作の発売直後にMTVが彼に注目を注いだ。
そのサウンドに抵抗感を感じた者もいたが、同時に興奮した者たちは、エミネムが自らを“モラルに欠けた無責任ないたずら者”と表現したことに好感を抱き、その信憑性に惹かれた。彼は『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターをバッグス・バニーらが登場する「ルーニー・テューンズ」的パロディに仕立て、1.2リットルもの酒を一気飲みし、そのボトルで殴打してくる。時には陽気とも思えるその脅威は、その後数え切れないほど真似されてきたが、エミネムほど効果的にできる者はいないだろう。
マイ・ネーム・イズ...
彼を戦略的だと一言で片付けることはできない。アルバムの大ヒット・シングル「My Name Is」のタイトルは、ネームタグから付けられた。フックにここまで一貫性があると、普通はメロディー性が失われ、リリックも公然では歌えないものになったりするものだが、エミネムはそれを超える作品を作り上げた。
アルバムは容赦なく攻撃的で、エミネムがその変化に富んだキャラクターを演じている。しかしそれは今も変わらず非常に魅力的だ。エミネムほど熱心で、大きな結果をもたらしたラッパーは数少ない。人々に受け入れられるまで時間はかかったものの、アルバム『The Slim Shady LP』は発売から1年後、グラミー賞で最優秀ラップ・アルバムを受賞することになる。
その賞は1996年に新しくできたばかりで、それまでにノーティ・バイ・ネイチャー、フージーズ、ディディが受賞しており、1999年にはジェイ・Zも受賞していた。かなり控えめに言っても、エミネムの出現は業界に巨大なインパクトをもたらした。
「’97 Bonnie & Clyde」では、ビル・ウィザーズとグローヴァー・ワシントン・ジュニアによる愛情たっぷりのデュエットを歪ませて、妻を殺して車のトランクに入れた後に、その車で娘と海に出かけることを歌った曲だ。「Bad Meets Evil」はまるで古い西部劇のようで、「My Fault」では女の子たちがレイブ・パーティーでドラッグを過剰摂取し、「Ken Keniff」ではコネチカット出身の男性が気味の悪いいたずら電話をかける。どれもラップをするには突飛なテーマばかりた。それは自分を卑下している訳でもなく、過剰な情報提供でもなく、センセーショナルでもなく、ただただ社会の常識を超えていたのだ。
リリースから20年が経った今振り返ってみると、『The Slim Shady LP』は恐らくエミネムの作品の中で最もユニークなアルバムだと言えるだろう。ポップ・カルチャーへの激しい風刺から最終的にはジャ・ルールやボーイズ・バンドへと標的を変えていく一方で、1999年のエミネムは昼間のテレビ番組から影響を受けていたことは明らかだ。実際にあった犯罪を紹介する番組、昼メロ、学校のいじめ、最低賃金での暮らしなどをテーマにしている。新たなミレニアムを迎える間近で、エミネムは一気にスーパースターの地位を手に入れ、現代世界とそこに漂う価値観を受け入れることができなくなってしまった。
世界征服まであと数ヶ月
エミネムが『The Slim Shady LP』でやっていたことと、彼の後の作品で目指していた内省的な視点には共通点があまりない。それはきっとドクター・ドレー、マークとジェフ・ベース、そしてエミネム自らが率いるプロダクション・チームのお陰だろう。
ドラムの効果でアルバムはブーンバップ作品のように仕上がっており、後にエミネム・サウンドのピークを定義することになる邪悪なまでに激しいシンセを考えると、特にそう感じられる。しかし『The Slim Shady LP』のサウンドは驚くほど効果的であり、歴史上最もユニークな(もしくは素晴らしい)作品を提供している。
「If I Had」は常にアルバムの中で異色の曲として存在してきた。確かに、『The Slim Shady LP』のアルバムから取り除けば、それはエミネムのキャリアの中で最も衝撃的な瞬間と言える。この曲では彼の怒りと強情な傾向は、多かれ少なかれ、その諦めた不安を前に姿を潜めている。エミネムが見せかけの現実をほぼぶち壊そうとする非常にレアな楽曲の一つであり、アルバムの真面目さとはかけ離れた側面を私たちに見せてくれる。
エミネムは薬や酒についてラップすることを決してやめないが、ハウスパーティーやホームセンターでの仕事について歌った曲は、リリックに封じ込められたものがまた違った雰囲気を作り出す。キャリア初期の頃に、タイレノールPM(鎮痛剤)がリリックに含まれていたのは特に不気味な感じがする(エミネムは一度鎮痛剤の乱用で命を落としかけている)。
マーシャル・マザーズ(エミネムの本名)がこの作品の発売前に抱えていた、シフト制の昼の仕事の心配、電話料金が払えない経済状況、100万ドルという大金が欲しいといった欲望はこの後には2度と感じる必要はなくなるのだった。
エミネムはラップ史上において、最もパワフルな3作品を連続で作り出したアーティストの一人と言えるだろう。そして『The Slim Shady LP』はその3作の最初を飾るアルバムとなった。翌年に発売された『The Marshall Mathers LP』、さらにそれに続く『The Eminem Show』でのエミネムはより威勢が良く、自信に満ち溢れている。次第に怒りも積み重ね、シリアスさも増していった。しかし、初期の未熟な頃の作品の中で見せていた特異性は、世界を制覇する寸前のエミネムを理解するには必要不可欠なのである。
Written By Patrick Bieru
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エミネム『Music To Be Murdered By』
2020年1月17日発売
日本盤CD / iTunes / Apple Music / Spotify