アンサー・ソングの歴史:ポップスの時代から続く人気曲への返答
ヒップホップの世界では「アンサーを返す」として、ある楽曲に対して別のラッパーが抗議や反対意見を楽曲として表明することは珍しくない。しかしそれより昔、ポップスの時代にも「アンサー・ソング」は存在していた。
ヒップホップと違うのは、先行するヒット曲に対して、その歌詞の世界感をネタ元としたり、メロディーはそのままで歌詞だけを変えたりと、元の曲に対して反対するだけではないもっと幅広い意味とされている。そんな歴史を紹介しよう。
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人気が出ている曲に返事を返す
1956年、コースターズは「Yakety Yak」で「Don’t talk back / 口答えはやめな」と歌った。これはロックンロールに夢中の息子に対して、母親が「そんなん聞いてないで、手伝いしな!」とガミガミおこる楽曲だった。
このヒット曲に対して、その歌詞やメロディをまねて反応したのがジーノ・パークスの「Blibberin’ Blabberin’ Blues」だった。ジーノに対して「なぜそんなものを作ったんだ!」とがめることはできない。彼はデトロイトの音楽界をうろうろしていたR&Bシンガーで、ほんの少しばかりの成功を求めて悪戦苦闘していた。そんな状況にある人間なら、誰だって同じことをしたに違いない。すなわち、既に人気が出ている曲に返事を返すという、アンサー・ソングを作るという行為である。
アンサー・ソングはチャートでの成功に通じる近道のように思える。しかしながらこのジーノの作品の場合、彼の思惑通りにはいかなかった。ジーノの所属していたレコード・レーベル、タムラは別のレコードをめぐって裁判沙汰に巻き込まれていた。シュレルズの「Will You Still Love Me Tomorrow」から“インスピレーション”を得て出した別の曲が問題になっていたのだ。そうした事情から、タムラ・レーベルはジーノの曲に対して逃げ腰になり、彼のレコードを然るべきかたちでリリースしなかったのである。
言うまでもないことだが、この成功への近道にこっそりと入り込んだのはジーノだけではなかった。アンサー・ソングは20世紀初頭から登場し、返事が必要とされていないのに返事を返すという、なんともうっとうしい存在になっていた。
実際、アンサー・ソングは、質問されてもいない質問に対するしっぺ返しとなっていることが多い。1908年、歌手のビリー・マレーは「I’m Afraid To Come Home In The Dark」という曲の中で「暗い中、家に帰るのが怖い」と叫んだ。しかし彼はそうした不安を乗り越えたようで、この曲を発表した1年後には「I Used to Be Afraid To Come Home In The Dark」(以前は、暗い中、家に帰るのが怖かった)という作品を自身でレコーディングしている。こうして賽は投げられた。誰かがヒットを出すと、他の切れ者が何か口実を見つけてはヒット作品に対するアンサー・ソングを出すようになったのである。
様々な分野のアンサー・ソング
アンサー・ソングは、音楽のあらゆる分野で見つけることができる。ロクサーヌ・シャンテの「Roxanne’s Revenge」のように攻撃的なものもあれば、プリンス・ジャズボのシングルにアンサーを返したビッグ・ユースの「African Daughter」のような不公平感に突き動かされているものもある。さらにはボ・ディドリーの「I’m A Man」に対する返歌に当たるマディ・ウォーターズの「Mannish Boy」のようにウィットを通して軽蔑感を表しているものもある。
しかしなかがら悲しいことに、そうした楽曲の多くは単なる金目当ての的外れな試みでしかない。とはいうものの、中にはオリジナルを超えたアンサー・ソングもあった。それは、当事者にとっては本当に苛立たしいことに違いない。何しろ本家よりも二番煎じの方が時流に乗るコツをつかんでいたということになるのだから。
ダミタ・ジョーのアンサー・ソング
ダミタ・ジョーはそんな結果を残した者の一人で、ベン・E・キングにとって彼はイライラの種だったに違いない。1960年、ザ・ドリフターズのリード・シンガーだったキングは、「Save The Last Dance For Me」(ラストダンスは私に)という大ヒット・ナンバーを生み出した。これに対してダミタ・ジョーは「I’ll Save The Last Dance For You」(ラスト・ダンスはあなたに)というアンサー・ソングを発表した。
翌年、ベン・E・キングがソロ活動に乗り出し、超特大のヒット曲「Stand By Me」(僕のそばにいて)を放つと、ダミタ・ジョーはこそこそと「I’ll Be There」(私はそこにいるよ)をリリースしている。それこそがキングが心配していたことだったのだろう!これらのアンサー・ソング2曲は、ダミタ・ジョーのレコードの中でも際立った成功を収めたヒット曲になった。
ミラクルズの例
意外なことに、今となってはアンサー・ソングといったものとは無縁と思える大物アーティストが、かつてアンサー・ソングを作っていたという事例がある。ミラクルズもその一つで、このグループの場合、デトロイトのR&Bキッズとして悪戦苦闘していた時代にシルエッツのヒット曲「Get A Job」に対するアンサー・ソングをリリースすることでヒットをかすめとっている。
ミラクルズのそのアンサー・ソング「Got A Job」はまあまあ上出来のレコードだったが、この曲はスモーキー・ロビンソンがまったくオリジナリティを発揮していないという、めずらしい例でもある。
自分自身へのアンサー・ソング
ときには、さまざまな事情が重なった挙句にアンサー・ソングが作られ、理解しがたい結果につながることもある。ハーレム出身の女性ヴォーカル・グループ、ボベッツは、自分たちの教師であるリー先生への不平不満を並べた曲「Mr. Lee」を作った。
しかしアトランティックでレコード化された段階で、この曲はロマンティックなバラードに変身し、1957年に大ヒットを記録したのである。もっともボベッツは、これに続くヒット・レコードを生み出すことができず、以降しばらくのあいだヒット・チャートから遠ざかった。
そしておよそ3年後にそもそものアイディアに立ち戻り、ミスター・リーを銃で撃つという内容の「I Shot Mr. Lee」をレコーディングしたのだった。これは突飛な展開だったが、もしかすると恋人を消し去りたいという気持ちに共感する人がそれなりに多かったのかもしれない。なにしろ、この曲はボベッツにとって2曲目のヒットとなったのだから。
“ロクサーヌ”を巡る多くの楽曲
アンサー・ソングで成功を収めようとする場合、制作に手間取ることのないかたちでレコーディングされるというパターンが多い。そうした作品に、「ロクサーヌ」を巡る楽曲の数々がある。
ヒップホップ・グループのUTFO&フル・フォースが1984年にレコーディングした「Roxanne, Roxanne」という楽曲がある。ロクサーヌという名前の女性をものにしようと何人かの男たちが彼女を追いかけるが、まるでうまくいかない、そんな愉快なストーリーを伝える「Roxanne, Roxanne」は大ヒットを記録している。その後、アンサー・ソングが続々と生まれ続けた。
まずロクサーヌ・シャンティと名乗る14歳のラッパーが「Roxanne’s Revenge」というトラックをレコーディングし、以降、「私があの曲で登場するロクサーヌ」だという女の子たちのレコードが洪水のように溢れていく。その中には「リアル・ロクサーヌ」というアーティストもいた。(実のところ、彼女は本物の「リアル・ロクサーヌ」とは言えなかった。なぜなら「リアル・ロクサーヌ」という名義でリリースされた最初のレコードでは実際には別の女性が歌っていたからである)。
原曲に登場する架空のロクサーヌをこき下ろす男性アーティストも数多く存在した。そしてやがては、「ロクサーヌの話をするのはもう止めよう」というレコードまでリリースされるようになったのだった。
ちなみにロクサーヌ・シャンティについての伝記映画が、2017年にNETFLIXで公開されている。
12年の時を超えたアンサー
その一方で、答えが出されるまれるまでに何年もの歳月を要したというアンサー・ソングもある。ジェネレーションXが1977年に発表したデビュー曲「Your Generation」はその一つで、このレコードは、彼ら以前の世代のミュージシャンたち、特にザ・フーを狙い撃ちにした作品だった。
ここでバンドはザ・フーのシングル「Substitute」を攻撃すると同時に、そのザ・フーの1965年のシングル「My Generation」のタイトルを引用したのだった。皮肉なことに、ジェネレーションXというグループ名は1965年に出版された同名のノンフィクション作品から拝借したものだったが、同著で主役となっていたのは初期のザ・フーと深い関りのある若者集団「モッズ」だった。
エイミー・ワインハウスの例
オリジナルのレコードがリリースされてからアンサー・ソングが作られるまでの期間に注目すると、ビリー・ポールの「Me And Mrs. Jones」とエイミー・ワインハウスの「Me And Mr. Jones」の例があり、この2曲の場合、かなり長い年月が経過している。
エイミーの「Me And Mr. Jones」は、ストレートなアンサー・ソングというよりは、オリジナルに刺激されて作られた作品というべきものである。実のところ曲名に登場する「ミスター・ジョーンズ」はラッパーのナズ(本名:ナシール・ジョーンズ)を指していた。
エイミーはこの曲を2006年に出したが、これと同じ題名の曲はバーバラ・メイソンがずいぶん前に発表済みだった。バーバラは、ビリー・ポールがオリジナルの曲を1972年に発表した直後に、直接的なアンサー・ソングをさっさと作っていたのである。
アンサー・ソングはオリジナルに対して失礼な内容になっている場合もあるが、必ずしもそうなるとは限らない。その例としては、ボビー・ジェントリーの「Ode To Billie Joe」のパロディであるボブ・ディランの「Clothes Lines Saga」が挙げられる。
他方、アンサー・ソングがただ単にオリジナルのストーリーの続編になっている場合もある。たとえばロジャー・ホワイトの「The Mystery Of Tallahatchie Bridge」や、アン・ルシアーの「Take Him Back (Taxi)」のような曲だ。後者の「Take Him Back (Taxi)」は、J・ブラックフットのディープ・ソウル・バラード「Taxi」を別の側面から物語った作品と捉えることもできる。
アンサー・ソングは、ほかの誰かのアイデアに頼った二番煎じかもしれない。しかしながら原曲を歌ったアーティストにもそれなりのメリットがある。もしアンサー・ソングが自分の曲の替え歌である場合、曲の作者としてクレジットされる可能性がある。つまり、著作権者としての印税が懐に入ってくるのである。そして少なくとも、自分たちが確かに成功を収めたという確認にもなる ―― つまり、不発に終わり、誰も聴いたこともないような楽曲に対して、わざわざアンサー・ソングを作る者などいるはずもないというわけだ。
Written By Ian McCann
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