バディ・ホリーが亡くなった日:“音楽が死んだ日”と呼ばれた飛行機事故の悲劇
ドン・マクリーンのヒット曲「American Pie」の歌詞で歌われている通り、それは極寒の2月だった。1959年2月3日はドン・マクリーンのみならずアメリカをはじめ世界中の何百万もの人々にとって衝撃以外の何物でもない一日になった。バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、そしてザ・ビッグ・ボッパーことJ.P.リチャードソンが忌まわしい飛行機事故で亡くなったのだ。
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彼らは全員、”Winter Dance Party”と銘打たれた、いかにもその季節にふさわしいタイトルのイベントに出演し、ディオン・アンド・ザ・ベルモンツ、そして無名ながら有望株と目されていたフランキー・サードらとともに出演していた。ショー自体は満足のいく内容だったものの、コンディションは最悪と呼ぶ以外にないほど酷いものだった。バンドの移動に使われたバスはとても寒く、バディ・ホリーのグループのドラマーは凍傷にかかりツアー途中で降板を余儀なくされた。
2月1日にウィスコンシン州グリーン・レイクでショーを行った彼らは、その翌日アイオワ州のクリア・レイクへ向かった。陸路350マイルの行程は進みが遅く、プロモーションのためにメーソン・シティのレコード店に立ち寄ることもできず、クリア・レイクのサーフ・ボールルームに到着したのは午後6時だった。近隣のレストランで夕食を済ませると、バディ・ホリーはサーフ・ボールルームのマネージャーに、次の会場であるミネソタ州ムーアヘッドには飛行機をチャーターして向かいたいと伝えた。500マイルをバスで行くとなると最低でも10時間、おそらく実際はそれ以上かかる。
サーフ・ボールルームのマネージャーはメーソン・シティにあるドワイヤー社に電話し、4機の飛行機を108ドルでチャーターした。その夜のショーは、午後8時を少し過ぎた頃にフランキー・サードのステージで始まり、ビッグ・ボッパー、リッチー・ヴァレンスが続いて登場した。インターバルを挟んだ後のステージはまずディオン・アンド・ザ・ベルモンツ、そしてバディ・ホリーのステージは午後10時40分に始まり、冒頭には「Gotta Travel On」が披露された。最終曲の「Brown Eyed Handsome Man」が終わると、主演者のほぼ全員がステージに現れて「La Bamba」を演奏。ショー全篇が終了したのは11時半ごろだった。
午前0時になったころ、バディ・ホリー、J.P.リチャードソン、そしてバディ・ホリーのバンドのギタリストのトミー・オールサップは、サーフ・ボールルームを発ち、メーソン・シティの空港に向かった。バディ・ホリーに荷物が全て揃っているか調べて欲しいと頼まれて一旦屋内に戻ったトミー・オールサップは、そこでファンにサインをしているリッチー・ヴァレンスにでくわした。リッチー・ヴァレンスもやはりバス移動にはうんざりしていた。飛行機に乗りたがっていた彼は、トミー・オールサップにコイン投げで飛行機の座席を賭けようと持ちかけ、トミーはその賭けに負けた。
午前0時半を過ぎたころ、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P.リチャードソンの3名が空港に到着した。雪が降り、風は強さを増していた。午前1時直前、彼らは12年前に製造されたビーチクラフト・ボナンザ機に搭乗した。バディ・ホリーがパイロットともに前席、他の2名が後席だった。午前1時ちょうど、ムーアヘッドに最も近い空港のあるノースダコタ州ファーゴを目指し北西に向けてボナンザは飛び立った。
その後に何が起きたのかは私たちにはわからないが、経験が浅く計器飛行に不慣れなパイロットが計器を読み誤り、高度を上げるべきなのを逆に下げてしまったのではないかと言われている。悪天候と暗闇で視界は遮られ、頼れるのはメーター上の水平線だけだった。5分後、飛行機はアルバート・ジュール氏が所有する農地に墜落した。
午前5時、行方不明になった飛行機についての警報が発令され、翌朝9時に自ら所有する飛行機を飛ばして残骸を探していたドワイヤー社のオーナーが衝突現場を見つけた。4人全員が即死だった。バディ・ホリーがパイロットに銃を突きつけて操縦桿を譲るよう脅したなどといったさまざまな憶測が後に噂されたが、純粋に悲劇的な事故であったことにほぼ疑いはないようだ。
ところで、気になる事件がひとつある。フランキー・サードは500万ポンド相当の株券を処分しようとしたことで1971年にロンドンで逮捕されている。イギリスの警察によれば、フランキー・サルドと一緒に逮捕された4名の男性のうち数名にマフィアとの繋がりがあるということだった。
Written By Richard Havers
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