ストーンズで初めてBステージを使用し、全世界動員480万人を記録した「ブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアー」

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「’ブリッジズ・トゥ・バビロン’というタイトルは、あのステージを見て思いついたんだ。ツアーの名前はアルバムと同じものになる予定だったから、どちらにもピッタリはまる名前でなきゃいけなかった。ある日、ステージを見ながら、どういうのがいいか考えていた。このデザインが語りかけてくるものは一体何だろう?  そこで俺が‘ブリッジズ’というアイデアを思いついて、俺の友達が‘バビロン’というのを思いついたんだ。Bステージに通じるブリッジはほとんどのライヴで問題なかったけど、気温が低すぎたり高すぎたりしたときはあれこれ手作業で組み立てなきゃいけなかった。きちんと橋が展開できなかったどうしようといつも心配だったよ」―ミック・ジャガー

「ブリッジズ・トゥ・バビロン」ツアーは、ニューヨーク・シティのブルックリン橋の下で行われた記者会見で発表された。ツアーは1997年9月9日から開始。まずはウォームアップとして、カナダのトロント公演、次いでシカゴのダブル・ドア公演が行われた。正式な初日公演は9月23日のシカゴ・ソルジャー・フィールド公演。そのあとは北米で55公演、南米で9公演、日本で6公演、ヨーロッパで37公演と続いている。

ツアー用のステージ・セットはマーク・フィッシャー、チャーリー・ワッツ、ミック・ジャガー、パトリック・ウッドロフが設計した。開演時には中央の円形スクリーンで花火が弾け、そこから現れるキース・リチャーズが「(I Can’t Get No) Satisfaction(邦題:サティスファクション)」のリフを弾くという趣向になっていた。

このツアーでは、ザ・ローリング・ストーンズ初の試みとしてBステージがほとんどの公演で使われている。Bステージはスタジアム中央に設置され、メインステージからは46メートルもある長大な橋でつながれていた。この橋は、望遠鏡のような入れ子型の構造で展開する設計だった。しかし、このツアーにも問題がひとつだけあった。屋根のないスタジアムでのコンサートは、気まぐれな天候に影響を受けやすいのだ。キース・リチャーズはこう語っている。

「屋外ステージだと、バンドのメンバーがひとり増える。つまり神様だ。神様は優しいときもあるけど、時には変な方向から風を吹きつけてくることもある。そういうときは、スピーカーの音が客席から吹き流されされちゃうんだ。普通はライヴの時間になると天候が収まるけど……いつもそうとはかぎらない。」ーキース・リチャーズ

キース・リチャーズはこんな指摘もしている。「ライヴの規模が大きくなればなるほど、演奏もやりづらくなっていく。今の俺たちのライヴは、たいていすごく大規模なんだけどね。なぜやりづらいかというと、照明システムとコンピューターに縛り付けられるからなんだ。規模が大きくなると、構成もきちんとしておかなきゃいけないんだよ。でもBステージとかライヴハウスでやると、まるでホーム・グラウンドに帰ってきたような感じがして、ちょっと激しくなっちゃうよ」。

ザ・ローリング・ストーンズを観た観客数はこのツアーで飛躍的に増えた。その総数は、25カ国の108公演で480万人にのぼっている。ツアーの最終日は1998年9月19日のトルコ・イスタンブール公演だった。ツアー中には5公演が中止になり(マルセイユ、パリ、リヨン、ビルバオ、ヒホン)、さらに5公演が延期になった(イタリア、アイルランド、イギリス)。



ザ・ローリング・スローンズ『Bridges to Babylon』

 


ザ・ローリング・ストーンズ
『Let It Bleed (50th Anniversary Limited Deluxe Edition)』
2019年11月1日発売
デラックス・ボックス / CD / LP



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