ザ・ビートルズ「I Want To Hold Your Hand (抱きしめたい)」解説:1964年の全米を手中に収めた一曲

Published on

1964年2月9日、ザ・ビートルズ(The Beatles)はアメリカのテレビ番組で初めてのライヴ・パフォーマンスを行った。彼らは”エド・サリヴァン・ショー”の歴史的な放送回の締めくくりに、グループの最初の全米1位シングルとなった楽曲を熱唱したのである。

そしてその楽曲とは、エネルギーに満ちたポップ・サウンドが完成の域に達した「I Want To Hold Your Hand (抱きしめたい)」だった。強烈なイントロが始まった瞬間から、観客たちはバンドの音楽に劣らないほど大きな叫び声を上げる。しかしながら、驚いたことに、メンバーたちがその状況に苛立つ様子はない。彼らはむしろ、その反応に戸惑いながらも喜んでいるように見えるのである。

<ザ・ビートルズと1964年連載>

第1回:『1964年のザ・ビートルズ』
第2回:『惨敗だった1963年ビートルズのアメリカ・デビュー』
第3回:映画『ハード・デイズ・ナイト』のサントラと“目新しい”『Something New』

<関連記事>
ビートルズ、アナログ盤ボックス『1964 U.S. Albums in Mono』発売
11月29日配信の新作ドキュメンタリー『ビートルズ ‘64』の予告編映像公開

 

13歳の少女

1分ほどしたところでカメラがリンゴ・スターのドラム・セットへとズーム・インすると、どういうわけか、聴衆の叫び声はいっそう大きくなる。そしてその瞬間、番組のディレクターは、その狂気じみた騒音を上げる観客の姿をお茶の間の視聴者に見せる。

そのときカメラが大写しにするのは、この日のためにはるばるコネチカット州からマンハッタンまでやってきた13歳の少女、アンドレア・テベッツである。彼女はチケットを手に入れた700人ほどの幸運な観客 (5万件もの応募があったという) のうちの一人だった。ピナフォアを着用し、髪留めをつけ、キャットアイ眼鏡を掛け、懸命にガムを噛む彼女は、あらゆる点でザ・ビートルズのファンらしい出で立ちだった。彼女は現実離れした光景が目の前に広がる中、拳を握りしめて何度も「イエス!」と叫ぶのである。

彼女が画面に映る数秒のシーンは、ザ・ビートルズと「I Want To Hold Your Hand」が米国内にもたらした興奮と衝撃のすべてをそのまま象徴している。しかしこのほんの数ヶ月前まで、ザ・ビートルズのアメリカにおける知名度はまだまだ低かった。同国での所属レーベルであるキャピトル・レコードは、彼らの初期シングルのリリースを見送ったほどだったのである。では、そのあいだに一体何があったのだろうか?

 

発売される前の状況

ザ・ビートルズはこのころまでに凄まじい勢いを得ており、キャピトルも彼らの存在を無視できなくなっていた。実際、彼らの成功ぶりと仕事量は驚異的だった。彼らは1963年だけでも2作のアルバムと3作の独立したシングルをリリース。さらには200公演以上のライヴをこなし、BBCで自分たちのラジオ番組まで持っていたのである。

スリルに満ちた「She Loves You」は同年8月にイギリスでリリースされ、1960年代における最大のヒット・シングルとなっていた。そして、「I Want To Hold Your Hand」は前作のリリースからわずか14週間後にリリースされている。この曲は、先立ってリリースされた「She Loves You」がチャートの首位に立ち続けている時期にジョン・レノンとポール・マッカートニーが共作した楽曲だった。

 

「I Want To Hold Your Hand」の作曲

一世代を代表するヒット曲を生み出した直後である。次のシングルの制作にあたって萎縮してしまう者もいるだろう。しかしながらザ・ビートルズはそこで奮起したのである。当時、彼らの評判は急激に高まっていた。そしてジョン・レノンとポール・マッカートニーは、”ビートルマニア”が一大現象となってからは初めてとなるヒット・シングルの作曲に着手した ―― その楽曲こそが「I Want To Hold Your Hand」だったのだ。

二人はセントラル・ロンドンのウィンポール・ストリート57番地でこの作品を作り始めた。そこは、マッカートニーの新たな恋人だった女優のジェーン・アッシャーの家族が暮らす家だった。マッカートニーはその家の屋根裏にある独立型のアパートに移り住み、地下にあるアッシャーの母の音楽室を自由に活用していたのである。また、彼らの初期のヒット曲にはめずらしいことではなかったがこの曲はレノンとマッカートニーが完全に共同作業で作り上げた楽曲だった。1980年9月、レノンはプレイボーイ誌の取材で語っている。

「あの曲のコードを二人で考えたときのことはよく覚えているよ。僕たちはジェーン・アッシャーの家の地下室で、同時にピアノを弾いていた。”Oh you-u-u/got that something… (ああ、きみには/特別な何かがある……) “っていうフレーズは既に思いついていたんだ。そのときポールがこのコードを弾いたので、僕は彼の方を向いて”それだ!”って言った。”もう一回弾いてくれ!”ってね。あのころは本当に、そんな感じで作曲をしていたんだ。お互いの鼻に向かって楽器を弾くような距離でさ。そうやって何時間も何時間もずっと一緒にいたんだよ」

一方のマッカートニーも、1997年のバリー・マイルズの著書『Many Years From Now』に掲載されたインタビューでこのレノンの発言に同意している。

「”面と向かい合って”っていうのがぴったりの表現だね。実際、そんな感じだったんだ。“I Want To Hold Your Hand”は完全に共同作業で作曲した。僕たちにとっても重要なナンバー・ワンのヒット曲だよ。僕たちがアメリカでブレイクを果たすことができたのは、あの曲がきっかけだったんだ」

 

レコーディング

ザ・ビートルズの面々はキャリアを通して何度もそうしてきたように、このときもチャンスを逃さず掴み取った。「I Want To Hold Your Hand」という曲が書かれた1週間後の1963年10月17日、ザ・ビートルズのメンバーはこの曲のレコーディングを行うためにアビイ・ロードのスタジオ2に入った。

彼らはやがて大ヒットを記録することとなるこの曲を17テイクに亘ってレコーディングしたが、セッションのテープを聴くと、彼らがレコーディングに入る前に、既にアレンジをほとんど完成させていたことが分かる。そして、この日は実りの多い一日だった。

彼らは同シングルのB面曲であり、哀愁漂うドゥーワップ調の名曲「This Boy」も同じ日にレコーディングしており、さらにスモーキー・ロビンソンの作品「You’ve Really Got A Hold On Me」のカヴァー・ヴァージョンを1テイク残し、「The Beatles Christmas Record」(ファンクラブ会員にソノシートで送付されたもので、内容は愛らしくも自由で纏まりのないメンバーたちからのメッセージだった) も制作したのである。アビイ・ロードに新たに導入された4トラックのレコーディング・マシンを使用したのはこの日が初めてだったが、この機材はのちにグループのレコーディング手法を一変させることとなった。

 

大ヒットとなった楽曲

「I Want To Hold Your Hand」は11月29日にイギリスでリリースされ、予約注文だけで100万枚を売り上げている。そして発売2週目に「She Loves You」――グループが11月4日の”ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス”で演奏したことにより、同曲の人気も再燃していた――を退けてヒット・チャートの首位を記録したのだった。

「I Want To Hold Your Hand」は、グループをそれ以前にはあり得なかったほどの成功に導いた楽曲群の魅力を、さらに凝縮したような熱烈な一曲だ。「Love Me Do」「Please Please Me」「From Me To You」などと同様、ジョンとポールが哀願するように歌う同曲は、彼らに夢中なファンの心に直接語りかけていたのである。

“手を握りたい”と歌うその歌詞は一見清純なため、親世代は彼らが立派な志の持ち主だと納得したことだろう。しかし彼らのレコードを擦り減るまで聴き続けていた当時の若者たちは、それらの曲に性的な含みが隠されていることを理解していたのである。

この曲のリード・ヴォーカルを担当しているのはジョン・レノンだが、ポール・マッカートニーもまたほぼ全編に亘ってレノンと一緒に歌っている。彼はバンドメイトのレノンと同じメロディーをユニゾンで歌ったり、ハーモニー・パートを歌ったりしているのである。これも、二人の密接な協力関係を象徴していると言えよう。

さらに「I can’t hide (隠せないよ)」の歌声が次第に大きくなる爽快なパートや、思いがけないコード進行の変化、バラードのようなミドル・エイト、手拍子なども含まれる「I Want To Hold Your Hand」は、彼らの初期の多くのヒット曲同様、キャッチーなフレーズや巧妙な仕掛けに満ちている。それらはザ・ビートルズの面々がダイナミクスを直感的に理解していたことを強調するとともに、彼らが天性の機智や魅力に富んでいたことを示しているのだ。

 

15歳のファンの草の根運動からの全米の成功

マネージャーのブライアン・エプスタインは「I Want To Hold Your Hand」のイギリスでのリリースに先駆け、このシングルの初期のプレスを携え、アメリカに渡っている。

そして明らかに大衆受けするこの曲の魅力と、イギリスで「She Loves You」が大ヒットを記録しているという事実を知ったキャピトルは、1964年1月中旬にアメリカでも「I Want To Hold Your Hand」をリリースすることを決定。宣伝費として4万ドル (この金額はザ・ビートルズに関する米国でのキャンペーンにそれまで支出されていた総額の8倍に当たる) を支出することも決めたのだった。

また、アメリカのメディア各社も、英国を席巻するビートルマニアに関するニュースを報じ始めた。こうして、大西洋を渡って彼らがやって来ることへの期待感はさらに高まっていったのである。メリーランド州シルヴァー・スプリングに住む15歳のファン、マーシャ・アルバートは、CBSのニュース番組でそうした映像を目撃したという。そして彼女は、ワシントンD.C.のラジオ局であるWWDC-AMのDJ、キャロル・ジェームズに手紙を書き、ザ・ビートルズの新しいシングルを流してくれるようリクエストしたのだった。

ジェームズは同シングルの英国盤をなんとか入手すると、12月17日にアルバートをスタジオに招き、アメリカのラジオ局による最初のオンエアに際しての曲紹介を彼女に託した。するとすぐに、もう一度同曲を流してほしいというリクエストが殺到。局側も喜んでそれに応じたのだった。

このときの放送のテープは、ほどなくしてアメリカ全土で流されるようになった。それを受けてキャピトルは当初、「I Want To Hold Your Hand」の先行放送を禁じる裁判所命令を取得することも辞さない構えを示した。しかし、こうした口コミの宣伝効果の高さに気づいた同社は、このシングルの発売日を12月26日に前倒しすることで手を打ったのである。

発売からの最初の3日間にアメリカ国内で25万枚を売り上げた「I Want To Hold Your Hand」は、1964年2月1日付の米ビルボード・チャートで1位を獲得。それから数週間のうちに彼らは、全米シングル・チャートのトップ5とアルバム・チャートのトップ2を独占するという歴史的な快挙を成し遂げた。

2015年、ポール・マッカートニーはビルボード誌のインタビューの中で、この曲が1位を獲得したことを知った瞬間を振り返り、以下のように語っている。

「僕たちはパリで演奏していた。由緒あるオランピア劇場での連続公演の最中だったんだ。エディット・ピアフも公演を行ったような有名な会場だよ。そこで僕たちは電報を受け取った ―― 時代を感じるよね。そこには、”全米1位獲得おめでとう”と書かれていた。僕たちはお互いの背中に抱きついて喜んだよ。ライヴ後の深夜だったけど、とにかくみんなでパーティーをしたんだ」

そして1964年2月7日、ザ・ビートルズの面々はニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に降り立った。そこでは約3,000人の熱烈なファンが彼らを歓迎していた。彼らの初訪米はアメリカ中を熱狂させたが、滞在期間そのものはわずか2週間だった。コンサートへの出演や、前述の”エド・サリヴァン・ショー”でのパフォーマンス (当時の最高記録である7,300万人が視聴したとされる) を含む一連のテレビ出演をこなし、グループは早々に帰国したのだった。しかし、この訪米後、ザ・ビートルズを取り巻く状況は一変したのである。

 

「I Want To Hold Your Hand」の功績

「I Want To Hold Your Hand」は前代未聞のセールスと賞賛という結果をもたらしたが、それがすべてではなかった。この曲は同世代のミュージシャンを鼓舞し、音楽の新たな可能性の追求へと導いた一曲でもあるのだ。1966年、ビーチ・ボーイズのリーダーであるブライアン・ウィルソンはこう語っている。

「“I Want To Hold Your Hand”には心から衝撃を受けた。自分たちが悪くないグループだってことは分かっていた。けれどもザ・ビートルズが登場して、もっと努力しなきゃいけないと感じたんだ」

(ザ・ビートルズの面々がこの曲で”I can’t hide/隠せないよ”ではなく”I get high/ハイになる”と歌っていると勘違いしていたという逸話もある)ボブ・ディラン はNMEの取材で、ザ・ビートルズのお気に入りの楽曲としてこの「I Want To Hold Your Hand」を挙げ、こう話している。

「彼らは誰もやっていないことをやっていた。コードはとにかく型破りで、ハーモニーが全部を纏め上げていた……。彼らは音楽界の進むべき道を示していると確信していたよ」

そして、いまでも彼が同曲に魅力を感じていることは間違いない。というのもディランは、2020年に発表した約17分の力強い楽曲「Murder Most Foul」の中でこの曲に言及しているのである。

この曲以降、ザ・ビートルズは楽曲をリリースするたびに新たな境地を切り開いていった。それは作曲、アレンジ、歌詞などあらゆる面で言えることだ。

謎に満ちた「A Hard Day’s Night」の冒頭のコード、「I Feel Fine」におけるフィードバック・ノイズの採用、「Tomorrow Never Knows」におけるサイケデリックなテープ・ループ、そして「Revolution 9」の全編のように刺激的な瞬間は、すべてその好例である。そうした新たなサウンドは、レノンとマッカートニーが面と向かい合って「I Want To Hold Your Hand」を作曲したときと同じような形で作り出されていた。

つまりザ・ビートルズの面々は、新しく型破りなものを作るチャンスを逃さなかったのだ。アンドレア・テベッツや、彼女と一緒に叫び声を上げていた数百万人のファンは、熱狂すべきものに熱狂していただけだ。”音楽の未来”が目の前で繰り広げられている瞬間に、人生で何度出会えるというのだろう?

Written By Jamie Atkins


ザ・ビートルズ『The Beatles: 1964 U.S. Albums in Mono
2024年11月22日発売
直輸入盤仕様/完全生産限定盤
8LPボックス / 限定カラーLP+Tシャツ / 単品 / カレンダー



 

Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了