『ボン・ジョヴィ:Thank You, Goodnight』が教えてくれる5つの事実

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Photo: Theo Wargo/Getty Images

この度、Hulu (日本ではディズニープラス) で配信が開始された全4話のドキュメンタリー・シリーズ『ボン・ジョヴィ:Thank You, Goodnight』は、ロック界のスーパースターでいることが――もちろん素晴らしい瞬間はあるにせよ――必ずしも良いことばかりではないことを教えてくれる。

このドキュメンタリーはある面では、ニュージャージーのバーで演奏していた寄せ集めのバンドが、マルチプラチナ級のヒットを飛ばしてアリーナ・ロック界の一大現象へと進化する軌跡を描いた作品といえる。その中で視聴者は、普通では考えられない出来事の数々や、ロックンローラーに期待するとおりの常人離れした行いも目にすることだろう。

一方で、ゴッサム・チョプラが監督を務めた同作では、彼らのキャリアの暗い面も深く掘り下げられている。例えば歌声/声帯に関する苦悩という、ジョン・ボン・ジョヴィが近年苦しんでいたトラウマまでもが語られているのである。それはバンドの全面協力の下、メンバーたち自らがグループのことを語ったからこそ実現できたことだ。とにかく、計5時間にわたる作品の中には興味深いエピソードが数多く詰め込まれている。ここではその一部をご紹介しよう。

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1. ジョンは歌声を取り戻すため喉のレーザー治療を受けた

2020年代初頭、ロックンローラーとしての長年の活動による疲労の蓄積と新型コロナウイルスの後遺症が重なったことで、ジョン・ボン・ジョヴィは歌うことに多くの困難を抱えていた。最終的には手術に頼ることとなったわけだが、それまでにも彼は鍼治療や厳しいボイス・トレーニングを受けたり、3人のボイス・トレーナーに助力を仰いだり、”大量のビタミン剤”を飲んだりと、思いつく限りのあらゆることに取り組んだ。ハイテク技術を駆使したその手術はまさにSFの世界さながらのものだった。

ドキュメンタリーでは、4つの照射口を持つ物々しいレーザー機器の前に立つジョンの姿が映し出される。そこでは血行の促進と炎症の緩和のため、複数の赤い光線が彼の声帯に真っ直ぐ照射されるのだ。こんなスーパーヒーロー映画のような治療を受けた彼はひょっとすると、何らかの超能力まで手にしてしまったかもしれない。

2. ニュージャージーでの下積み時代でのある大御所との出会い

ジョン・ボン・ジョヴィがまだジョン・ボンジオヴィ (綴りはJohn Bongiovi) と名乗っていたころ、彼はアトランティック・シティ・エクスプレスウェイというグループを率いていた。ニュージャージー沿岸部が生んだヒーローであるブルース・スプリングスティーンやサウスサイド・ジョニーに多大な影響を受けたソウル・スタイルのグループだ。

メンバーにはホーン・セクションも含まれていた10人という大所帯の同バンドはカヴァー曲を中心にいくつかのオリジナル・ナンバーも演奏しており、17歳でも入れるようなバーならどこへでも出向いてパフォーマンスを行った。当時はまだ、飲酒について寛容な時代だったのだ。

そんなある晩、彼らはアズベリー・パークの人気店であるザ・ファスト・レーンに出演。ギャラ自体は全員で150ドルほどに過ぎなかったが、ブルース・スプリングスティーンの「The Promised Land」のカヴァーの演奏中、スプリングスティーン本人がステージに飛び入り参加するという出来事が起きた。1979年当時、若きフロントマンであったジョンはこのときの様子を高校の同級生たちに自慢することで、少ないギャラを補って余りあるほどの誇りを感じたのである。彼とジョンとの交流は今も続いている。

3. ジョンはスーパースターたちの制作現場を早いうちから垣間見ていた

ボン・ジョヴィの熱心なファンなら、ジョンの2番目のいとこであり、トーキング・ヘッズやラモーンズ、その他多くのアーティストのプロデューサーを務めたトニー・ボンジオヴィが、ジョンにレコーディング・スタジオの雑用係の仕事を与えたことは知っているだろう。そのスタジオというのは、ニューヨーク市内にある伝説的なスタジオ、ザ・パワー・ステーションだ。

ここで彼は、のちに彼の作品のプロデューサー兼エンニジアを務めるオビー・オブライエンとも出会っている。他方、この駆け出しロッカーがこのスタジオで (彼は、しばしば文字通りスタジオの床に寝泊まりしていた) 音楽業界についての基礎知識を学んでいったことを多くの人は知らないだろう。そこで彼はデヴィッド・ボウイとクイーンによる「Under Pressure」のレコーディングを見学したり、ザ・ローリング・ストーンズやキッス、ダイアナ・ロスやエアロスミスをはじめとする、数多くの大物たちのセッションを間近で見たりしていたのである。

4.「Livin’ On A Prayer」は危うくレコーディングされないところだった

ジョンは著名な作曲家であるデズモンド・チャイルドとの曲作りを通じて、ボン・ジョヴィ史上最大級のヒット曲「Livin’ On A Prayer」を生み出した。だが当初、ジョンはこの楽曲を気に入っていなかったという。彼はこう明かしている。

「作曲した日の時点では、この曲にあまり感心していなかったのを覚えている。みんなで部屋を出るとき、俺は”まあ、悪くはないかな”というくらいに思っていた」

しかし、ギタリストのリッチー・サンボラはヒットの可能性を感じ取っていたようで、

「リッチーに”おい、お前は馬鹿だよ。これはすごい曲になるぞ”って言われたんだ」

関係者全員にとって幸運だったのは、この楽曲を支持しているのがリッチーだけではなかったことだ。デズモンド・チャイルドはこう語る。

「リッチーと俺は冗談半分、本気半分のつもりで、土下座して懇願したんだ。せめてレコーディングだけでもしてくれ、と頼んだんだよ」

そのあとの顛末は誰もが知るとおりだ。

 

5. ボン・ジョヴィ初のマディソン・スクエア・ガーデン公演は冷や汗ものだった

バンドにとって初のマディソン・スクエア・ガーデン公演は、様々な面で彼らの転換点となった。この日は、のちにマネージャーとなるドック・マギーが初めて彼らのライヴを観ていたのに加えて、音楽ファンにとって馴染み深い名所で演奏するまたとない機会だった。ZZトップのマディソン・スクエア・ガーデンの前座として予定されていたグループが出演をキャンセルしたことでボン・ジョヴィにそのチャンスが舞い込んできたのだ。

ボン・ジョヴィは公演の始まりから観客を圧倒するつもりでいた。リッチー・サンボラがギター・ヒーローのごとくギターを弾きまるオープニングを考えていた。しかし実際には、ここぞという瞬間に彼のギターが故障してしまった。ボン・ジョヴィはこう回想する。

「行儀よく拍手していた観客が静まり返り、それから”ZZトップ!”と叫び出した。俺は”なんてこった、まだ始まってもいないのにおしまいだよ”と考えていた。あれは人生で最も長い18秒間だった」

結局、フロントマンのジョンがなりふり構わず自分のギターをサンボラに渡したことで、幸運にも何とかこの苦境を脱することができたのである。

 

ここで紹介したのはドキュメンタリー『ボン・ジョヴィ:Thank You, Goodnight』のほんの一部だ。まだ見ていないファンの方には、ここで紹介した以上の驚きと感動が待っていることは保証しよう。

Written By Jim Allen


ボン・ジョヴィ『Forever』
2024年6月7日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music


ボン・ジョヴィ『Bon Jovi (Deluxe Edition)』
2024年1月24日配信
Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music




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