世代を超えて受け継がれる「奇妙な果実」:ビリー・ホリデイとニーナ・シモンによる“叫び”

Published on

Photo: Herb Snitzer/Michael Ochs Archive/Getty Images

ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)が最初に録音してから何十年も経った今でも、「Strange Fruit(奇妙な果実)」は恐ろしいほどの反響を呼び続けている。アメリカ南部の人種差別の惨状を歌ったこの曲は、トーリ・エイモスやアンドラ・デイなど、ジャンルを超えたアーティストが数え切れないほどカバーを行ったが、この曲のもっとも重要で際立つパフォーマンスは、ビリー・ホリデイの忘れがたいオリジナル(1939年)、そしてニーナ・シモンの深遠でストレートなカバー(1965年)の2つだ。

ビリー・ホリデイによるパフォーマンスは完全なオリジナルだと思われがちだが、「Strange Fruit」はもともと、ユダヤ系アメリカ人の作家アベル・ミーロポールが1937年に書いた詩に音楽をつけたものだ。この詩は、1930年に撮影されたトーマス・シップとエイブラム・スミスという2人の黒人がリンチをうけ、木から首を吊るされた写真を受けて書かれ、木の上の果物とアメリカの歴史上の黒人リンチの犠牲者との間の不穏な寓話となっている(この写真は「何日もミーロポールの頭から離れなかった」と伝えられている)。ミーロポールによるこの詩はルイス・アランというペンネームで、その年の暮れに『ニューヨーク・ティーチャー』に掲載された。

<関連記事>
ビリー・ホリデイの20曲:彼女からなんらかの影響を受けている
人種差別や抑圧、偏見に立ち向かった歌の歴史とは?
ビリー・ホリデイ:売春宿、人種差別、ドラッグに惑わされた奇妙な人生

ビリー・ホリデイと奇妙な果実

ビリー・ホリデイは、1939年にニューヨーク初の統合ジャズクラブであるカフェ・ソサエティで「Strange Fruit」を初めて演奏したが、これはクラブの創設者からこの曲を紹介されたことがきっかけだったと言われている。自叙伝『Lady Sings The Blues』の中で、彼女はこの歌詞が、テキサス州の“白人専用”の病院で治療を拒否され、39歳で亡くなった彼女の父のことを思い出させ、こう書いている。

「父の死から20年、彼を殺したことが今も南部で起きている」

白人リスナーからの報復を恐れて最初は歌うことを躊躇していたビリーだが、やがてこの曲は彼女のライブに欠かせないものになっていった。

1939年に録音されたホリデイのヴァージョンは、ジャズ・ピアノの伴奏があっても、歌詞と同じように二面性を持った、信じられないほど不気味なものだ。ジャジーな歌声の中で、彼女は「勇敢な南部の牧歌的な光景」を表現。例えば、マグノリアの花の香りが大気中に充満しているような穏やかな環境が、「肉の焼ける匂い」によって中断され、「南部の風に揺れる黒人の体」が心に残る流れとなっている。

全米黒人地位向上協会の推定では、黒人のリンチ被害者数は南北戦争後の19世紀後半に増加している。アメリカ南部に自由な黒人が増えたことで白人の怒りを買い、こうした社会の変化に伴って報復的に不当な絞首刑が行われるようになったのだ。リンチは単なる計画的な殺人ではなく、恐怖と脅迫によって黒人アメリカ人の社会的、政治的、経済的な進歩を制限するための手段だった。

1950年代から60年代にかけての市民運動や厳しい社会法も、有色人種の進出を制限していた。黒人の場合は、全米でのリンチ件数が減少したにもかかわらず、人種間の対立は解消されないまま、限られた範囲での進展しかなかった。つまり、あまり変化がなかったのだ。

 

ニーナ・シモンによる奇妙な果実

そんな中、「Strange Fruit」は、ニーナ・シモンがカバーするのにふさわしい曲だった。というのもニーナ・シモンは、レコーディングやパフォーマンスを通じて、聴衆に対してより深い社会問題に目を向けさせることができるアーティストだった。彼女は「Strange Fruit」についてこう語っている。

「私がこれまでに聴いた中で最も醜い曲。白人がこの国の同胞にしてきた暴力的な仕打ちとそこから生まれた涙という意味で、醜い」

1965年のアルバム『Pastel Blues』に収録された「Strange Fruit」は、サウンドの特徴のひとつである厳粛なピアノを用いて、テーマに沿った悲しみの感情を繰り出しており、この録音は今でも反響を呼んでいる。彼女の変幻自在のヴァージョンは、ジャジーではなくミニマルなサウンドを採用し、ヘヴィなイメージと彼女の具体的な悲しみに満ちたトーンにじっくりと向き合うことができる。

ニーナ・シモンはこの曲では、アーティストとしてではなく、対象と直感的に結びついた一人の人間として演奏をしている。彼女は鍵盤を叩きながら、自分の人種を代表して叫ぶ。感情を抑えた彼女の声は、吊るされて太陽の下で腐っていく黒人の遺体を描写するときに震える。死体が運び出される様子を歌いながら、彼女は空に向かって泣き叫び、暴力を止めるように懇願する。

活動家のディック・グレゴリーは、2015年に公開されたドキュメンタリー映画『ニーナ・シモン〜魂の歌』(原題:What Happened, Miss Simone? / Netflixで配信中』の中で「黒人が経験したすべての苦しみを見れば……私たちは皆、(人種的不公平について)何か言いたいと思っていた。そんな中、彼女はそれを実際に口に出したんだ」と語る。

同じ作品の中で、ニーナ・シモンの娘、リサ・シモン・ケリーは、「怒りこそが母の支えでした」と語り、より大きく深い目的のために戦い、そして歌うことに最も充実感を感じていたと付け加えている。

「奇妙な果実」が残したもの

「Strange Fruit」は、アメリカで人種差別と闘う人々への呼びかけとなっている。ジャンルを問わず、ダイアナ・ロス、ジェフ・バックリィ、アニー・レノックス、カニエ・ウェストなどの数え切れないほどのアーティストがこの曲をカバーしたり、サンプリングしたりしているが、これは、この曲が黒人アーティストとそれに賛同する人々の両方を刺激し続けていることの証だ。「Strange Fruit」は2002年に、アメリカの文化的、歴史的、美学的に重要な録音物を認定するナショナル・レコーディング・レジストリにも登録されている。

「Strange Fruit」が今もなおカバーされ、サンプリングされ続けているもう一つの理由は、人種間の暴力の恐怖に対して注意を喚起するという楽曲が持つ意味が、いまだに是正されていない問題を浮き彫りにしているからだ。米国における黒人の不当な扱いが続いていることは、社会的、人種的、道徳的基盤の根底に血が流れていることを裏付けており、長期的な変化をもたらすためには、まだやるべきことがある。

2020年2月、エメット・ティル反リンチ法が下院で可決された。この法律は、1955年、白人女性に口笛を吹いたと因縁を付けられリンチによって殺された14歳のエメット・ティルの名前にちなんだものだ。「Strange Fruit」のレコーディングから約80年、社会には様々な変化があったにもかかわらず、この曲の根底にあるテーマは、21世紀の人種問題や社会問題と未だ共鳴し続けている。2020年5月に起きたジョージ・フロイドの死や、同年夏に問題となった多くの黒人による不審なリンチ事件は、アメリカ中の怒りに火をつけた。

「Strange Fruit」は、決して最初の反レイシズム・ソングではないが、あらゆる人種のリスナーにタブーとされる話題を煮詰め、それに正面から向き合うことを強いた最初の曲のひとつであった。ビリー・ホリデイの驚くべき演奏は、今でも聴衆を魅了する。彼女の勇気は、このような恐ろしい個人的な話を口にすることで、計り知れないものとなった。

ニーナ・シモンの心を揺さぶるカバーは、彼女のコミュニティが感じていることを正確に表現し、彼女のアーティストとしての地位を確立した。それは、ジャンルや世代を超えた感情に裏打ちされたものだった。

今のアメリカの現状を考えると、「Strange Fruit」はまだ鳴り続けるだろう。しかし、私たちの心の中には希望が存在する。変化は可能であり、その歴史的・社会的妥当性が、今日ほど大きく鳴り響くことはないだろうという希望だ。

Written By J’na Jefferson



 

Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了