ツェッペリンを抜いて全米1位になったローリング・ストーンズ『Black And Blue』
1076年5月、ザ・ローリング・ストーンズは例によってさまざまな出来事を経験していた。まずロンドンのアールズ・コートで6夜連続公演を行うと発表。そのチケットを予約するための申し込み書は100万通以上送られてきた。また、グラスゴー・アポロで3夜連続コンサートをこなした直後、5月15日付の全英チャートでは、彼らのニュー・アルバム『Black And Blue』が2位にまで到達。一方アメリカでは、このアルバムは全米アルバムチャート首位を獲得した。
『Black And Blue』は、ストーンズがイギリスで出した13枚目(アメリカでは15枚目)のスタジオ・アルバムだった。ここから、ロニー・ウッドが正式メンバーとして参加している。彼は、前作『It’s Only Rock ‘n’ Roll』の発表後に脱退したミック・テイラーの後任だった。このアルバムから最初にシングル・カットされたのはソウルフルな「Fool To Cry」で、これは故国イギリスで最高6位まで上がった。しかしアルバムは最高2位止まり。その上にはABBAのベスト盤『Greatest Hits』が居座っていたので、1位到達はならなかった。
しかしアメリカでは『Black And Blue』を止めるものは何もなかった。5月15日付の全米チャートで、このアルバムはレッド・ツェッペリンの『Presence』から首位を奪い、それから2週間その座を維持した。そのあと1週間だけウイングスの『At The Speed Of Sound』に首位を明け渡したあと、ストーンズは再び1位に復帰。そこに2週間留まったあと、再びウイングスに席を譲った(その後『At The Speed Of Sound』は5週間首位を維持している)。
「Fool To Cry(愚か者の涙)」以外の収録曲について言えば、ファンの多くは情感溢れる「Memory Motel」がアルバム中の一番のハイライトだと感じていた。さらに「Hand Of Fate」も印象的な曲として記憶されている。一方”インスピレーション”としてロニーがクレジットされた「Hey Negrita」は、ストーンズがラテンやレゲエに挑戦した曲。また度々バンドのサポート役を務めていたビリー・プレストンも、「Melody」で同じようにクレジットされている。そして「Hot Stuff」はクラブで人気の曲となり、R&Bチャートでもランク入りした。アルバム『Black And Blue』はフランスでもチャートの首位に立ち、アメリカではプラチナ・ディスクに認定されている。
当時キース・リチャーズはクリーム誌のインタビューに応え、ストーンズに新たな活力を持ち込んだロニーを手放しで称讃していた。「ロニーはギター2本のバンドにピッタリの奴だけど、今まではそういうのをやれるバンドにいなかった。あいつの強みは、俺と同じように、もうひとりのギタリストと組むときのコンビネーションにある。テクニックをひけらかす技巧派のハッタリじゃない。あいつのそういう長所が、今やっと表に出てくるようになったんだ」。
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