デビュー盤発売からわずか9か月後に発売されたステッペンウルフの『The Second』
1968年10月5日、「Born To Be Wild」が収録され、ゴールド認定されたステッペンウルフのセルフ・タイトルのデビュー・アルバム(邦題『ワイルドでいこう!』)からわずか9か月後、カナダ出身で当時ロサンゼルスで活動していたステッペンウルフは『The Second』で全米アルバム・チャートに返り咲いた。本作はデビュー作同様、スリー・ドッグ・ナイトやジャニス・ジョプリンで知られるガブリエル・メクラーがプロデュースしている
前作同様にゴールド認定されただけでなく、この2枚目のアルバムは彼らのキャリアにおいて母国カナダのチャートで最も高い順位を記録。デビュー・アルバムがまだ全米アルバム・チャートの9位を記録している頃、本作はチャートに初登場139位を記録した。そしてさらに上昇し続け、シングル「Magic Carpet Ride」のメジャー・ヒットがさらに拍車をかけた。
「Magic Carpet Ride」はフロントマンのジョン・ケイとベーシストのラシュトン・モーヴが作曲し、11月終わりにシングルチャートでも最高3位を記録。当時はステッペンウルフにとって栄光の日々で、その勢いはまだ続いた。1969年にリリースしたサード・アルバム『At Your Birthday Party』は3枚目のトップ10・アルバムとなり、ゴールド・アルバムがあと4枚、そして1973年にはベス盤がベストがプラチナムに認定されている。
『The Second』がリリースされる直前に全米ツアー中だったザ・フーのピート・タウンゼントが、ニューヨーク・タイムズ紙に語ったことが、当時のシーンとステッペンウルフについて語っている。「今までそうだったようにロックン・ロールがアメリカで巻き起こっている。ここは本当に大好きだ。ザ・バーズ、ステッペンウルフ、ブッカー・T、モビー・グレープ、まさにロックン・ロールだ」。
Written by Paul Sexton
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ステッペンウルフ『The Seconds』