誰も想像できなかった1996年スパイス・ガールズのデビュー作『Spice』の大成功と「ガール・パワー」

Published on

ときには、あるひとつのグループが一世を風靡することがある。1996年の秋に関して言えば、そのグループはスパイス・ガールズだった。スパイス・ガールズがイギリスで大ブームとなると、それが世界各国に飛び火していった。1990年代前半はグランジ、R&Bとダンス・ミュージックが支配的だったが、この元気のいい五人組は実にドラマチックなかたちでポップスの世界を作り変えてしまった。


レコード業界の中で一番流行に敏感だった人間でも、スパイス・ガールズがこれほど驚異的な成功を収めるとは予測していなかったのではないだろうか。ガール・グループというのは、彼女たちが現れた当時は流行りものとはいえなかった。1980年代に大人気を誇っていたバナナラマも、1994年に至ると、ヒット曲を出せなくなっていた。そのあとに続いて登場したエターナルも、地元イギリスではかなりの人気を得ていたものの、世界進出には苦労していた。

しかしスパイス・ガールズは見えないガラスの天井を突き破った。メラニー・ブラウン、エマ・バントン、ジェリ・ハリウェル、メラニー・チズム、そしてヴィクトリア・ベッカムという5人のメンバーが最初に顔を合わせたのはオーディション会場だった。そういう裏話からはとても想像できないが、この最高の五人組は実に自然体だった。あまりにも動きが鈍く感じられた最初のマネージメントとは早々に手を切り、スパイス・ガールズはもっと経験豊富なソングライター・チームや音楽出版社、レコード会社と契約を交わした。ポップ・グループでありながら、彼女らはカリスマ性と自信とロック・ミュージシャンのように自らを誇示する堂々たる姿勢を持っていた。

 

実に魅力的でエネルギッシュ

スパイス・ガールズはわずか3枚しかアルバムをリリースしていない。その中でも最初の1枚『Spice』は、1996年11月4日にイギリスで発売されたが、リリース前からヒットになるのは決まっていた。なぜなら、その時点で彼女らの2枚のシングル「Wannabe」と「Say You’ll Be There」がどちらもチャートで1位を獲得し、大ヒットしていたからだ。「Wannabe」は、反抗的な態度をみなぎらせたパワー・ポップの名曲。すさまじいスピードで録音されたこの曲は、スパイス・ガールズをたちまちスターの座に押し上げ、アメリカを含む20カ国以上でチャートの頂点に立った。この途方もないガール・パワーの戦闘開始命令の曲は実に魅力的でエネルギッシュであり、今もこのグループの代表曲となっている。

 

「Say You’ll Be There」のほうはそこまで熱狂的ではない。このR&Bタイプの曲では、スパイス・ガールズのサウンドを特徴付ける力強いハーモニーが目立っている。これを聴けば、このグループがキワモノでないことがすぐにわかるだろう。第3弾シングルは初めてのバラード「Two Become One」だった。サウンドにさらに深みを増したこの曲は、イギリスでクリスマスに1位を獲得し、この年一番の大ヒット・シングルとなった。スパイス・ガールズはそれから3年連続でクリスマスに1位を記録している。

このグループは、シングルをヒットさせることに非常に長けていた。こうした初期の大ヒット曲は、どれもみなさんの記憶に残っているはずだ。感傷的な「Mama」とディスコ/ユーロポップを融合させた「Who Do You Think You Are」は両A面シングルとなり、1997年3月にはさらにチャートでの首位獲得が続いた。アルバム『Spice』にはこうした一連のシングルからのトラックに加え、5曲が収められている。

その5曲はポップ・プロデューサー・チームのアブソリュートと組んだ作品で、しなやかなシャッフルの「Something Kinda Funny」や繊細なバラード「Naked」といった多彩な曲調になっていた。シングルと似たような雰囲気が感じられるのは、メル・Bの英語ラップとジェリのスペイン語ラップが聴ける「If U Can’t Dance」とスピード感あふれる「Love Thing」ぐらいだろうか。「Last Time Lover」のような曲は1990年代に全盛だったR&Bのスウィング・ビートで仕上げられており、メロディは面白いものの、音作りは今となってはやや古く感じられるかもしれない。しかし先に挙げた大ヒット・シングルはいまだに流れ続けてる超有名曲であり、このアルバムでもそうした曲が強く印象に残ってしまう。それらのトラックに比べ、ほかの収録曲が少し霞んでしまうのは、致し方ないことだろう。

 

「誰だってスパイス・ガールになれる」

曲作りを担当したのは、アブソリュートのアンディ・ワトキンスとポール・ウィルソンだけではない。さらにエリオット・ケネディ、リチャード・スタンナード、マット・ロウ、ケイリー・ベイリスが作者クレジットに名を連ねている(スタンナードとロウは、最も印象的な「Wannabe」と「Two Become One」を手がけていた)。しかし忘れてはならないことだが、スパイス・ガールズのメンバーも『Spice』の収録曲すべてで共作パートナーとしてクレジットされている。これは名ばかりのクレジットではない。中でもジェリとメル・Bの2人は、曲作りで特に重要な役割を果たしたメンバーとして度々名前が上がっている。他のメンバーもそれぞれの役割を果たしていた。たとえスパイス・ガールズが全員が対等なグループではなかったとしても、全員が自分の得意分野をわかっていたのは確かだ。

 

エマ・バントンは、このアルバムのテレビCMで「Anyone can be a Spice Girl(誰だってスパイス・ガールになれる)」と口にしていた。このグループが成功するうえで、5人のカラフルなイメージが曲と同じくらい重要だったのは間違いない。各メンバーはマンガのキャラクターのようなニックネームを名乗り、それが世間の人の関心をすぐに惹き付けた。エマは「ベイビー」、ヴィクトリアは「ポッシュ」、メル・Bは「スケアリー」、メル・Cは「スポーティ」、ジェリは「ジンジャー」。こうしたニックネームは実に簡潔明瞭。業界のマーケティング担当者が考えつきそうなものとはおよそかけ離れていたし、それがかえって成功につながった。若者向け雑誌が何気なくつけたあだ名がそのまま定着したのである。こうして彼女たちは、マイケル・ジャクソンマドンナといった1980年代のスーパースターと肩を並べるくらいの爆発的人気を得た。ザ・ビートルズ以来、イギリスのグループがこれほど世界中でヒステリックな大成功を収めたことはなかった。

しかしそうしたイメージを強調していたからといって、楽曲の価値が下がるわけではない。素敵なポップ・シングル5曲とかなり完成度の高いアルバム収録曲5曲によって、『Spice』は前代未聞の大ヒット作になった。全英チャートの首位に留まった期間は合計すると15週間。このアルバムは1997年にヨーロッパと北米で最も売れたアルバムになり、現在までに全世界で売れた枚数は2,300万枚というとてつもない数字に達している。『Spice』は歴史に残る大ヒット・アルバムである。一見するだけでは実にシンプルな作品に思えるが、これを真似たほかのアーティスト/グループのアルバムは、そのほとんどが期待外れの結果に終わっている。

もし『Spice』がもっとハードな音作りで仕上げられていたら、もしスパイス・ガールズがあれほどのカリスマ性を持っていなかったら、あのアルバムは軽めのR&Bとして記憶されるくらいのものだっただろう。しかしこのダンス・ポップの傑作は、収録時間が40分にも満たないにもかかわらずあの時代のエネルギーを十二分に伝えるものになった。インターネット革命の前夜、このグループは「ガール・パワー」という、いたってシンプルなスローガンを唱えたが、これは現在の「#MeToo」ムーヴメントの先駆けとなるものだった。「#MeToo」のプラカードを掲げてデモ行進する人の中には、このとっつきやすいメッセージに励まされて育った人がたくさんいるのではないだろうか。

革命は、いつも激しい論争から生まれるわけではない。魅力的な振る舞い、あふれ出るエネルギー、そして傑作シングル数枚によって、スパイス・ガールズはポップ・カルチャーの世界を半年ほどで制覇した。そこにはこんな教訓が含まれているのかもしれない。皮肉はほどほどにして、カリスマ的な魅力を解き放つこと。スパイス・ガールズは、ポップスがきわめて政治的な力を発揮した好例だった。

Written By Mark Elliott


スパイス・ガールズ『Spice』

 


Share this story


Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了