シェリル・クロウ『Tuesday Night Music Club』:遅咲きの元音楽教師による大ヒットしたデビュー作
1992年、カリフォルニア州のパサデナにあるプロデューサーのビル・ボットレルのリビング兼スタジオ、Toad Hallにミュージシャン仲間が毎週火曜日の夜に集まってクリエイティブなアイデアを共有しながらジャムをしていた。
その集団のひとりは、ミズーリ州のケネットという信号機が3つ、高校は1つしかない町で育った元音楽教師。彼女の名前はシェリル・クロウ。
当時、自身のデビュー・アルバムをレコーディングしたばかりの彼女だったが、そのアルバムはレコード会社のお眼鏡に叶うことなく発売されなかった。そんな彼女が途中から参加していた毎週火曜日の夜のジャムセッションが彼女の正式なデビュー・アルバム『Tuesday Night Music Club』へとつながることになる。
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下積み時代
シェリル・クロウは、マイケル・ジャクソンの『BAD』ツアーでバッキング・ヴォーカルを担当し、引越し先のカリフォルニアではロッド・スチュワートやスティーヴィー・ワンダーといったミュージシャンのレコーディングにバッキング・ヴォーカルとして参加。彼女は、自身がミュージシャンとしてデビューするべく尊敬するUKのプロデューサー、ヒュー・パドガムとタッグを組んでソロデビュー作を制作。しかしそのレコードは前述の通りリリースされなかった。このアルバムの存在が広く知られるようになったのは、彼女が大成功した後の話だ。
大成功となったアルバム
彼女のデビュー・アルバム『Tuesday Night Music Club』はアメリカでゴールド(50万枚)とプラチナ(100万枚)を獲得するまでに1年かかったが、その後2年半でアメリカだけで600万枚を出荷した。グラミー賞で3部門を受賞。最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞、ブレイクのきっかけとなったシングル「All I Wanna Do」は年間最優秀レコード賞、そしてアルバム発売当時31歳だったシェリル・クロウは最優秀新人賞を受賞した。
彼女はアルバムのスリーブノートで、パサデナでの夜について次のように書いている。
「夜が終わるか朝が始まるまでには、何か特別なものが創造されてレコーディングされた(あるいはレコーディングされずに)。みんなそれぞれが自分から一番近い所にあった楽器やマイクを手に取っていた。これがアルバムのきっかけとなり、“Tuesday Night Music Club”が誕生したのだ」
彼女は続けて、クラブの主要メンバーであるビル・ボットレルと当時付き合っていたケヴィン・ギルバートに感謝の意を表した。この2人は、ギタリストでかつてA&Mデュオのメンバーだったデヴィッド・ベアワルド、ベーシストのデヴィッド・リケッツとダン・シュワルツ、ドラマーのブライアン・マクラウドとともに共同で作曲のクレジットを持っていた。ケヴィン・ハンターとウィン・クーパーは作詞にも参加。ボットレルがプロデューサーを務め、シュワルツがアシスト、ブレア・ラムがエンジニアリングを担当した。
ゆっくりとしたチャートの成功の当時の評価
『Tuesday Night Music Club』が1990年代で最も重要なデビュー・アルバムの1枚として永続的な影響を与えているにもかかわらず、このアルバムは発売当初、チャートで成功したわけではなかった。1993年8月3日にリリースされたが、全米アルバムチャートに初登場したのは翌年の3月、しかも173位という控えめなものだった。
1993年11月号に掲載されたQ誌のイアン・クランナによる批評はこう記している
「ルーツ、メロディー、感情、知性がブレンドされた11曲。ピアノ、オルガン、リズム・ギターがリードする音楽はスタイリッシュだが、それは決して口さきだけではない。そしてシェリルの歌詞は皮肉、想像力、観察力が織り交っている」
サンデー・タイムズ紙のサイモン・ウィッターはこう評している。
「シェリルの歌詞による物語の構成と見事な観察のディテールは、音楽家/バック・シンガーというよりむしろ作家としてのバックグラウンドがあるようだ」
彼女は同紙にこう語っている。
「私はたくさん本を読んだし、そこには自分の胸に去来するものがたくさんありました。時事問題に詳しくてリテラシーが高い人たちの前で書くというチャレンジもしました。私の言葉は自伝的ですが、そのテーマは普遍的にしています。女性は“Strong Enough”に共感するでしょうね、誰もが自分の状況にうんざりしたことがあるはずなので」
この曲「Strong Enough」は「Run Baby Run」「What I Can Do for You」「Leaving Las Vegas」「All I Wanna Do」に続くアルバムからの5曲目のシングルとなっている。
レコードだけではなく、ライヴでも彼女は評価された。1994年1月、ロンドンのライブハウス、ボーダーラインで行われたシェリル・クロウでのライヴをタイムズ紙でレビューしたこのライターはこう評している。
「伝染するような音楽性に貫かれた、驚くほど確かなパフォーマンスだった……ライヴでは、ボニー・レイットの教育的なR&Bスタイルとの共通点が、クロウの素晴らしく流麗で多彩なヴォーカルによってより強調されていた」
録音と自身の性格
1994年の暮れ、ジョー・コッカーのヨーロッパ公演のオープニングを務めた彼女は、同誌の取材に対し、アルバムのセッションについてこう語った。
「“ドアを閉めて、食べ物を注文して、ジャック・ダニエルを割って、さあ行こう”って感じ。変な話だけど、私は本当に自由にやらせてもらったんです。できたレコードを提出したとき、“これはゴミだな” と言われるか、“もっとシングルが必要だ”とか“この曲は焦点が合ってないな”と言われるかのどちらかだと感じてました。でもそうじゃなかった。彼らはそのまま受け入れて、突っ走ってくれたんです」
シェリル・クロウはまた、このアルバムが忘れがたいものになった彼女の性格的なことも次のように告白してくれた。
「私には友達があまりいなかったんです。私は間違いなく内向的で、友人たちと過ごす時間は私が作曲することに逃避する時間になりました。それに私にとって、家にいるよりもツアーをしているほうがずっと快適。家にいるときは、いつもアイデンティティの危機に悩まされています。リビングルームに入れば、普通の感覚を味わえるはずなのに、“これってなんか変に感じる”ってなってしまうから。いつもそうなんですよ」
Written By Paul Sexton
1993年8月3日発売
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