セックス・ピストルズ vs メディア:バンドを悪者に仕立て上げたメディアの当時の見出しを紹介
1976年の秋、パンクはまだカルト的の盛り上がりの一つでしかなかった。その頃、ザ・ダムドがライバルのセックス・ピストルズの「Anarchy In The UK」よりも1か月早い1976年10月22日に「New Rose」をリリース。これがイギリス初の正式なパンク・シングルとなった。最初のパンクのシングルにはならなかったがセックス・ピストルズはEMIとメジャー契約を結んだばかりで、明るい未来を確保したように見えた。
しかし、1976年12月1日、レーベル・メイトのクイーンの代わりとして急遽テムズ・テレビの番組『Today』に出演してその未来は一夜にして変わった。番組の司会者のビル・グランディとの短いやり取りの中で、バンドは繰り返し放送禁止用語を使用し大衆は激怒、それを受けてメディアからのバッシングも過熱した。
デイリー・ミラー紙の悪名高い見出し“The Filth & The Fury”(堕落と憤り)が火付けとなり、騒動は何日間も続き、その時を境に、メディアはセックス・ピストルズがやることなすこと全てを詮索して報道した。2017年10月に出版された書籍『1977: The Bollocks Diaries』ではその当時を振り返り、アーカイヴを深く掘り下げて怒りを露わにしている見出しのコレクションを収録、40年前、セックス・ピストルズが一番のパブリック・エネミー(大衆の敵)だったことを証明している。
uDiscover Musicでは、各紙の “タイプライターの神たち”が、レコード会社2社に解雇され、エリザベス女王の即位25周年の記念式典を脅し、悪名高きパンクの名作『Never Mind The Bollocks…Here’s The Sex Pistols(邦題:勝手にしやがれ!)』をリリースしたセックス・ピストルズを悪者に仕立て上げた一連の騒動を紹介する。
Two Weeks Work For £75,000 (2週間で7万5000ポンドの儲け)
A&Mがセックス・ピストルズが全く働かないことを理由に解雇したことを受け、1977年3月18日のデイリー・ミラー紙の見出しは「ボロ儲け!(FILTHY RICH!)」と叫んだ。しかし、記事でも伝えている通り、バンドの調印式の後のどんちゃん騒ぎが解雇の原因だったかもしれない。また、レコード会社に勤務する“女性を強姦しようとした”などわいせつ容疑があったことにも触れており、この件に関して、レーベルの担当者が“不在のためコメントできない”としたのも驚くことではない。
Wanna Ruin Me In Your Magazine? (お前たちの雑誌で俺をおしまいにしたいんだろ?)
テレビの番組『Today』での司会者ビル・グランディとの一件から、セックス・ピストルズには人騒がせな見出しがつきものだった。しかし、イギリス国歌の同じタイトル「God Save The Queen」で過激な女王批判を行ったことや、エリザベス女王即位25周年の記念式典(ジュビリー)の際に式典が行われたウェストミンスター宮殿に面するテムズ川でピストルズがゲリラライヴを行った頃には、彼らはその牙を剥き出しにして楽しんでいるようだっだ。
1977年6月12日、デイリー・ミラー紙は見出しで国に対して“パンクを戒めろ”と打ち出し、バンドにもパンク自体に対しても道徳的な反対運動を呼びかけ、 “式典を脅かしたパンク・ロック”と題し、“新しいすごいカルトに関する不愉快なレポート”を掲載し、他社にも同様の論説を促した。
多くのマスコミはそれにならった。ロンドンのイヴニング・ニュース紙(現在ではイヴニング・スタンダード紙)もそのひとつで、またとある出版社では、ドラマーのポール・クックがギャングにバールで襲われた事件を受け、彼のプロフィールを掲載した。この事件はシェパーズ・ブッシュ駅の近くで起きたが「God Save The Queen」をリリースしてから、メンバーは数々の暴力事件に巻き込まれており、数あるうちの一件に過ぎなかった。
Stop Your Cheap Comments (チープなコメントをやめろ)
イギリスのどのタブロイドよりもデイリー・ミラー紙は特にセックス・ピストルズを厳しく追求し、1977年7月にまたその矛先が彼らに向けられた。“Top Of The Punks!”の見出しとともに、デイリー・ミラー紙は、イギリスで品格の権威者とされるBBCが思い切ってセックス・ピストルズの音楽の放送禁止を解き、バンドの3枚目のシングル「Pretty Vacant」のプロモーション・ビデオを放送することに対して激怒した。しかし、デイリー・ミラー紙の怒りは聞き入れられず、BBCは7月14日に「Top Of The Pops」で「Pretty Vacant」を放送し、また、オーストラリアのパンク・バンド、ザ・セインツも出演した。
Never Mind The Bans (禁止なんて気にしねぇ)
EMIとA&Mを解雇され、ジュビリー事件の後の「God Save The Queen」の歌詞の騒動を受けて、タブロイド紙は常にセックス・ピストルズをこき下ろそうとしていた。そんな頃、バンドはヴァージン・レコードという新たな居場所を見つけ、リリースされた待望のデビュー・アルバム『Never Mind The Bollocks…Here’s The Sex Pistols』のタイトルに「金玉」を意味する「Bollocks」をあえて使ったことでさらに悪評を呼んだ。このアルバムは複数の百貨店から全面取扱い禁止にされたにもかかわらず、アルバムは全英トップ40で1位を獲得し、ヴァージン・レコードのノッティンガム店がレコードをウィンドウ・ディスプレイに飾ったことに対して、“不適切な印刷物”だという訴訟も起きるほどだった。
ヴァージン・レコードの社長リチャード・ブランソンが弁護人として雇った勅選弁護士ジョン・モーティマー(法廷ミステリー小説「ランポール弁護に立つ」の著者でもある)は「Bollocks」という言葉は、19世紀の言葉で聖職者を意味するという弁論が功を奏し、訴えは棄却された。これを苦々しく思ったサン紙は、1977年11月25日に“お前も同じくだ!”という見出しで、“この判決は口の悪いセックス・ピストルズが世界に2本指を立てる機会を与えてしまった”といやいやながら敗北を認めた。
Got You In My Camera (カメラでおさえたからな)
イギリスのタブロイド紙と異なり、ロックの週刊誌はセックス・ピストルズを支援し、NME誌は “後ろを振り向くな、セックス・ピストルズが来てる”と早くも1976年2月に報じている。パンクが最初に登場した頃は多少保守的だったメロディ・メイカー誌は、1977年3月26日にタブロイド風の表紙を刷り、バンドがA&Mを解雇されたことを受け、“Firing Of Pistols”(訳:ピストルズの発射/解雇)という皮肉まじりの副題もつけ、紙面にその詳細記事を掲載した。
しかし、「God Save The Queen」がリリースされた頃には、メロディ・メイカー誌は手のひらを返したように表紙にセックス・ピストルズを取り上げ、レコード・ミラー誌もそれに続いた。音楽週刊誌の全4誌が「God Save The Queen」を ‘Single Of The Week’に選び、NME誌やサウンズ誌は1977年7月のバンドのスカンジナビア・ツアーを取り上げた。NME誌はあの有名なセックス・ピストルズ特集を組み、 8月6日号で“4ページ分の楽しみ”の見出しとともにバンドの写真を表紙にした。
Just A Satellite Of London (たんなるロンドンの衛星都市)
マンチェスターのグラナダTVが最初にセックス・ピストルズをテレビに出演させ、バンドは定期的に演奏しながら徐々にファン層を築いていったが、テレビ番組『Today』でのビル・グランディ騒動(放送禁止用語を連発し、抗議が殺到。この影響でEMIはバンドを解雇することになった)はイギリス中を驚かせてしまった。地方のメディアは、いつもセックス・ピストルズを温かく迎えたわけではない。エディンバラ・リンクス誌の1977年の11月号の皮肉な記事では、“パンクのステレオタイプになれなかった(とっても良い子たちなんだよ)”と報じ、明らかに編集者ががっかりしていたことがわかる。
Cash From Chaos (混沌が金を生む)
セックス・ピストルズはほぼ毎日と言っていいほど、常にタブロイド紙を憤慨させ、悪評のピーク時にはお堅い新聞社までも苛立たせたが、最も予想外だったのは金融方面ではウケたことだ。経済/投資/投機専門誌インヴェスターズ・レヴューでは表紙を飾り、“Young Businessmen Of The Year”と称された。しかし皮肉なことにそれが世にでるころは、1978年1月の全米ツアーの終わりでバンドが崩壊するたった数日前のことだった。
Written by Tim Peacock
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- 書籍『1977: The Bollocks Diaries As Told By The Sex Pistols』
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