セルジオ・メンデス「ベストヒットUSA」インタビュー:新作とSKY-HIやウィル・アイ・アムとの共演、過去の名曲について語る

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小林克也氏がMCを務め1981年テレビ朝日で始まり今も最新のヒットや名曲などを紹介し続ける音楽番組「ベストヒットUSA」。現在は毎週金曜日24時からBS朝日で放送されているこの番組に登場するアーティストたちのインタビュー「STAR OF THE WEEK」を放送前に少しご紹介。

2019年12月6日(金)深夜24時からの放送回では、ブラジル音楽界のスーパースター、セルジオ・メンデスが登場。全て新曲で構成された5年半ぶりのニュー・アルバム『In The Key Of Joy』が話題のレジェンドに、同い年の小林克也さんがポジティヴな人生観・名曲秘話を聞きました。


「新作は“パーティーだ!楽しもう!踊ろう!”という内容。まだやりたいことはたくさんあるけど、私は幸せだ」

小林克也(以下小林:いつ着いたの?

セルジオ・メンデス(以下セルジオ):着いたのは2週間か2週間半ほど前だ。ここからフィリピンのマニラにコンサートをやりにいった。そして日本に戻ってきてインタビューなどやって明日発つんだ。

小林:実は僕は君と同じ年に生まれたんだ。しかも君の誕生日はうちの母と同じ。古い日本の祝日でね。

セルジオ:2月11日だよ。何の日だい?

小林:日本の建国記念日なんだ。何百年も前からある建国記念日だ。ところで、ニュー・アルバム『In The Key Of Joy』の完成おめでとう。

セルジオ:ありがとう。またオリジナルアルバムを出すとは思わなかったよ。

小林:君は歩みを止めないね。

セルジオ:頑張っているんだ。この仕事が好きだからね。音楽、旅、いろいろなミュージシャンとの出会い、
文化との触れあい、そういう人生の冒険が大好きなんだ。

小林:君は多くの偉業を成し遂げてきた。まだやっていなことはあるの?

セルジオ:やってないことはあるよ。でも今はニュー・アルバムの出来に満足している。パーティーだ!楽しもう!踊ろう!という内容なんだ。僕は旅が大好きだし、やってないことはまだたくさんあるけれども、幸せだよ。

小林:5年ぶりのオリジナルアルバムなんですよね?作品の構想はいつ頃から?

セルジオ:もっと曲を書きたいと思っていたんだ。実際たくさん書いたよ。世界中からゲストを招いた。ブラジルからもね。日本からはSKY-HIという若手が参加してくれた。昨年出会った優秀なアーティストだ。僕が曲を書き、彼が日本語で詞を書いた。それを彼がラップし、すばらしいビデオも作ったんだ。嬉しかったよ。僕たちは違う世代の人間だが、彼は僕の曲を受け止め、すてきな参加の仕方をしてくれた。ビデオもすばらしいんだ。僕にとっては大きなサブライズだったね。

 

ウィル・アイ・アムとの出会い「ヒップ・ホップには色々な要素が含まれている」

小林:君は50年に渡り曲を書き続けてきたんだね。

セルジオ:そうだ。曲を作り、演奏し、そして…

小林:かなり練習するの?

セルジオ:あまりしない。怠け者なんだ。昔はちゃんと練習したけど今はあまりしない。ただツアーの前のリハーサルは、バンドと一緒にたくさんやるよ。

小林:今回の制作にあたっては、色々なアーティストに連絡をしたの?

セルジオ:ああ。日本の若手と何かやりたかったんだ。それはずっと考えていた。日本のレーベルの友人が日本の若手アーティストのビデオを紹介してくれたんだ。それでSKY-HIをとても気に入って、実際に会ってライブも見に行った。そして一緒に何かやろうと言った。自然な流れだった。

(c)Yusuke Baba

小林:コラボレーションといえば、2006年にブラック・アイド・ピーズとやった時はどうだったの?あのコラボもそんな感じだった?

セルジオ:そうだ。自然に決まった。リーダーのウィル・アイ・アムが、僕の家に来たんだ。彼は僕の曲をすべて知っているといった。本当だった。そして、彼らのアルバムの1曲でピアノを弾いてほしいと頼んできたんだ。僕は受けた。そして、その時に面白いことが一緒にできたらいいねと言ったんだ。それでアルバム「Timeless」ができたのさ。ヒップホップにはたくさんの要素が含まれている。ジャズにもなりうるしロックにもなりうる。僕はヒップホップやラップがビートだけでなく美しいメロディーに乗っているのが好きなんだ。ビートとメロディーがあると記憶に残る。

小林:最近、アメリカでヒットしているヒップホップはメロディックだよね。

セルジオ:多くの人がビートのループにラップをのせるけど、それは僕の好みじゃないんだ。メロディーとビートが合わさっているのが好きでね。ラップとメロディーとボーカルのコンビネーションに惹かれるんだよ。

小林:アメリカのアルバムーチャートを見ていると60%がヒップホップだね。どれもティーンエイジャーだったり20代だったりと若い。そして彼らはソフトでメロディックなラップを好む傾向があるし、実際それが流行っているように思えるよ。それについてはどう思う?

セルジオ:彼らのラップは音楽的な表現の形だ。ブラジルにもポルトガル語でラップをするラッパー達がいる。つい先日もインドのラッパーのビデオを見た。ラップは若者が好む言語なんだ。ラップを美しいメロディーとリズムに合わせると最高だ。面白いものができる。ぼくはメロディー好きなんだ。

小林:クインシー・ジョーンズが、ラップはアフリカでは何千年も前からある音楽だと言った。新しいものではなく、ずっとあるものなんだと。言い換えると、音楽の流行は繰り返す。君もそう感じる?進化しながら…

セルジオ:ブラジル音楽はアフリカで生まれたんだ。リズムも同じさ。ジャズもアフリカで生まれた。アフリカはすばらしいリズムやメロディーを我々にもたらしてくれた。

 

セルジオ・メンデスとビートルズ。偉大な巨匠との仕事

小林:セルジオ・メンデスをビートルズと比べる説があるよね。ビートルズは50年代にプレスリーに出会いグループを結成した。その頃、地球の裏側ではボサノバの波が来ていて君は当時10代で、自分のグループを結成した。リバプールでビートルズが生まれたのと同時期だね。

セルジオ:その通りだ。僕はビートルズのメロディが大好きだ。とてもメロディックでサウンドも特別だった。「The Fool On The Hill」を録音したのを覚えているよ「With A Little Help From My Friend」もね。ブラジル風のアレンジを加えたんだ。

小林:かなりオリジナルとは違っていたよね。

セルジオ:そうだ。気に入ってる。グルーヴ感があり、クールだった。

小林:あれは新しかった。それがずっと続いているんだね。

セルジオ:ああいうことを多くのアルバムでやってきた。ヘンリー・マンシーニやコール・ポーター…ビートルズも。今挙げたのはソングライターたちだ。ビートルズもそうだし、バート・バカラックも…。要するにメロディーが大好きなんだ。

小林:「The Look Of Love」とか。あれは最高だった。ブラジル風にアレンジして、あれは傑作の1つだね。50年代から70年代にかけてアメリカと行き来していたよね。

セルジオ:その時にジャズの巨匠たちと出会ってアルバムを一緒に作った。キャノンボール・アダレイなどだ。当時、クインシーにも出会ったんだ。

小林:音楽的に、そこで何を学んだの?

セルジオ:僕は好奇心旺盛で、学ぶのが好きなんだ。偉大なジャズの巨匠とも一緒に制作をした。キャノンボールもそうだし、他にもたくさんいた。フィル・ウッズやアート・ファーマー。すばらしい経験だったよ。目の前に尊敬してやまない人がいて、その人と一緒に働けるなんてすごいことだ。フランク・シナトラとは2度も一緒にツアーをしたんだよ。フレッド・アステアが「The Look Of Love」に合わせて踊ってくれたこともあったっけ。どれもすばらしい出会いだった。そのような機会があってとてもラッキーで恵まれていたと思う。

小林:何か共通点を感じたの?

セルジオ:いつもそうだった。彼らも僕もいい曲を書いている。曲がすべてなんだ。

1962年アメリカへ本格的進出。A&Mとの契約と「Más Que Nada / マシュ・ケ・ナダ」の誕生

小林:アメリカのマーケットは他と似ていた?

セルジオ:1962年に初めてアメリカに行ったんだ。カーネギーホールでボサノヴァのコンサートがあったんだ。そのとき、キャノンボールとアルバムを作った。クインシーにもジョージ・シリングにもディジー・ガレスピーにもその時出会った。1962年当時、スタン・ゲッツやディジーなどジャズ・ミュージシャンは、ブラジル音楽の美しさやオリジナリティに魅了されていた。ビバップの後の時代だ。多くのジャズ・ミュージシャンが、ブラジル音楽の美しいメロディーやハーモニーに夢中になったんだ。そしてブラジリアンのアルバムを制作した。それがブラジルから出て来た僕にはちょうどよかった。皆がブラジル音楽に興味を持っていたからね。

そういったジャズ・ミュージシャンたちが外国人のパフォーマーたちをアメリカの音楽家のユニオンに加入させたと理解しているんだけど。そのトラブルは僕にはなかった。そのことは知らないんだ。シェリー・マンやバド・シャンクは入国管理局に手紙を書いて… シェリーのクラブで仕事をしたことがある。バド・シャンクも一緒に働いたものだ。彼らは僕の音楽を大切にしてくれた。そのクラブは今L.A.にあるよ。キューバなどいろいろな国のミュージシャンがL.A.に住んでいたからだ。もしかしたら彼らが僕を音楽家のユニオンに紹介してくれたのかもしれない。だが言われてみると、確かにシェリーやバド・シャンクが、僕をユニオンに紹介してくれたのかもと思う。今もそこに所属してるんだよ。

小林:レコード契約の手伝いも?

セルジオ:当時ライブで演奏するにはユニオンに所属していなくてはならなかったんだ。僕はハープ・アルパートとジェリー・モスの会社、A&Mレコードと契約を結んだ。あの時はうれしかったな。

小林:アメリカで自分の音楽をやるにあたって一番大変だったのは何?音楽的に受け入れられるために大変だったのは?

セルジオ:情熱を持って、自分を信じていれば、しばらくは大変でも、最終的にはポジティブな結論にたどり着く。僕はとにかく頑張り続け、たくさんリハーサルをして全力を尽くしたのさ、

小林:「Más Que Nada」はどのように生まれたの?

セルジオ:ブラジル時代から演奏していた。レパートリーの1曲だったんだ。A&Mのハープ・アルパートの前で演奏したら、すごく気に入って録音しようということになった。それが大ヒットした。40年後にブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムとまたやることになったんだから。すばらしいメロディーを持つ名曲だ。その一部になれて、誇らしいと思っているよ。

 

小林:旅が好きなんだよね。

セルジオ:そうだ。時差ボケがキツい時もあるけどね。

小林:聞きたいことがある。なぜあなたは日本でこれほど人気があるのだろう?「Más Que Nada」のメロディーが日本人にうけたんだ。心にひっかかるんだ。小さな子も好きなメロディーだ。世界中で人気だけど、日本が特にすごい。ふさわしい時にふさわしい場所で受け入れられたんだと思う。

セルジオ:うれしいし、誇りに思っているよ。あの曲を演奏出来てただただ嬉しいんだ。イントロを弾いただけで誰もが気づく。あの5音だけでね。

小林:今回のアルバムでもツアーをするの?

セルジオ:したいと思っているよ。できるなら、オリンピックで「Más Que Nada」を演奏したいね!!それができたら最高だ。

小林:アジアのツアーもだが、ヨーロッパはどう?

セルジオ:大好きなのは日本だが、いろんなところでやったよ。タイにマレーシア、フィリピンでは何度もやった。シンガポールや香港でもやった。アジアにくるのは大好きだ。

小林:今日はどうもありがとう。

 

セルジオ・メンデスの登場は、2019年12月6日(金)深夜24時〜BS朝日で放送の「ベストヒットUSA」。お楽しみに!

番組公式サイトはコチラ!https://www.bs-asahi.co.jp/usa/


セルジオ・メンデス『In The Key Of Joy』
2019年11月27日発売
国内盤CD / iTunes / Apple Music / Spotify



 

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