エリオット・スミス『Roman Candle』:未完成で突発的な疲れ果てた苦しみの叙事詩
1994年時点ではのエリオット・スミス(Elliott Smith)本人も含め、彼が授賞式、しかもオスカーでパフォーマンスを行うなんて想像もしていなかった。しかしデビュー・アルバム『Roman Candle』が発売された4年後に、少しだけシワのある白いスーツを着て、映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』のサントラに収録され、最優秀オリジナル・ソングにノミネートされた「Miss Misery」の演奏を披露したエリオット・スミスは、緊張のあまり顔を上げることすら殆どできなかった。
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今その映像を見ると、その瞬間がどれだけ特別なものだったかが分かるが、今となっては、彼のキャリアの上では、ハイライトというよりも些細な事柄だったとさえ思える。なぜなら、後に彼は同世代から最も愛される作曲家の一人となり、高まり続ける野心、巧妙なメロディー、そしてほろ苦い美しさを兼ね備えた何枚ものアルバムを発表していったからだ。
その全ては『Roman Candle』から始まった。そのデビュー作品は、私たちにある不思議な質問を投げかける、アルバムがアルバムではない時はあるのか?
多くの初期ロックン・ロール作品、そしてエリオット・スミスが敬愛するビッグ・スターの『Third/Sister Lovers』などの作品がそうであるように、エリオット・スミスは特に『Roman Candle』をひとつのアルバム作品として作ったわけではない。ティーンだった頃から多くの曲を溜め込んでいたが、それらの楽曲は騒がしいグランジ寄りのロックをやっていたヒートマイザーには相応しくなかった。ヒートマイザーは、エリオット・スミスがヴォーカルとギターを担当していたポートランドのポスト・ハードコア・バンドだった。
彼が書く曲は控えめで、静かな自信に満ち溢れ、バンドで演奏するには繊細すぎるものだった。当時のヒートマイザーのマネージャーであり、エリオット・スミスのガールフレンドだったJJ・ゴンソンは、彼がバンドとは別に作っていた曲の存在を知っており、シンプルな器材だけを使って彼女の地下室でデモを録音し、キャヴィティ・サーチ・レコードの共同創立者であるデニー・スウォフォードに渡すようにすすめた。
彼のデモテープは地元で出回り、そのとてもシンプルなアコースティック・フォーク/ポップのハイブリッドは音楽通の人々を夢中にした。エリオット・スミス自身がそのことを把握していたかどうかは議論の余地があるが、スウォフォードは彼にそのままのかたちでリリースするように説得。2人は握手を交わし(当時契約書はなく、リリースの過程そのものが地味だったことを象徴している)、1994年7月14日に『Roman Candle』が発売されると、まるで沁み渡るかのように彼の曲は徐々により大きな世界へと広まっていった。
このアルバムを今聴くと、エリオット・スミスのキャリアの序曲だったと言える。未完成で突発的、そしてシャイな9つのトラックは、彼が後に作り上げていくものの糸口を露わにしている。予想に反して、満足感を与えてくれるコード進行を巧妙なメロディーで飾り付ける彼の類まれな才能、人々の混沌とした生活をあるがままに描写するストーリー、深い幻滅と落胆について優しく歌われるリリックこそが彼が作り出したものである。後にリリースされた『XO』や『Figure 8』などのアルバムでは、彼がアレンジに関してより大胆になっていったことがわかるが、『Roman Candle』は最初からありのままで十分であったことを証明している。
そのすべてはタイトル・トラックから始まる。エリオット・スミスは、ギターをかき鳴らすのではなく、まるで誰かを起こしてしまうのを恐れるかのようにずっと弦に軽く触れている。リスナーはそれに耳を傾け前かがみになり、本当の親密な関係を築いていく。ファンたちは大好きなアーティストと近付けるその感覚を大切にしている。全てを解きほぐすかように感じられるブリッジの部分は、エリオット・スミスの死後発売された『From A Basement On The Hill』を思い出させる。「Condor Avenue」の美しいメロディーや独立したヴォーカルは彼の才能を象徴し、アルバム後半のトラックの多くは疲れ果てた苦しみの叙事詩でその最初のトラックとして「Last Call」が収録されている。
今も崇められているエリオット・スミスの作品群の観点から言うと、『Roman Candle』は後に続く作品の導火紙の役割を果たしているといえるだろう。
Written By Jamie Atkins