パワー・バラード特集:ハード・ロックやへヴィ・メタルにつきもののソフトな側面
「ヘヴィ・メタル」、「ハード・ロック」。世界中の臆病なポップ・ファンを怖がらせる言葉である。 この2語を1回唱えてみよう、拳を握りしめてしまうはずだ。2回唱えれば、いつの間にか額の血管が膨張するだろう。3回唱えれば、冥界の片隅から呼び出された悪魔が、ピッチフォークを持って現れるに違いない。そしてもっと激しいメタルのサブ・ジャンル、スラッシュ・メタルやブラック・メタルやデス・メタルも存在する。こうしたサブ・ジャンルは、さらなる恐怖と不安を掻き立てるに違いない。
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とはいえこれらのジャンルに違った側面はないのだろうか? メタルの世界にも、よりソフトな側面があるはずだ。長い冬の夜、暖炉の前で聴くような曲もあるのではないだろうか?その問いの答えはイエスだ。獰猛な野獣のごとく叫び声を上げるメタルにも、善良な妖精は存在する。権威を振るう邪悪な悪魔とのバランスを取っているのだ。エモーショナルで、力づけられる楽曲。愛する人と一緒にライヴで聴けば、自然とライターを左右に振りたくなるはずだ。テクノロジーが発達した現代では、ライターの代わりに携帯電話が使われることが多い。
これらは‘パワー・バラード’と呼ばれるもので、さまざまな聴き方がある。アルバムには熱く激しいトラックがひしめく中、クールに落ち着けるようアルバムに戦略的に配置されていることもあれば、心を射抜くような愛の歌を集めたコンピレーションに収録されていることもある。性的な歌詞ではなくプラトニックな愛を歌った楽曲を、高揚感のあるサウンドで聴くと、普段は強面で滅多に弱さを見せないメタル戦士たちも、目を潤ませ、胸をいっぱいにするほどだ。
もちろん、全てのバンドが暗い愛の小径を歩くわけではない。例えばマノウォーは、ヘヴィ・メタル街道のど真ん中を驀進することを好み、「Metal Warriors」で歌われるところの「弱虫やミーハー / Wimps and Posers」をなぎ倒そうとしている。しかし、感情が絡むあらゆる事柄と同様に、パワー・バラードへの対応はバンドによってそれぞれ違う。
1980年代、どんなに奇抜でハードな衣装を着ていても、ロック・バンドであれば、アルバムの中にドラマティックなバラードを収録するのがお約束だった。こうしたバラードは、厳選された名曲のカヴァーとともに、ハード・ロック系の男性アーティストが、アメリカのレコードのプロモーションに不可欠なラジオでのエアプレイを獲得する手法でもあった。
例えば、80年代半ばに活躍したロサンゼルスのバンドW.A.S.P.は、1984年のセルフ・タイトルのデビュー・アルバムの中に「Sleeping (In The Fire)」という美しいバラードを収録している。同バンドのフロントマンのブラッキー・ローレスは、股の間にチェーンソーの刃を挟み、「俺は野獣のようにファックする!」と叫んでいた人物にも関わらずだ。
バレンタイン・デーのようなロマンティックなイベントとは一切関係なさそうなハードなバンドですら、恐れることなくアコースティック・ギターを取り出し、アンプの音量を下げて愛を感傷的に歌った。これを証明できるだけの統計はないが、筆者の勘では、アメリカのメロディックなロック・グループ、ボン・ジョヴィの「I’ll Be There For You」や「Bed Of Roses」は、バリー・ホワイトの曲と同じくらい、子作りに貢献したはずだ。
ブロンドの髪、映画スターのようなルックス、真っ白に光る歯を持つボン・ジョヴィのフロントマン、ジョン・ボン・ジョヴィはパワー・バラードの申し子で、いくつもの美しいバラードを見事に歌い上げた。彼は英国のメタル専門誌Kerrang!誌初のポスター・ボーイだった。同誌の見開きページに載るために、血や臓物にまみれる必要などなく、そのままのルックスのみで勝負できるミュージシャンだったのだ。ボン・ジョヴィのパワー・バラードで、世界中の女性が恋に落ちたのだ。
ボン・ジョヴィが1984年に初めて英国ツアーを行ったのは、KISSの前座としてだった。KISSはコミック・ブック的なイメージと、熱いステージ・ショウで知られるニューヨーク出身の伝説的なバンドだ。激しく派手なバンドだが、彼らにとって最大のヒットはバラードだった。その中で代表的な楽曲は「Beth」という曲で、ボブ・エズリンのプロデュースによる1976年の名盤『Destroyer(邦題:地獄の軍団)』に収録されている。メガ・ヒットにありがちな話だが、この曲は当初シングル「Detroit Rock City」のB面に収録されていた。しかし、DJたちがこぞってB面の「Beth」をヘヴィ・ローテーションし、大ヒットとなったのだ。
「Beth」は、KISSの初代ドラマー、ピーター・‘キャットマン’・クリスのペンによるもので、名プロデューサーのボブ・エズリンがスタジオで稀代の名曲に仕上げた。ライヴで披露する時には、ピーター・クリスはドラムキットから離れてスツールに座り、前方の女性客に薔薇を投げるのが定番だった。正直な話、パワー・バラード好きにとって(隠れファンであっても)、これほどの名曲はないだろう。しかし、聴くと元気になれる壮大なロックであれば、アメリカ出身のバンド、スティクスを聴くべきだ。
例を挙げてみよう。スティクスの「Babe」は、パワー・バラードにぴったりなタイトルで、砂糖の海に浮かぶマシュマロのボートに乗りながら、綿菓子で包んだかのようにスウィートな曲でもある。それほどまでに素晴らしいのだ! 聞いているとあらゆる感情が、幾度となく、徐々に強く刺激されていく。そしてコーラスは、翼をつけると空を舞い、メロディックなハード・ロックの天国へ向けて進んでいく。万歳! と叫びたくなるほどだ。
しかし、さらにポイントが高い楽曲があるとすれば、アニメ番組「サウスパーク」の企画盤『Chef Aid: The South Park Album』(1998年)に収録されたアニメキャラ、カートマンによるスティクスの「Come Sail Away」のカヴァーだろう。
もちろん、パワー・バラードがアイコニックな地位を獲得しているからこそ、『サウスパーク』のような人気番組が、パワー・バラードを大々的にパロディとして取り上げられたのだろう。番組ではスティクスが使われているが、エアロスミスが使われてもおかしくなかったはずだ。アルバム『Permanent Vacation』に収録された「Angel」(1987年)は、全盛期のジャーニーが歌っていたバラード並みに感動的なパワー・バラードの名曲だ。
ロサンゼルス出身の5人組、ガンズ・アンド・ローゼズの影響力も間違いなく大きい(特に「Sweet Child O’ Mine」)。彼らのスタイルと、とことんロックン・ロールな態度は、70年代半ばのエアロスミスや、フィンランドのハノイ・ロックスの中間に位置する。ガンズ・アンド・ローゼズのことを知らない音楽ファンは、おそらく温室育ちで清廉潔白な人生を送ってきた人々だろう。しかし、少なくとも学校のない日の夜にワイルドな側面に裸足で踏み込むことをも厭わない我々のような音楽ファンは、ガンズ・アンド・ローゼズを1980年代で最重要のロック・バンドと評価するに違いない。そして、『Use Your Illusion I』に収録された「November Rain」は、当時としては最も豪華で高価なビデオを擁したパワー・バラードだ。
富と名声へのかかわり方は、人それぞれだ。万一の場合に備えて、慎ましく暮らす者たちもいれば、富を誇示して、とことん人生の旨味を味わおうとする者たちもいる。ガンズ・アンド・ローゼズは後者で、人生の酸いと甘いを混ぜ合わせ、自分たちの伝説とすると、ハリウッドの映画スターのように派手に世間を賑わせた。
トミー・ヴァンスがレディオ1で放送していたロック番組で、筆者は初めてガンズの「November Rain」を聞き、その強烈な熱意にすぐさま魅了された。全米ナンバー・ワンとなったエクストリームのシングル「More Than Words」を初めて聞いた時のことは思い出せない。しかしこの2曲は、別の太陽系の、別の惑星で生み出され、レコーディングされたかのように全く異種ものである。
エクストリームのアルバム『Pornograffiti』(1990年)はミュージシャンやファンから等しく愛された。同アルバムはアコースティックでロマンティックな「More Than Words」を収録し、楽しめる作品だったことは確かだ。
1991年、ブライアン・アダムスの「(Everything I Do) I Do It For You」は、あらゆる場所でひっきりなしにかかっており、英国チャートでは、16週連続ナンバー・ワンを記録。「More Than Words」と同様、これも実際は、素晴らしいキャリアを誇るカナダ人ソングライターが念入りに作った良曲である。ブライアン・アダムスは、KISSの『Creatures of The Night』(1982年)に楽曲を提供していたほか、メロディ重視のロック・ファンならば、ブライアン・アダムスの初期の作品(特に1983年『Cuts Like A Knife』)の実績を覚えているはずだ。
さらに、ロマンティックなパワー・バラードの傑作とされる曲が好きならば、名匠ボブ・クリアマウンテンが共同プロデュースしたブライアン・アダムスのアルバム『Reckless』収録の「Heaven」に勝る曲はない。情感に溢れながらも壮大という稀有な同曲には、パワーコードも盛り込まれてあり、最高に弱虫な天使でも、安全に身を守ることができる。
1980年代、ブライアン・アダムスは筆者の友人の妹と付き合っていたため、私も彼と知り合ったが、リッチー・ブラックモアと仲良くなれたようには、ブライアン・アダムスとは近い関係にはなれなかった。ディープ・パープルのレジェンド/レインボーのフロントマン、リッチー・ブラックモアとは、レインボーの『Bent Out Of Shape』(1983年)のフォト・セッションをきっかけに親しくなった。なお、同アルバムには、フォリナー的なパワー・バラードの名曲、「Street Of Dreams」が収録されている。
この頃、レインボーはキャリアの第二期に入っていた、1982年の『Straight Between The Eyes(邦題:闇からの一撃)』(1982年)の「Stone Cold」をはじめ、パワー・バラードという観点では大きな成功を収めた時期だ。バンドの初期、偉大なシンガー、故ロニー・ジェイムス・ディオがバンドを率いていた頃のレインボーは、よりドラマティックで中世的な様式美を持っており、伝説や民話が楽曲を特徴づけ、激しいドラムや壮大なリフが楽曲を支えていた。そして、時折登場する静かな曲は、中世的な魅力で飾り立てられていた。
しかし、ロニー・ジェイムス・ディオの脱退後、レインボーの音楽はよりコマーシャルな方向へと転換する。グラハム・ボネットやジョー・リン・ターナーといった後任のシンガーは、パワー・バラードを喜んで歌い上げた。初期のレインボー・ファンは、バンドの決断を完全には支持できなかったが、リッチー・ブラックモアのソングライターとしての手腕と、ギターからリアルな感情を引き出すその才能を否定することなどできなかった。リッチー・ブラックモアに敬意を!
レインボーの音楽的スタンスは、パワー・バラードを中心に据えるものではなかった。これは、シンデレラやテスラも同じだった。どちらも正統派かつ、ブルージーで骨太なアメリカのバンドで、2バンドの本質はデビュー・アルバムを聴けば分かるだろう。
テスラのデビュー・アルバム『Mechanical Resonance』(1986年)は、ガンズ・アンド・ローゼズが制覇しようとしていたカテゴリーにほど近く、シンデレラのデビュー・アルバム『Night Songs』(1986年)は、最初から最後まで素晴らしいリフの嵐だった。両アルバムともヒットしたが、『Night Songs』の成功は、ロック界の陳腐なお約束を詰め込んだジャケット写真によるものでないことは確かだろう。続くシンデレラのセカンド・アルバムの『Long Cold Winter』(1988年)のジャケットは、白地にバンドの名前のみが冠されていた。なお、同セカンド・アルバムには、彼らにとって初めてのパワー・バラード「Don’t Know What You’ve Got (Till It’s Gone)」が収録されている。シンガーのトム・キーファーは、同曲をハスキーな歌声で情感たっぷりに歌い上げているが、ある程度年齢の行ったロッカーは歌うことを躊躇するような楽曲だろう。
テスラは、1989年のアルバム『The Great Radio Controversy』に収録の「Love Song」でアメリカのラジオプレイを獲得し、より幅広いファンを掴み始めたが、新しいファンの大半はカップルだった。本格的なギター・ソロで強化された甘美な「Love Song」は、ヴァレンタイン・デーに最適だろう。テスラの最高傑作とは言えないが、ニコラ・テスラ(電気技師/研究者)に因んで名づけられたバンドらしく、恋愛中のカップルの間に愛の火花を散らし、恋人のいない者たちに悲しさと寂しさを実感させる1曲となった。
火花といえば、ピーター・フランプトンの「Baby, I Love Your Way」がかかった時、ゾクゾクする感覚は止められない。TOTOの「Africa」にも明らかに影響を与えたヴァースに、神聖な愛を歌ったコーラスを加えた同曲は、ロングヘアの英国人アーティスト、ピーター・フランプトンが作曲して歌った。まだロマンスを完全に諦めておらず、人里離れたスコットランドの島で隠遁する気がない全ての人のレコード・コレクションで大切にされるべき1曲だ。つまり、まだ愛に対する希望も欲望も失っておらず、ホワイトスネイクのミュージック・ビデオに登場するデイヴィッド・カヴァデールのように愛を渇望している人には、強くお勧めできる1曲である。
もちろん、ピーター・フランプトンは、ライヴ・アルバム『Frampton Comes Alive!』(1976年)で大成功を収めたことで最も良く知られており、多くのアーティストが彼に倣って後に続いた。そして、同作品に収録されている「Baby I Love Your Way」のライヴ・ヴァージョンは、オリジナルよりも素晴らしい。
アメリカのロック・バンド、フーバスタンクも、バラード(パワー・バラードよりも落ち着いた楽曲だ)で最大の成功を収めた。その楽曲とは、「The Reason」で、同曲のミュージック・ビデオはYouTubeで4億回以上も再生されている。
このビデオのオープニングはあまりロマンティックではなく、悲しいことに魅力的な女性が車に轢かれてしまうのだが、最後はハッピー・エンドで、不死鳥のようによみがえると、バンド・メンバーのオートバイの後ろに乗って去っていく。残念ながら、現実の世界では、物事はこんな風にうまくは行くわけではないが、これは現実の世界ではなく、音楽だ。いや、パワー・バラードという、音楽以上のものなのだ。パワー・バラードの世界に不可能はない。ユニコーン、澄んだプール、生き返った女性。柔らかいフォーカスをかけ、キャンドルを灯した世界の中では、恋人同士が手を繋ぎ、心は傷つき,髪は優しい夏のそよ風に揺れ続ける。
抵抗などしない方がいい。流れにまかせ、愛のキャンドルを灯そうじゃないか。
Written By Richard Havers
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