ソフト・マシーン創設メンバー、ロバート・ワイアットのサウンドへの冒険
ジャズ・ロック・エクスペリメンタリストのソフト・マシーンの創設メンバーであり、非常に独特でカリスマ性溢れるソロ・レコードの一連を発表したシンガー、ソングライター、そしてマルチ・インストゥルメンタリストのロバート・ワイアットは、音楽界において非常にユニークで崇拝される立場に置かれている。
1945年1月28日にブリストルで生まれ、1966年にソフト・マシーンの創設メンバーとして、のちにカンタベリー・シーンと言われるようになった音楽シーンに携わった。ソフト・マシーンがフュージョン・ロックのジャンルに与えた影響は、今日でも根強く感じられる。ソロ・アーティストとしては、独特の声、型破りな歌詞、メロディ展開を特徴とした様々なアルバムをリリースしており、さらに似つかわしくないチャート・シングルも2枚存在している。
その最初のチャート・シングルは1974年のことで、窓から転落して下半身不随となって1年が経った頃、意外にもモンキーズの「I’m A Believer」をカヴァーし、全英トップ30を達成した。それは『Top Of The Pops』での記憶に残る(当て振りの)パフォーマンスに繋がった。ロバート・ワイアットは車椅子で出演し、シングルのプロデューサーだったピンク・フロイドのニック・メイソンがドラムを演奏した。
「NMEかメロディー・メイカーで、自分はすごくポップ・ミュージックが好きだという話をしたことがあって」とロバート・ワイアットはのちに振り返り、当時のありそうもないポップへの冒険についてアンカット・マガジンに語った。「私にとっては産業時代のフォーク・ミュージックで、土曜日にみんなが歌って踊る音楽のことなんだと。するとヴァージン・レコードのサイモン・ドレイパーがそれを見て私のハッタリを見抜いて、“本当にポップ・ソングをやる?”と聞いてきた。‘Last Train To Clarksville’をやる予定だったんだ、あれは好きだったから。でもなんかわからなくてしまって」。
そのシングル・チャートへの登場は、アルバム『Rock Bottom』に続いたもので、アルバムもシングル同様、ニック・メイソンがプロデュースし、さらにマイク・オールドフィールドやアイヴァー・カトラーなどの友人たちも参加した。そして1982年、ロバート・ワイアットはエルヴィス・コステロのフォークランド紛争について語った感動的な「Shipbuilding」を最初にレコーディングしたヴァージョンでリリースし、翌年にトップ40を達成した。
ロバート・ワイアットが他のアーティストの作品へ貢献した中には、シド・バレット、ケヴィン・エアーズ、ジョン・ケージ、デヴィッド・アレン、ブライアン・イーノやビョークと、1度の音楽人生の中でこれほど多くの同じように音楽的な冒険をする仲間たちが挙げられる。
Written by Paul Sexton
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