グレン・フライを偲んで:イーグルスを支え、ソロでも活躍したアーティスト
偉大なアメリカのミュージシャンで、長い間にわたってイーグルスのメンバーだったグレン・フライは、「Tequila Sunrise」「Lyin’ Eyes(いつわりの瞳)」やその他数多くの曲でリード・ヴォーカルを務めた。2016年1月18日、享年67歳で残念ながらこの世を去るまで、6つのグラミー賞を受賞し、何十年にも亘り世界中からの賞賛を浴びている。
彼の死について、グレン・フライの遺族、バンド・メンバー、そしてマネジメントは彼のウェブサイトにメッセージを寄せていたた。
「グレンはこの数週間にわたり、勇敢に闘病し続けたが、残念ながらリウマチ性関節炎、急性潰瘍性大腸炎、肺炎によって亡くなりました。フライ一家は、グレンがこの戦いに打ち勝つことを祈り続け、ともに戦ってくれた皆様に感謝しています。私たちの深い悲しみも、グレンが私たち家族、音楽コミュニティ、そして世界中のファンに与えてくれた愛や敬意を言葉で表現することはできません」
グレン・フライは、ソロ・アーティストとして1984年に世界的なメジャー・ヒット「The Heat Is On」を発表し、続く「You Belong To The City」「Smuggler’s Blues(運び屋のブルース)」や「True Love」ではさらなる成功を収めた。5枚のソロ・アルバムのうちの最後の作品だった『After Hours』は2012年にリリースされている。
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1948年にデトロイトで生まれたグレン・フライは、イーグルスのメンバーとして6つのグラミー賞を受賞。1971年にイーグルスを結成、キーボード・プレイヤーとギタリストとして活躍した。その頃にはすでに地元での経験は積んでおり、デトロイトのロック・ヒーローだったボブ・シーガーの初期のヒット「Ramblin’ Gamblin’ Man」で歌い、リンダ・ロンシュタットのバンドのメンバーを務め、そこで初めてドン・ヘンリーと同じくオリジナルのイーグルスのメンバーだったランディ・マイズナーとバーニー・レドンと活動した。
イギリスのグリン・ジョンズがプロデュースしたイーグルスの1972年のセルフ・タイトルのデビュー・アルバムで、グレン・フライは友人でルームメイトだったジャクソン・ブラウンと共作し、初期のバンドのトレードマークとなった「Take It Easy」「Peaceful Easy Feeling(愛のやすらぎ)」そして「Chug All Night」の3曲でリードを歌った。
1970年代にバンドがさらに成功を遂げると、グレン・フライはバンドのサウンドの中心として活躍し、多くの場合は最も頻繁にバンドのリード・シンガーを務めたドン・ヘンリーとの共作で楽曲を制作した。その作品には「Lyin’ Eyes」「Take It To The Limit」そして1975年の『One Of These Nights(呪われた夜)』のタイトル・トラックも含み、さらにグレン・フライは、1977年のマルチ・ミリオン・セラー『Hotel California』に収録された9曲のうち7曲を共作し、繊細でニュアンス溢れる「New Kid In Town」でリードを歌った。
1980年代と90年代にイーグルスが活動休止している間には着実なソロ・キャリアを築き、前述のシングルや『No Fun Aloud』『The Allnighter』などのアルバムを発表した。そしてイーグルスが第2期の活動を再開すると、1994年以降のアルバムや大成功を収めた全米そしてワールド・ツアーにおいてもグレン・フライは中心的な役割を果たしたのだ。
Written by Paul Sexton
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