ギリシャ時代のヴァンゲリスとRCAからの3作目『Spiral』
手短に言うと、1977年はパンクの年だった。もしくはサタデー・ナイト・フィーバーの年だったとも言える。しかし、他のこともそうであるように、大きな全体図から言うともっと矛盾したものであり、より幅広い色で彩られていた。コンクリートの地下道で出会うパンクな若者一人がいるとすると、ボロボロになったバンドのロゴ入りコンバット・ジャケットを着てリック・ウェイクマンや冨田勲、そしてヴァンゲリスのシンセ溢れるアルバムを手に家路を急ぐ20人のティーンがいたと言っても間違いないだろう。
ヴァンゲリス・パパサナシューは、独学の天才キーボード奏者で、60年代には母国ギリシャにてすでにフォーミンクス、そして後にアフロディテス・チャイルドへと名前を変えたザ・パパサナシュー・セットとして成功を収めていた。ベースとヴォーカルにデミス・ルソスを迎えたアフロディーテズ・チャイルドはヨーロッパでその名を世に知らせ、胸が張り裂けるようなバラードとギリシャ人としての要素が含まれたエキサイティングなサイケデリック調のロックを不安定に融合している。1972年にバンドとして最後の作品となった衝撃的な作品『666』が発売されたが、ヴァンゲリスはすでに後にソロ・キャリアを特徴付ける映画やテレビのプロジェクトに乗り出していた。まずはアンリ・シャピア監督の1970年の『Sex Power』のサントラに最初に取り掛かった。
1974年にロンドンへ移ったヴァンゲリスは、マーブル・アーチ近くのハンプデン・ガーニー・ストリートにネモ・スタジオを作った。サウンズ誌との1977年2月のインタビューによるとそこで一日10時間から12時間仕事をして過ごしたそうだ。タイミング良くRCAと契約を結んだことにより1975年に『Heaven And Hell』、1976年に『Albedo 0.39』(地球の反射率を表す数字)、そして1977年に『Spiral』を発売した。
それまでに発売した2枚のアルバムほど有名ではないが(恐らく、セックス・ピストルズの泣く子も黙る『Never Mind The Bollocks(邦題:勝手にしやがれ!)』と同じ画期的な年に発売されてしまったのが理由のひとつだろう)、それでも『Spiral』は控えめなメロディで作られるシンプルさ、そして時の流れと共に良く熟成されるダイレクトなアプローチを誇りを持って披露している。タイトル・トラックのシーケンサー・リフは、リズムのディレイと幅広いステレオのパンに引き出され、「Ballad」の勇ましいコード使いはリバーブの効いたヴォーカルと勢いある断続的な半音級のハーモニカによって和らげられている。
「回転することによって宇宙のらせんを発生させる托鉢ダンサーからインスピレーションを得た」と言われる「Dervish D」は、その時代で最もロボット・ファンク色の濃い楽曲で、“3+3”の興奮するシーケンサー・パターンは聞く者に初期のレイヴのような脳への刺激を錯覚させるが、実際には即座に気だるい6/8ワルツが重なり合わさってくる。しかし「To The Unknown Man」では、アルバムの最も揺るぎないメッセージが込められており、その明快で覚えやすいメロディ・ラインでシングルとして発売された。そしてこの曲は遅ればせながら、1979年にシェフィールドのクルーシブルで開催されたビリヤードの一種であるスヌーカーの世界選手権を取り上げたBBCの番組にて使用されたお陰で、思いもよらない注目を浴びることになった。
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ヴァンゲリス『Spiral』