A&Mが拒否したキャプテン・ビーフハートの“親しみやすい”1枚『Safe As Milk』
キャプテン・ビーフハートのキャリアは決して一直線ではなかった(特にストレート・レーベルから発売されたアルバムもそうである…しかし、それはまた別の話になるのでここでは語らないが)。1967年に発売され、彼の“親しみやすい”と言われている初期の作品『Safe As Milk』でさえも予想外に迂回しながら届けられたようで、デルタ・ブルースから軽いポップまで様々な影響が衝突し合っている。そして「Zig Zag Wanderer」(“踊っていいよ/跳ね回っていいよ/古くなった木材を凍結して/光線で攻めればいい”)といった相応しいタイトルを付けられた連発する難解なリリックが特徴的である。
1966年にA&Mからシングルを数曲発売しているにも関わらず、レーベル側はそれに続くデモをアルバムとして発売したらリスナーがきっと当惑するだろうと考え発売することを保留。そこでキャプテン・ビーフハートはカーマ・スートラ・レコードの副社長であるボブ・クラスノウにデモを持っていった。ボブ・クラスノウはキャプテン・ビーフハートとマジック・バンドのデビュー作品を1967年9月に発売することを承諾。駆け出しのギタリストのライ・クーダーを迎え多数のギターとパーカッションを任せたことはまたひとつ大成功に繋がった要素で、ライ・クーダーは『Safe As Milk』で正真正銘のアメリカーナをしっかりと半分取り入れていることを守り、もう半分ではキャプテン・ビーフハートに自由に空想の世界に脱線させることを許した。
真のブルースの影響と、キャプテン・ビーフハートがそれを破壊しようと試みたお陰でオープニング・トラック「Sure ’Nuff ‘N’ Yes, I Do」や画期的な「Electricity」のような完璧な曲が作れたのかも知れない。「Sure ’Nuff ‘N’ Yes, I Do」を通じてブルースの傑作「Rollin’ And Tumblin’」を乗っ取ろうと試みるキャプテン・ビーフハートは自分の存在を世に示している。“砂漠で生まれた俺はニューオーリンズへやってきた”と歌いながら、本名ドン・ヴァン・ヴリートとして生まれた男は数々の伝説を生み出す宣言を最初にした。しかし「Electricity」でキャプテン・ビーフハートの本当の伝説が始まる。苦しそうに奏でられるテルミン、混乱するスライド・ギター、そしてキャプテン・ビーフハートがそのヴォーカルで電気の音を真似ており(彼の声があまりにもパワフル過ぎてレコーディング・セッションでマイクを壊したと言われている)、テスラコイルが交尾しているかのように聴こえる。
『Safe As Milk』は連発される圧倒的なサウンド攻撃からまた別の攻撃へと変わっていく。「I’m Glad」は比較的ストレートなドゥーワップで、キャプテン・ビーフハートの好物であるピーナッツ入りお菓子から名付けられた「Abba Zaba」では不可解なリリックの層の下に割に繊細なアレンジが隠れている。
ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』、ドアーズのセルフ・タイトル・デビュー作品、ザ・ローリング・ストーンズの『Their Satanic Majesties Request』、ジミ・ヘンドリックスの『Are You Experienced?』、そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニヒルなデビュー作が発売された何でもありな1967年に発売された『Safe As Milk』が消えずに残り続けるにはサウンドがあまりにも奇妙すぎた。当然ながらチャートには登場しなかった。しかしキャプテン・ビーフハートは、人を惹き付けるソングライターとしての地位を確立し、平凡な曲構成に無関心だったお陰で後の作品を通じ て、トム・ウェイツやPJハーヴェイなどの現代の因習打破主義者のような高い知名度と熱心なファンを得ることになった。
By Jason Draper
キャプテン・ビーフハート『Safe As Milk』
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