モット・ザ・フープル『Mott The Hoople』:デビューまで至る道のり

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70年代のモット・ザ・フープルの全盛期を覚えている人は多く、それについて取り上げる人も多い。CBSへ移籍する前にアイランド・レーベルから発売した初期のアルバムの一つで1969年発売のセルフ・タイトル・デビュー・アルバム『Mott The Hoople』とデビューまで至る道のりを紹介しよう。

イギリスのウェールズの境界線から24kmの所に位置するヘレフォード出身のモット・ザ・フープル。60年代半ば、ロンドン、リバプール、マンチェスター、そしてニューカッスルなどに比べると音楽シーンの盛り上がりに欠けていた西部地方に彼らがいたことを考えると、不利な立場にあったと言えるだろう。

メンバーたちは、アンカーズ(グリフィンとピート・オヴァレンド・ワッツ)、バディーズ(ミック・ラルフスとオリジナル・ボーカリストのスタン・ティピンズ)、そしてインメイツ(テレンス・ヴァーデン・アレン)といった地元バンドのメンバーとして活躍していた。当初はドック・トーマス・グループとしてバンドを結成し、1966年と1967年に地元のクラブでライヴを行っていたが、ミラノで成功を収めたことがきっかけとなり、小さなレーベルからアルバムを発売した。

イギリスに戻るとロンドンへ向かい、ザ・ビートルズの新しいレーベル、アップルのオーディションを受けたが落選した。それからサイレンスへとバンド名を改名し、まだ無名だった頃のレゲエ歌手、ジミー・クリフの前座を務め、当時のロック・バンドの一つだったヘビー・メタル・キッズのオーディションを受けたが再び落選、彼らを蹴落としたのバンドはフリーだった。

しかし、不運ばかりではなかった。サイレンスは、DJ兼A&Rで、派手な仕事で知られるアイランド・レーベル設立に関わった主要人物、ガイ・スティーブンズの目に止まったのだ。それは、1968年初期に彼がワームウッド・スクラブス刑務所にいた時のことで、その事実はあまり公にはされていない。

「麻薬所持で8ヶ月間刑務所にいたんだ」とガイ・スティーブンズは語る。「そこでウィラード・メイナスが書いた“モット・ザ・フープル”という本を読んで、“このタイトルを誰にも教えちゃダメだよ”と妻に手紙を書いた。すると “本気?モット・ザ・フープルなんてふざけてる”と返事がきたんです」。

確かにふざけているが、それでもガイ・スティーブンズは出所するとサイレンスのメンバーにバンド名を変えるよう説得した。ただ、当時イタリアでバンドのプロモーションを行っていたフロントマンのスタン・ティピンズは不在だった。その後スタン・ティピンズはロード・マネージャーとしてバンドに戻り、長期に渡ってその役割を果たすこととなる。

そしてその頃、若き日のリッチー・ブラックモアと共にハンブルクで熟練のライヴ・パフォーマーとして活躍していたイアン・ハンター・パターソンが現れた。ほどなくしてパターソンはミドルネームで名乗るようになり、バンドと多くのライヴをこなし、形成期の作品に関わっていった。ガイ・スティーブンズは彼をモット・ザ・フープルに正式加入させ、後に彼らのデビュー・アルバムとなる作品を作るために2週間スタジオを押さえた。

そうして1969年11月に、このデビュー作からの先行シングル「Rock and Roll Queen」が、イギリスではアイランド・レコードから、アメリカではアトランティック・レコードからリリースされた。ガイ・スティーブンズは、モット・ザ・フープル名義での初ライヴを行うために、再び彼らをイタリアへ送り込み、その後イギリスへ戻った彼らは人気上昇中のキング・クリムゾンの大学ツアーで前座を務めることになった。

モット・ザ・フープルは、ボブ・ディランっぽいイアン・ハンターのヴォーカルと表現力が前面に押し出されているイアン・ハンター作の「Backsliding Fearlessly」やミック・ラルフスが手掛けた曲、そして幾つかの注目すべきカヴァーによって、バンドの逞しさとローリング・ストーンズからの影響が感じられるロック・サウンドを披露した。オープニング・トラックとしてキンクスの「You Really Got Me」カヴァー、そしてソニー&シェールのソニー・ボノが1965年に発表したソロ・ヒット「Laugh At Me」のカヴァーも収録されている。

その後彼らは、イギリスのラウンドハウスやマーキーといったライヴ会場、そしてクロイドンのグレイハウンドやアイルズベリーのフライアーズといった地元のクラブをライヴで巡っていくうちにその評判を高めていった。そうしてアルバム発売から半年経った1970年5月のある週に66位にランクインされ、控え目だがブレイクスルーを実現させた。

やがて彼らはより大きな成功を手にすることになるのだが、イアン・ハンターはあの時代の平穏な頃をこう思い出す。「気持ちよかった。世間知らずでたいして上手くもなかったけど、バンドに夢中だったし熱心だった。失うものもなく、単純に楽しかった」。

Written By Paul Sexton



 

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