ヒップホップとソウルの仕切りを吹っ飛ばしたメアリー・J. ブライジ『What’s The 411』
現在存在するコンテンポラリーR&Bの青写真を作った21歳の前途有望なR&Bシンガーについて振り返ろう。1992年7月28日にメアリー・J.ブライジは革新的なデビュー・アルバム『What’s The 411』をリリースし、R&Bのサビとヒップホップ・ビートの融合、そしてパフ・ダディという名前のプロデューサーを世界に紹介した。
18歳にしてメアリー・J.ブライジはMCAのヒップホップ・レーベルのアップタウンと契約を結んだ最も若いアーティスト、そして初の女性となった。アップタウンはデフ・ジャムの元副会長であるアンドレ・ハーレルが結成したレーベルで、彼はメアリー・J.ブライジがアニタ・ベイカーの1986年のヒット「Caught Up In The Rapture」を歌っているのを聴いてすぐに1989年に契約を結んだ。
そこで彼女はインターンからA&Rとプロデューサーに昇進したパフ・ダディ(ショーン・コムズ)と知り合うことになる。当時のショーン・コムズは、メアリー・J.ブライジやR&BカルテットのJODECIなどの新しいアーティストたちの指揮を行っていた。ショーン・コムズはテディ・ライリーの“ニュー・ジャック・スウィング”を基に、新しい世代に向けてヒップホップ・ビートに合わせたスムーズなR&Bメロディーやハーモニーを取り入れた。そして生まれたのが新しいハイブリッド・ジャンルとなるヒップホップ・ソウルで、JODECIの「Come & Talk to Me」のリミックスや、オーディオ・トゥーの「Top Billin」のビートにのせて歌うブライジのブレイク・ヒット「Real Love」は、その新しく生まれたサウンドの曲に仕上がっている。
「パフはサウンドと共にやってきた。彼はヒップホップを、そしてメアリーはソウルを持って現れた。それこそがヒップホップ・ソウルなんだ」と、アップタウン・レコードのCEOであったアンドレ・ハーレルは2016年にラップ・レイダー・ポッドキャストで語っている。「強い態度と独自のスタイルに才能を足せば、アップタウン・レコードらしいアーティストになる。どんなに才能があっても強い態度とスタイルがなければ契約は結ばないよ」。
メアリー・J・ブライジにはすべてが揃っていた。ストリートのスタイル、自信たっぷりの態度、そして男性中心の1991年のラップとソウル界に足りなかった強いヴォーカルがあった。ボーイズIIメンの「Motownphilly」やリサリサ&ザ・カルト・ジャムの「Let The Beat Hit ‘Em」が成功したお陰でヒップホップと新しいニュー・ジャック・スウィングはすでにチャートにゆっくりと登場し始めていたが、コンテンポラリーR&Bはパワフルなバラードや声量のあるホイットニー・ヒューストン、マライア・キャリー、そしてリサ・フィッシャーが支配していた。
1992年の夏、メアリー・J.ブライジは勢いよくそれら両ジャンルの仕切りを吹っ飛ばし、“クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウル”として知られるようになり、『What’s The 411』はトリプル・プラチナム・ディスクを獲得し、「You Remind Me」や「Real Love」を含む6枚のシングルは340万枚の売り上げを記録した。それから1年間アルバムはラップ、ソウル、そしてポップのラジオにてオンエアされ、リミックス曲のお陰で更に再熱した。
近所にいるカッコいい女子を丁寧に変身させ、戦略的なサンプルと巧妙なプロダクションを使用し、多くの者がメアリー・J.ブライジの成功を操っていた裏の人物としてショーン・コムズを称賛したが、実際にはメアリー・J.ブライジの優れたヴォーカリストとしての能力、そしてリスナーの忠誠心を勝ち取った 語りかけるような歌い方で彼女は成功を手にしたのだ。R&Bというジャンルはバラードが大好きだが、メアリー・J.ブライジはそこにリアリティと重みを加え、低い声が与えてくれる感傷的な希望よりも先を行き、ずっと傷心した者たちの守護聖人となることを約束した。彼女は傷つきやすいが、決して優しいのではなく、本人が2005年にザ・ガーディアン誌に語ったように、「自分の個人的な苦しみが、こんなにも多くのファンを惹き付けるとは思わなかった。私を落ち込ませるものは、私を持ち上げるものでもあったの」。
メアリー・J.ブライジは21歳という若さにしてすでに成熟した感情と自己認識を持っており、同じような女性や男性ファンの心を動かした。もちろんデビュー作品には、当時のニューヨークらしいヒップホップ・カルチャーの他に、チャカ・カーン、オハイオ・プレイヤーズ、グランド・プーバ、バスタ・ライムズ、グローヴァー・ワシントン・Jr.、ビズ・マーキー、スクーリー・D、そしてその他にも数え切れないほどのアーティストたちの10のサンプル、カヴァー、そして影響が含まれており、それらが貢献したことも大きい。
彼女のデビューはファースト・トラックから既に自信に満ちており、「Leave A Message」ではバスタ・ライムズの勢いのあるライムをフィーチャリングしており、様々なアーティストたちがアルバムを称賛している。タイトル・トラックではメアリー・J.ブライジが411番(*アメリカの電話番号案内の番号)の電話交換手として働いていた頃について歌っており、リスナーたちを初めから勢い良く魅了する。MCライトをサンプリングした「Reminisce」は本当だったらスローなほろ苦いバラードになるはずだが、 アップテンポなニュー・ジャック調のサウンドにブライジの未加工なヴォーカルが乗せられすぐに勢いを上げていき、リスナーを感動させるのに彼女はビートを必要としないことを証明している。
「Real Love」はタイトル・トラックではないが、メアリー・J.ブライジをブレイクさせた初のポップ・トップ10入りを果たしたヒットとなり、全米シングル・チャートでは7位にランクインされ、様々な世代にとってブームバップを代表する曲となった。その1年後、リミックスもチャートのトップに登場し、当時まだあまり知られていなかったビギー・スモールズ(ノトーリアス・B.I.G.)を有名にする手助けをほんの少しだけしている。
アルバムからのもうひとつヒット・シングルは大胆な熱いトラック「You Remind Me」で、メアリー・J.ブライジはそのヴォーカリストとしての実力を発揮している。幼い頃からポップ・チャート用に育てられてきた当時のディーヴァたちとは違い、メアリー・J.ブライジはそのしわがれ声とニューヨーカーらしい抑揚、そしてニュー・ジャック調の新しいバラード曲の歌い方でリスナーに曲を届けた。
コンサバな評論家たちや懐疑的なリスナーでさえも、チャカ・カーンをフィーチャリングしたルーファスの「Sweet Thing」のカヴァーに心動かされた。ソウルの傑作を偽りなく歌うブライジは、“疑わしいことはダメよ”と未来の恋人たちに歌い、新たな世代をも魅了した。
ジャズ調のシングル「Love No Limit」では低い声域を披露しアルバムの中では実験的なトラックとなっており、 当時のアーバン・ラジオで流すには確実に珍しいタイプの曲だった。メアリー・J.ブライジはその後同じアップタウン・レーベルのアーティスト、JODECIのケーシー・ヘイリーと共にデュエット「I Don’t Want To Do Anything」を歌った。その素晴らしいスロージャムで多くの人達が二人の関係を噂し始め、特にMTV Unpluggedの出演によって噂にさらに火が付いた。しかし兄弟でJODECIのパートナーであるジョジョ・ヘイリーがこの曲を作曲した当時はまだ二人の激しい関係は始まっていなかった。
最終トラック「What’s The 411」でメアリー・J.メアリーはグランド・プーバのやじに応え同時にフローを披露している。そして一休みを置いてからデブラ・ロウズの「Very Special」の短いカヴァーを歌っている。数小節だけだが、メアリー・J.メアリーはただの“近所の女子”だけではないことを証明している。
Written By Laura Stavropoulos
- メアリー・J.ブライジ アーティストページ
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