ゲンスブールが“セクシーな少女に夢中になる年老いた男性”を描いた『くたばれキャベツ野郎』
フランスの因襲打破主義者セルジュ・ ゲンスブールは、放送禁止になったシングル「Je T’Aime… Moi Non Plus(ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ)」をリリースしたことと、1971 年に長年のパートナーであったジェーン・バーキンへの心酔を猟奇的な性的ドラマとして描いたコンセプト・アルバム『Histoire De Melody Nelson(邦題:メロディ・ネルソンの物語)』の発売で最も知られているだろう。ロンドンの一流セッション・ミュージシャンとレコーディングされ、ジャン=クロード・ヴァニエの豪華なストリングスを贅沢に含んだこのアルバムは、コレクターたちが必死に手に入れようとしたことからカルト的人気を手に入れた。2003年にリリースされたベックのアルバム『Sea Change』に収録されている「Paper Tiger」は、『Histoire De Melody Nelson』のロックとオーケストラ音楽の独特な混合に対する敬意を明らかに表している。
『Histoire De Melody Nelson』から5年後に再びセルジュ・ゲンスブールは、“年老いた男性が手に入れることのできないセクシーな少女に夢中になる”というテーマでアルバム『L’Homme À Tête De Chou(邦題:くたばれキャベツ野郎)』を作りはじめた。アルバム名はセルジュ・ゲンスブールが所有する彫刻からつけられ、ジャケットではクロード・ラランヌ作の彫刻がパリのヴェルヌイユ通りにあるセルジュ・ゲンスブール邸の中庭で腰掛けている。
アルバムで語られる物語はこうだ。登場人物のマリルーはレゲエが大好きな自由奔放な少女で、セルジュ・ゲンスブールはそんな彼女についていくことができないでいる。自分は“キャベツ頭の男”だと納得した語り手のセルジュ・ゲンスブールは、マリルーへの欲望で正気を失い、彼女と理髪店で知り合ったことを思い出したり、情熱的な関係を持つが、最終的には彼女を満足させることができない。嫉妬と欲望で正気を失った男性は最終的にはマリルーの頭部を消化器で殴り死体を隠す(最後から2番目のトラック「Marilou Sous La Neige(邦題:雪の下のマリルー)」では語り手がマリルーを“雪の下で”眠らせる様子が描写されている)。彼は残りの人生を精神科病院で過ごし、そこで哀れな物語を語る。
重い内容である。もちろんフランス語が話せなければそれは理解できない。それでもセルジュ・ゲンスブールは乱暴な白昼夢なトラック「Ma Lou Marilou(邦題:俺のマリルー)」を粋なリフとマリルーの名前を囁く女性ヴォーカルで飾り、クラシック音楽ファンであるセルジュ・ゲンスブールはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番から受けた影響を注ぎ込んでいる。他のトラックでは初めて試験的にレゲエを取り入れ、本作に続く1979年のアルバム『Aux Armes Et Cætera(邦題:フライ・トゥ・ジャマイカ)』の土台を作った。『Aux Armes Et Cætera』でも、フランス国家を侮辱していると一部右翼の怒りをかったアルバム・タイトル・トラックが収録されている。『L’Homme À Tête De Chou(邦題:くたばれキャベツ野郎)』のタイトル・トラックから始めるこの作品は、セルジュ・ゲンスブールが煙草の煙の中で思案しながら、厚い層のリード・ギター、不吉なキーボード、そしてアラン・ホークショウのストリングス・アレンジが重ねられている。最終トラック「Lunatic Asylum(邦題:月の精神病院)」でセルジュ・ゲンスブールはオーストラリア大陸の先住民アボリジニの楽器ディジュリドゥーと部族的なドラム・パターンを混合し、正気を失っていく語り手の様子を描写している。
セルジュ・ゲンスブールの作品の多くがそうであるように、1976年11月に発売された『L’Homme À Tête De Chou』も世間が耳を傾けてることはなかった。2枚のシングル「Ma Lou Marilou/Marilou Reggae(邦題:マリルーとレゲエ)」と「Marilou Sous La Neige/Ma Lou Marilou」はチャートにランクインされることはなかったが、若い世代にセルジュ・ゲンスブール作品の深さが知れ渡るようになると、アルバム自体は長い時間をかけて知れ渡るようになった。2010年にフランス版ローリング・ストーン誌が史上最高のフレンチ・ロック・アルバムとしてこの作品を28位に選んだり、国民的アイコン、歌手、作曲家、そして俳優であるアラン・バシュングはセルジュ・ゲンスブールが亡くなった翌年にアルバム全体をカヴァーしている。
Written By Jason Draper