マイルス・デイヴィス『Birth Of The Cool / クールの誕生』制作物語
キャピトル・レコードから1957年に発売されたマイルス・デイヴィスのアルバム『Birth Of The Cool(クールの誕生)』に収録された楽曲は魅力的で複雑で、その混乱したクリエイティヴィティは時に議題となることもあるが、このアルバムの素晴らしさと重要性は紛れもないものであることは確かだ。
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1945年に脱退したディジー・ガレスピーの後任となったマイルス・デイヴィスは1947年にチャーリー・パーカー・クインテットの一員として活躍していた。当時のマイルス・デイヴィスはサヴォイやダイアルといったレーベルでチャーリー・パーカーとレコーディングを行っていた。自分の名前でリリースした初のアルバムは1947年にレコーディングされ、チャーリー・パーカーとのレコーディングに比べてよりアレンジにこだわり、リハーサルも念入りに行われた。
しかし、マイルス・デイヴィスはチャーリー・パーカー・クインテット内で増していく緊張感が気になり始め、1948年に脱退して自分のバンドを結成することにした。同じ頃、クロード・ソーンヒル・オーケストラのビ・バップ曲の編曲のお陰で名をあげていたアレンジャーのギル・エヴァンスはマンハッタンの55番街にあるマンションにミュージシャン仲間とよく集まっていた。そのたまり場では、ジャズの未来に関して多くの議論が交わされ、ギル・エヴァンスはその未来を具現化する方法を思いついた。
マイルス・デイビス・ノネットの結成
1947年の夏にはすでにマイルス・デイヴィスとギル・エヴァンスは一緒に曲作りをすることを語りあっており、後にジーン・クルーパのオーケストラに楽曲を提供していたバリトン・サックス奏者ジェリー・マリガンといった同じ考えを持ったミュージシャンたちを集めて、マイルス・デイヴィス・ノネット(9重奏団)を結成した。バンドには他に2人のサックス奏者、4人のブラス、そして9人のリズム・セクションがメンバーとして加わった。
ギル・エヴァンスとジェリー・マリガンは1947年と48年の冬にそのプロジェクトに取り掛かっていた。ジェリー・マリガンは当時のことを振り返ってこう話している。
「僕たちはそれぞれ楽器とそれに合うティンバー(音色)を選んだ。トランペットとアルトを含む高音セクションと、トロンボーンとフレンチホルンを含む中音、そしてバリトンとチューバを含む低音セクションがいたんだ。だから基本的なサウンドはそろっていた」
テノール・サックスが抜けている編成はスタンダード・ジャズでは普通に思えるが、当時は非常に珍しいことだった。
マイルス・デイヴィスとジェリー・マリガンがトランペットとバリトン・サックスを担当し、ギル・エヴァンスの手助けによって完璧なバンドが作られた。アルト・サックスにはリー・コニッツ、チューバにビル・バーバー、そしてフレンチホルンに過去にクロード・ソーンヒル楽団で一緒に活躍していたサンディ・シーゲルスタインを迎えた(サンディ・シーゲルスは後にジュニア・コリンズと交代している)。
トロンボーン奏者のJ.J.ジョンソンが第一候補だったが、彼はイリノイ・ジャケーのバンドに全力を注いでいたため、最終セッションの2回だけの参加となった。ベーシストのアル・マッキボンとピアニストのジョン・ルイスはディジー・ガレスピーのオーケストラの元メンバーで、マイルス・デイヴィスはチャーリー・パーカー・クインテット時代からドラマーのマックス・ローチと知り合いだった。
1948年9月にマイルス・デイヴィス・ノネットはニューヨーク・ブロードウェイにあるロイヤル・ルーストにてカウント・ベイシーの前座を務めた。ジェリー・マリガンが6曲、ジョン・ルイスが3曲、ギル・エヴァンスが2曲のアレンジを手掛け、作曲家のジョン・カリシは自身が作曲した「Israel」をバンドのためにアレンジした。ロイヤル・ルーストでのライヴではマイク・ズワーリンがトロンボーンを、そしてディジー・ガレスピーの元ヴォーカリストのケニー・ハーグッドが数曲歌っている。
Birth Of The Coolの録音
アレンジャーでキャピトル・レコードのスカウトマンでもあったピート・ルゴロは、ロイヤル・ルーストでのマイルス・デイヴィス・ノネットの演奏を観て、メンバーをスタジオへ招きレコーディングを行うことになった。18ヶ月の間に行われた3回のセッションで、最終的に合計12曲が録音された。
マイルス・デイヴィス、リー・コニッツ、ジェリー・マリガン、そしてビル・バーバーだけがすべての3セッションに参加していた。最初のセッションは1949年1月21日に行われ、ジェリー・マリガンの「Jeru」と「Godchild」、そしてジョン・ルイスの「Move」と「Budo」を含む4曲をレコーディング。その日はカイ・ウィンディングがマイク・ズワーリンの代わりにトロンボーンを演奏し、アル・ヘイグがジョン・ルイスの代わりにピアノを弾き、ジョー・シュルマンがアル・マッキボンの代わりにベースを弾くというラインナップだった。
それら4曲は最終的に収録される12曲の中でもほぼ間違いなく最も耳に残る曲たちで、当時78回転のSPレコードの発売を考えていたキャピトル・レコードにとって、SPレコードとして発売するのにちょうどいい楽曲でもあった。「Move」と「Budo」は最初のSPレコードに収録され、続いて「Jeru」と「Godchild」が収録されたSPレコードも発売された。
3ヶ月後の4月22日に、トロンボーンにJ.J.ジョンソン、フレンチホルンにサンディ・シーゲルスタイン、ベースにネルソン・ボイド、ドラムにケニー・クラーク、そして再びピアノにジョン・ルイスを迎えて2回目のセッションが行われた。彼らはジェリー・マリガンの「Venus De Milo」、ジョン・ルイスの「Rouge」、ジョン・カリシの「Israel」と「Boplicity」をレコーディング(この2曲は3枚目のSPレコードとしても発売されている)。1950年3月9日に行われた3回目となる最終セッションにてレコーディングされのはジェリー・マリガンの「Darn That Dream」「Rocker」「Deception」、そしてギル・エヴァンスがアレンジを手掛けたチャミー・マクレガーの「Moon Dreams」がレコーディングされた。
セッションではガンサー・シュラーがフレンチホルンを、そしてアル・マッキボンがベースを担当した。4枚目のSPレコードに収録されることになる2曲「Venus De Milo」と「Darn That Dream」ではケニー・ハーグッドがヴォーカルを担当している。
極めて重要なアルバム
1954年にキャピトル・レコードは8曲を10インチの『Classics in Jazz: Miles Davis』としてリリース。その3年後の1957年に、11曲(「Darn That Dream」以外すべての曲)がキャピトル・レコードから『Birth Of The Cool』として発売された。最後のトラック「Darn That Dream」は他の11曲と共に1971年版のLPに収録。ロイヤル・ルーストでのマイルス・デイヴィス・ノネットのライヴ・レコーディングは後に『Cool Boppin’』として発売。1998年にキャピトル・レコードは、エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーがリマスタリングを手掛け、『Cool Boppin’』と『Birth Of The Cool』両方の楽曲を1枚のCDに収めた『The Complete Birth Of The Cool』をリリースした。
アルバムにはマイルス・デイヴィスの名前が目立つように使われているが、ジェリー・マリガンとギル・エヴァンスの類まれな才能はアルバムの至るところに散りばめられている。このアルバムは共同作品であり、マイルス・デイヴィスがすべてを団結させ、実現させたものだ。驚くようなハーモニーに溢れ、ミュージシャンたちが感じた興奮が伝わってくる。ロイヤル・ルーストからのライヴ音源を収録した作品は“心に残るモダン・ミュージック”と紹介されているが、当時とてもモダンに聴こえたサウンドは今聴いても十分モダンに聴こえる。
『The Birth Of The Cool』はジャズの基本である1作品としてコレクションに含まれるべき作品で、それは音楽自体が素晴らしいだけではなく、ビ・バップと後に登場するクールなジャズの架け橋となった作品であるからだ。
Written By Richard Havers
マイルス・デイヴィス『The Birth Of The Cool』
1957年2月発売
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