ミュージシャンの主宰によるレコード・レーベル11選
アーティストがスーパースターとなる時代が訪れると、スポットライトを浴びた彼らは、自ら物事を運営したいと思うようになった。賢明なミュージシャンたちは、やがて自らがイニシアチブをとって、アーティストが主宰するレコード・レーベルが一般的になった。そのうちの大半は、ミュージシャンがA&Rにほとんど関わることのない名ばかりのレーベルだったが、成功したレーベルも数多く存在した。その多くのレーベルの中からミュージシャンの主宰によるレコード・レーベル11選を紹介しよう。
■リプリーズ(フランク・シナトラ)
60年代はじめ、フランク・シナトラは自らの道を進む豪胆さ、影響力、知性を持った最初のアーティストとなった。ノーマン・グランツのヴァーヴ・レコードを買収することに失敗した彼は、自分の求めるクリエイティヴ・コントロールを手にするには、自らのレーベルを設立するしかないと考え、1960年にシングル「The Second Time Around」のリリースに合わせてリプリーズ・レコードをスタートした。フランク・シナトラは、アーティストとしての自由を仲間たちと共有することにも積極的で、サミー・デイヴィスJr.、ローズマリー・クルーニー、ディーン・マーティンらをリプリーズ・レコードの所属アーティストとして迎え入れた。
しかし、レコーディングの諸費用が経済的に大きくのしかかった。ワーナー・ブラザーズは、シナトラのスター・パワーを利用できるチャンスだと考え、1963年に同レーベルの3分の2を買い取った。フランク・シナトラはワーナー/リプリーズの取締役の一員となり、リプリーズは救済された。その後、同レーベルはますます強力になり、ジョニ・ミッチェル、ジミ・ヘンドリックス、キャプテン・ビーフハート、ミーターズ、ニール・ヤングなどと契約を交わしながら数々の有力アーティストを養成した。
♪ 必聴アルバム:フランク・シナトラ『Sinatra & Strings』
■タンジェリン(レイ・チャールズ)
アトランティック・レコードで連続ヒットを飛ばしたレイ・チャールズは、「What I’d Say」を最後にレーベルを移籍し、ABCレコードと契約を結んだ。レイ・チャールズが勝ち取った契約内容は、当時としてはアーティスト側に極めて有利なもので、高い印税率に加えて、ABCは利益を分配し、最終的には原盤の所有権を与えるという条件と、レイ・チャールズと彼の共作者たちが自らが制作した音楽をリリースできるレーベル設立のチャンスを提供した。
タンジェリンからリリースされたシングルの多くが、後に「ノーザン・ソウル」系クラブで引っぱりだことなったトラック(ジョージ・バードやアイク&ティナ・ターナーなど)だが、同時にジミー・スコットの劇的で苦悩に満ちたトーチ・ソングや、ジョン・アンダーソンやアル・グレイの隠れたジャズの名曲もリリースした。
♪ 必聴アルバム:ジミー・スコット『Falling In Love Is Wonderful』
■アップル(ザ・ビートルズ)
アップルは、創造の自由という理想から始まったかもしれないが(「僕たちは、人々が自由に訪れ、好きなことをやって自由にレコーディングできる自由な場所を作りたいと思っている」とはジョン・レノンの弁)、ザ・ビートルズは何をやっても大きな関心を集めたため、アップル・レコードもミュージシャン主宰によるレコード・レーベルの中でも、特に注目を集めた。
1968年から1973年にかけて、アップルはザ・ビートルズが契約したアーティストによる50作以上のシングルと、24作以上のアルバム(及びザ・ビートルズの各メンバーの主要ソロ・アルバム)をリリースした。ポール・マッカートニーの秘蔵っ子だったメリー・ホプキンやパワーポップのバッドフィンガー、シンガー/ソングライターのジェイムス・テイラーらを世に送り出した他、ロニー・スペクターやジャッキー・ロマックスなど、ザ・ビートルズが長年愛してきたアーティストの受け皿となった。
♪ 必聴アルバム:ジョン・レノン『Imagine』
■ビザール/ストレート/ディスクリート(フランク・ザッパ)
1987年、フランク・ザッパはMTVの『The Cutting Edge』のインタビューの中で60年代を振り返って、「ひとつ起こったことといえば、奇妙で実験的な音楽がレコーディングされ、リリースされたことだ」と語っている。ザッパの見解によると、当時レーベルを仕切っていたボスたちは、「葉巻を咥えながら商品を見て、“俺はわからんが、誰がわかるっていうんだ?レコーディングしてリリースしろ。売れるならそれでいいんだ!”なんて言ってる年寄り」という大胆なものだったそうだ。
しかし、これをやっていたのはメジャー・レーベルの重役だけではなかった。ザッパの自主レーベル(1968年のビザールに始まり、1969年のストレート、1973年のディスクリートへと続く)も、同様の冒険心を持っていたのだ。アリス・クーパー、ティム・バックリィ、キャプテン・ビーフハート、ワイルド・マン・フィッシャー、レニー・ブルースらは、ザッパが育てたアーティストで、ザッパの自主レーベルは、彼の創造力を発揮するもう一つの場所でもあった。
♪ 必聴アルバム:フランク・ザッパ『Hot Rats』
■ペイズリー・パーク/NPG(プリンス)
全盛期のプリンスは、泉のように湧き出したアイデアをレコーディングするためのサイドプロジェクトとして、バンドを複数デビューさせた。販売はワーナー・ブラザーズが担ったものの、ペイズリー・パークはプリンスの自主レーベルで、同レーベルのロゴは、『Parade』や『Sign “O” Times』といったプリンスの名盤のほか、ザ・ファミリーやシーラ・E、ジル・ジョーンズなど、プリンスが関わった名盤に印刷されている。
プリンス自身のアイデアが停滞しはじめると、ペイズリー・パークの品質もそれに比例して落ちていった。90年代はじめには、ワーナー・ブラザーズとの確執が大きく報じられ、同社はペイズリー・パークと手を切った。しかしプリンスはひるむことなく、ミュージシャン主宰によるレコード・レーベルの未来を指し示すべく、自新たな自主レーベル、NPGレコードを設立した。プリンスは同レーベルで1990年代から2000年代、アーティスト主導によるメールオーダーとインターネット販売をいち早く始めた。
♪ 必聴アルバム:プリンス&ザ・レヴォリューション『Parade』
■マージ(スーパーチャンク)
「必要は発明の母」とはよく言ったもので、ミュージシャンは、必要に迫られてレコード・レーベルを主宰することが多い。マージは1989年、ローラ・バランスとマック・マコーンによって設立された。2人ともノースカロライナ州ダーラムのインディ・ヒーロー、スーパーチャンクのメンバーで、同バンドと仲間たちの音楽をリリースしようとレーベルを設立したのだ。同レーベルは2010年、アーケイド・ファイアの『The Suburbs』で、全米アルバム・チャート1位を獲得。過去数十年の重要作(マジェスティック・フィールズの『69 Love Songs』、ラムチョップの『Nixon』、ニュートラル・ミルク・ホテルの『In The Aeroplane Over The Sea』、アーケイド・ファイアの『Funeral』など)をリリースしながら、アーティスト寄りの運営を続けている。これからも活躍を期待できるレーベルだ。
♪ 必聴アルバム:ニュートラル・ミルク・ホテル『In The Aeroplane Over The Sea』
■マーヴェリック(マドンナ)
1992年、マドンナは絶好調だった。当時の最新スタジオ・アルバム『Like A Prayer』は同時代を象徴する1枚となり、1990年の『The Immaculate Collection』はソロ・アーティストがリリースしたベスト・アルバムとして最高のセールスを記録していた。それでも、マドンナがワーナーと共同でマーヴェリック・レコードを設立した当初、多くの人々がこれを気まぐれな愚行だと思っていた。自称マテリアル・ガールのエゴを満たすために作られた”ブティック”・レーベルだと考えられていたのだ。もちろん、マドンナはビジネスに対して極めて真剣で、抜け目のない実力者であることを長きに渡って証明していたこともあり、マーヴェリックはアラニス・モリセット、プロディジー、デフトーンズらの人気アルバムで成功を収めていった。
♪ 必聴アルバム:アラニス・モリセット『Jagged Little Pill』
■グランド・ロイヤル(ビースティ・ボーイズ)
ビースティ・ボーイズがラップ・アルバム『Licensed To Ill』でベストセラーを記録した80年代、彼らのイメージは、バドワイザーをがぶ飲するという漫画的なものだった。この3人が90年代を風靡するクールな流行を創り出す存在になるなど、人々には想像もつかなかったはずだ。しかし彼らは、不作法な振る舞いをやめてより洗練された名盤を次々にリリースすることで高い評価を獲得していき、グランド・ロイヤルの設立によってさらに大きな信頼を勝ち取った。
1992年から2001年にかけて、同レーベルのファンは、ルシャス・ジャクソンのボヘミアン風ヒップホップ、ビスのスイートなパンク、ショーン・レノンの太陽を浴びたような明るい楽曲、ハイパー・ハードコアなアタリ・ティーンエイジ・ライオットなど、ビースティーズの多様な嗜好を知った。振り返ってみれば、同レーベルは玉石混交だったが、名曲も多数含まれている。
♪ 必聴アルバム:(コンピレーション)『At Home With The Groovebox』
■ロッカフェラ(ジェイ・Z)
ミュージシャンが主宰する中でも最重要レコード・レーベルのひとつが、逆境から生まれたというのも、驚くべき話だ。メジャー・レーベルの興味を引くことができなかったショーン・“ジェイ・Z”・カーターは、1996年のデビュー・アルバム『Reasonable Doubt』をリリースするために、カリーム・“ビッグス”・バーク、デイモン・“デイム”・ダッシュとともに、ロッカフェラを設立した。ひとたび評判が広まると、メジャー・レーベルが殺到し、デフ・ジャムが契約のオファーを出したが、「俺がラップする会社は俺のもの」とジェイ・Zは応えた。そんな歯に衣着せぬ態度が功を奏し、1997年、ジェイ・Zと共同設立者はデフ・ジャムとレコード契約を結ぶ代わりに、ロッカフェラの50%の権利をデフ・ジャムに売却した。
その後、ロッカフェラは強力レーベルとなり、ヒップホップ界と時代を象徴するアルバムでヒットを飛ばしながら、ヒップホップの最先端に君臨し続けた。中でも特筆すべきは、カニエ・ウェストの傑作アルバムの数々、ビーニー・シーゲル、キャムロン……そしてもちろん、ボスであるジェイ・Zの存在である。
♪ 必聴アルバム:ジェイ・Z『Reasonable Doubt』
■サード・マン(ジャック・ホワイト)
サード・マン・レコードからの初のリリース作品は1998年、ジャック・ホワイトがレコーディングしたデトロイトに本拠地を置くバンド、フェルズのシングル「Close Your Eyes」だが、ザ・ホワイト・ストライプス、ザ・ラカンターズ、デッド・ウェザーの全盛期、レコードを流通していたのはXLで、「サード・マン・レコードの独占ライセンスによる」という伝説的な文句を冠してレコードを販売していた。
ジャック・ホワイトが、ナッシュヴィルのダウンタウン南部にある工業地域の建物を購入し、オフィス、店舗、レコーディング・スタジオ、ライヴ・スペースを造ったのは2009年のことだ。ここからサード・マンは本格的に始動し、すぐさまミュージシャン主宰のレコード・レーベルの中でもアイコニックな存在となった。サード・マン・レコードの建物はツアー中のミュージシャンを惹きつけ、彼らはこの場所に集ってはシングルやライヴ・アルバムをレコーディングすると、こうした作品は同レーベルからリリースされた。そしてまもなく、サード・マンは、地域の豊かな音楽的土壌を活かし、マーゴ・プライスやジョシュア・ヘドリーといった地元アーティストと契約した。
自分の作品をリリースするだけでは物足りないかのように、ジャック・ホワイトはチャーリー・パットンからブラインド・ウィリー・マクテルに至るまで、自身が影響を受けたアーティストのアンソロジーを美しく編纂し、分厚いボリュームでリリースした。
♪ 必聴アルバム:マーゴ・プライス:『Midwest Farmer’s Daughter』
■グッド・ミュージック(カニエ・ウェスト)
現在の音楽シーンでお騒がせなアーティストの1人、カニエ・ウェストが主宰するグッド・ミュージックは、カニエらしく因習とはほぼ無縁のレコード・レーベルである。つい先日は、「リスナーの飢餓感を煽り続ける」という業界の常識に逆行し、5週間のうちにカニエがプロデュースしたアルバムを5枚リリースした。
創設者のカニエ同様、グッド・ミュージックは、本格的な実績を積み重ねており、ファンは常に同レーベルの作品に惹きつけられる。現在は、伝説的なクリプスのMC、プッシャ・Tが社長を務めており、その未来も極めて明るいだろう。
♪ 必聴アルバム:コモン: 『Be』
By Jamie Atkins
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