パンクと体制との闘いの歴史:ピストルズからアンタイ・フラッグ、声高に異議を唱え続けるバンド達
セックス・ピストルズの映画『The Great Rock’n’Roll Swindle』で、バンドの仕掛人マルコム・マクラーレンは女優ヘレン・ウェリントン・ロイドに1970年代パンクの政治性についての洞察を述べ、「(楽観主義者の)ヒッピーは絶対に当てにしちゃいけない、今起きていることを見るんだ」と発言。続いて「エリザベス女王2世の戴冠25周年記念祭はセックス・ピストルズのアナーキーなロックン・ロールをヒットさせるのには大衆受けする最高の政治的なネタだった」と述べている。
とても愉快な発言だが、だからといって映画で流される賑やかな出来事が1977年の現実を全て映しているわけではない。しかしそれでも、今は亡きピストルズのマネージャーはひとつだけ真実を捉えていた。それは、パンクは体制との闘いから逃げたことは一度もないという点だ。そもそもパンクが最初に掲げていたマニフェストを思い出してみれば、反体制的なスタンスと当時の政治的理想主義を拒絶することが主な主義主張のひとつだったことは明白である。
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社会の敵
1970年代半ばから後半にかけて、大西洋を挟んだ両岸で音楽の新勢力としてパンクが登場して以来、間違いなく政治的テーマとはパンクの歴史に一貫して流れ続けているものだ。セックス・ピストルズは手始めにゴールデンタイムに放送されていたテレビ番組「Today」で、当局を罵り毒づいた。そして、1977年6月のテムズ川でジュビリー・ボート・クルーズで警察に制止されたあの有名な一件で、はたして見事に”嫌われ者”のお墨付きを得たのだった。
セックス・ピストルズの有名なシングル「Anarchy In the UK」と「God Save The Queen」はパンクの政治的な姿勢を明確に表したマニフェストであり、政治性を備えたあらゆるパンク・バンドの楽曲の手本になったと言っていいだろう。同様に、ザ・クラッシュが1977年にリリースしたデビュー・アルバム『The Clash (白い暴動) 』にも”サマー・オブ・ヘイト”の時代を象徴する名曲「Career Opportunities (出世のチャンス) 」、「London’s Burning (ロンドンは燃えている!) 」、そしてジュニア・マーヴィンの「Police&Thieves (ポリスとコソ泥) 」のスマートでパンキッシュなレゲエ・ヴァージョンなどが収録されており、そこでは失業問題、一般人の抱える不安、警察の弾圧といった問題が採り上げられていた。それは、いずれもその後のパンク・シーンとはきってもきれない重要な政治的なテーマだった。
パンクはまた社会政治的なムーヴメントと自らを早い時期から同列に捉えており、1978年から1979年にかけてイギリスで起きた人種差別撤廃を訴えるムーヴメント”Rock Against Racism”には、ザ・クラッシュ、ザ・ラッツ、トム・ロビンソン・バンド、シャム69、スティッフ・リトル・フィンガーズなどが支持を表明し、同名のイベントにも出演した。
パンクはその後さまざまなかたちに枝分かれしていったが、パンクの倫理に共感した者には政治意識を継承したものが少なくなかった。ザ・スリッツ、ザ・レインコーツ、ギャング・オブ・フォーなどは消費主義への懐疑やジェンダー問題を扱い、ザ・ジャムのリーダーであるポール・ウェラーは自身の高まる政治問題意識から右翼関連の暴力やイギリスの身分制度に基づく社会構造を採り上げ、「Mr. Clean」「Down In The Tube Station At Midnight」「Eton Rifles」といった名曲をヒットさせた。
1980年代のアメリカとイギリスの政治体制の変化もパンクに影響を与えた。カリフォルニア・パンクの先駆者、デッド・ケネディーズは、最初の2枚のシングル「California Über Alles」と「Holiday In Cambodia」で地元の政治家 (当時のカリフォルニア州知事ジェリー・ブラウン)と国外のターゲット(カンボジアの独裁者ポルポト)を攻撃し、1980年代にはアメリカの新保守主義的な共和党大統領、ロナルド・レーガンを告発。『Plastic Surgery Disasters』や『Frankenchrist』といった風刺的なアルバムをリリースし、”Rock Against Reagan’と銘打った一連のコンサートを開催している。
ハードコアの登場
当時のアメリカ国内を抑圧する体制側の姿勢によって、”ハードコア”と呼ばれる、よりハードでスピーディーな新種が登場することになり、カリフォルニアのブラック・フラッグ、パンクとレゲエを融合させたスタイルのワシントンDCが拠点のバッド・ブレインズ、同じくワシントンDCで”ストレート・エッジ”なるライフスタイルを提唱したマイナー・スレットらが台頭した。”ストレートエッジ”とは、アルコール、麻薬、肉食を慎むことを旨としたもので、イギリスのパンク・グループであるクラスもこれに似た主義/主張を貫いていた。アナルコ・パンクとも称される彼らの哲学は、動物の権利やフェミニズム、そしてエコロジカル的な問題にも重点を置き、従来の音楽業界のスタイルを公然と拒絶した。
政治的関心の高いパンク・グループ、クラスや、ポイズン・ガールズ、コンフリクトなどのイギリスのアナルコ・パンクの主だった面々は、マーガレット・サッチャー率いるイギリスの保守党政治に激しく反発した。ディスチャージや、メタル系のパイオニアであるモーターヘッドから影響を受けたチャージドGBHなどの、より攻撃的でスピード感のあるパンク (現在では”UK82”と呼ばれることが多い) も、平和主義的傾向から同様の態度を示した。
1980年代には、イギリスとアルゼンチンとのフォークランド諸島をめぐる戦争もあり、短期的ではあったものの、熾烈なその出来事もまたパンクの政治的な姿勢をよりいっそう激しいものにした。視点は大きく異なっていたものの、ニュー・ウェーヴ・シーンを牽引したエルヴィス・コステロの切々とした「Shipbuilding」 (ロバート・ワイアットのための書き下ろし作品だった) と、怒りを叩きつけるかのようなクラスの「How Does It Feel (To Be The Mother Of A Thousand Dead) ?」は、紛争に対する思いとして最も共感を呼んだ代表的な作品だ。1987年にイギリスで行われた選挙では、ポール・ウェラー、ビリー・ブラッグ、トム・ロビンソンといったパンク・シーンの有名アーティストたちが、マーガレットサッチャー率いる保守党に対抗する労働党への支持を訴える”Red Wedge”の姿勢に賛同し、多くのミュージシャンが集ったこのキャンペーンに参加している。
アメリカでは、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領がロナルド・レーガンほど目の敵にされることはなかったが、1991年1月に湾岸戦争に対する抗議コンサートがホワイトハウスの前で行われ、そこではパンクが大きな役割を果たしている。ワシントンDCの活動家集団ポジティヴ・フォースが主催し、かつてマイナー・スレットの中心メンバーであったイアン・マッケイ率いる伝説的パンク・バンド、フガジがヘッドラインを務めたこのイベントは、アメリカの急激に深刻化するホームレス問題と北アメリカのイラクへの関与の両方を標的にしていた。
変化が武器の凄腕のエージェント
1990年代のオルタナティヴ・ロックによる変革期に、グリーン・デイ、ランシド、オフスプリングなどのアメリカのバンドがパンクの政治性を半ば無意識的にメインストリームに引きずり戻したことがあった。しかしあの悲惨なアメリカ同時多発テロ事件を契機に、アメリカの政治の諸問題の原因はジョージ・W・ブッシュ大統領に求められるようになり、21世紀に入ると国内のパンク・バンドも一斉に声を上げるようになった。
パンク・バンド、NOFXは、往年のデッド・ケネディーズのコンサート”Rock Against”に範を取り、”Rock Against Bush’と題したコンサートとコンピレーション・シリーズを企画。同世代のパンク・コミュニティから幅広いサポートを得た。また、それから少し経った2004年にはグリーン・デイが彼ら自身の意見を率直に述べたアルバム『American Idiot』 (メディアがアメリカの大衆を洗脳しているというバンドの見解を反映した楽曲が収録されている) が中国共産主義のプロパガンダに触発されたアートワークを伴ってリリース。パンクの政治性が再び脚光を浴びることになった。この『American Idiot』はアメリカで国内で600万以上のセールスを記録。若い世代からも広く支持を得ていた。
草の根運動がかつて以上に展開しやすくなったインターネットの時代、パンクは、その強力な政治的影響を維持し続けている。2012年には、ロシアのフェミニスト・パンク・バンド、プッシー・ライオットが、モスクワの救世主ハリストス大聖堂でゲリラ・ライヴを敢行。そのさなかに逮捕され、メンバーのうち3人は「宗教的憎悪に動機付けられたフーリガニズム」を理由に刑務所に送られたことで知名度を高めた。
また、パンク出身の政治家であるアイスランドのヨン・ナールは、2008年の国家の財政破綻をきっかけにベスト党を旗揚げ。その後、彼はレイキャビクの市長務め、元パンクスが集った彼の政党は、クラスのアナルコ・パン流哲学を基にした理想を掲げ、4年に亘って国政を担った。
アメリカには今も”フェイクニュース”や”もうひとつの事実”に警戒を怠らない、政治に敏感なオルタナティヴ・ロック・バンドがいる。パンクの影響を受けたグランジ・ロック世代のスター、パール・ジャムは、シアトル・スタジアムで開催したショーで得た収益の90%をその街のホームレスの支援のために寄付しているし、ピッツバーグのパンク・バンド、アンタイ・フラッグや、トップ・ミュージシャンが結集した扇動的なラップ/パンク・グループ、プロフェッツ・オブ・レイジは”ドナルド・トランプ時代”の不公正に対し、声高に異議を唱え続けている。
1977年が再び訪れることはないが、政治的な動機を備えたパンク・バンドたちは、今も変革を目指す凄腕のエージェントであり続けている。
By Tim Peacock
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