パルプ/PULPの歴史:インディーバンドから、英ポップカルチャーの担い手へと上り詰めたバンド
2025年1月4日、5日に幕張メッセ国際展示場で初めて行われる洋楽フェス「rockin’on sonic」にヘッドライナーで出演することが決定したパルプ(PULP)。1998年以来となる来日公演を行う彼らの歴史を改めてご紹介。
また、この公演を記念した予習プレイリストが公開となっている(Apple Music / Spotify / YouTube)。
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パルプについては、艶やかな魅力やパンク的な感性を備えたオルタナティヴ・ロック・バンドだとか、個性的なアート集団だといった評価がなされてきた。だが実際のところ、多ジャンルの要素を取り込んだ素晴らしいポップ・グループだということを前提にした上で、自分なりの評価を下す方が無難だろう。
周囲からの尊敬を集めるヴォーカリスト/作詞家のジャーヴィス・コッカーがフロントマンを務めるパルプがこれまでに売り上げてきたレコードは実に1,000万枚以上に及ぶ。そして彼らは華やかなその存在感で、有望なインディー系バンドから、英国のポップ・カルチャーの担い手へと上り詰めたのである。またその中で、『His ‘n’ Hers』『Different Class』『This Is Hardcore』『We Love Life』といった代表作は、批評家から格別の評価を受けてきた。
さらに、彼らは観客を沸かせるライヴ・パフォーマンスによって、現在に至るまで熱狂的なファンを増やし続けている。これまでにパルプは、グラストンベリー・フェスティヴァル (メイン・ステージであるピラミッド・ステージのヘッドライナーを二度務めた) のほか、ワイト島フェスティヴァル、レディング&リーズ、ポホダ (スロヴァキア) 、プリマヴェーラ (スペイン) 、イグジット (セルビア) 、ワイアレス・ハイド・パークなど名だたるイベントに数々出演してきた。
ジャーヴィスがカリスマ的なリーダーであり、彼らの音楽とメディアとの主たる橋渡し役であることは言うまでもない。だが彼らのキャリアを語る上では、ほかのメンバーたちの存在も見過ごせない。キーボードのキャンディダ・ドイル (北アイルランド・ベルファスト生まれ) 、ドラムのニック・バンクス (英・ロザラム生まれ) 、ベースのスティーヴ・マッキー (コッカーと同じ英・シェフィールド生まれ) 、そしてギターのマーク・ウェバー (英・チェスターフィールド生まれ) という面々によって、黄金期のラインナップは構成されていたのである。
パルプには、常に確立された方法論があった。それは、業界を代表するプロデューサーたち (エド・ブラー、クリス・トーマス、スコット・ウォーカー、ピーター・ウォルシュら) と仕事をし、アートワークやビデオにも細心の注意を払い、シングルという媒体に最大限の敬意を払う、ということである。
彼らの代表的なヒット曲である「Common People」「Sorted For E’s & Wizz」「Disco 2000」「Help The Aged」などは、キャッチーで才気溢れるポップ・ナンバーの好例だ。そうした楽曲はスタジオで制作されたあと、ステージやラジオ、テレビへと羽ばたいていったのである。
その上、彼らには優れたアルバムの数々もあるし、6CDのボックス・セット『Simply Fuss Free』をはじめとする包括的なパッケージや編集盤も数多く存在する。初めて聴くと彼らの音楽はいささか奇妙に思えるかもしれないが、端的に言ってパルプは”別格 (different class) “の存在なのである。
売れなかった初期
パルプの起源は、シェフィールドのシティ・スクールでの学生時代に遡る。そしてそのグループ名は、マイケル・ケインが主演、マイク・ホッジスが監督を務め、ジョージ・マーティンが音楽を担当した1972年の映画『Pulp (悪の紳士録)』から取られている。
結成当初の短い期間のみコーヒー豆に因んだ”アラビカス”という名前で活動していた彼らは、何度かのメンバー変更を経て自主レコーディングをスタート。そうして、影響力のあるイギリスのDJであるジョン・ピールに送ったデモ・テープが彼の目に留まり、彼のセッションに参加する機会を得た。
そののち、彼らはレッド・ライノから『It』というミニ・アルバムをリリース(同作は後年、チェリー・レッド・レコードからリイシューされている)。それからもグループは様々なスタイルの音楽を試し、長きに亘って成果の出ない苦しい日々を送ったが、やがてファイア・レコードと契約して『Freaks』を制作。だが同作も注目を集めるには至らなかった。
その理由は一つではないが、当時のメンバーたちが学業に勤しみながら活動していたことも決して無関係ではないはずだ。特にコッカーが、セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで映画制作を学んでいたことはよく知られている。
サウンドの確立と成功
その後紆余曲折を経て、1989年までにマッキーが加わったことで有名なラインナップが揃う。そして当時の流行だったアシッド・ハウスと、レナード・コーエン風の独創的なバラードを組み合わせたことで、彼ら独自のサウンドが完成を見た。そこでは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、セルジュ・ゲンスブール、ヨーロッパのシャンソン、スコット・ウォーカー、ディスコ・ミュージックといったものへの愛が丹念に溶け合わされていたのである。
いわゆる”ブリットポップ”の波に乗ったパルプの面々を責めることはできないが、彼らの作品にはもっと深遠な魅力があった。ブラーとオアシスのライバル関係も、同時期のスウェードの台頭も、彼らには何ら影響を与えなかったのだ。
パルプは1992年にアイランド・レコードと契約を果たし、「Babies」と「Razzmatazz」という二つのシングルを発表。そのあと『His ‘n’ Hers』からの先行トラックとなった「Lipgloss」(1993年) で、アイランドからの正式なデビューを果たした。そして全英チャートで50位まで達した「Lipgloss」は、彼らにとっての転換点になった。
1994年の春にリリースされた『His ‘n’ Hers』には、10代の不器用な若者たちの不安を歌った名曲「Do You Remember The First Time」も収録。このアルバムを聴くなら、EP『Sisters』や、デモ音源、BBCのジョン・ピールやマーク・グッディアの番組に出演した際の録音などをボーナス・トラックとして併録したデラックス・エディションをお勧めしたい。
傑作『Different Class』
『His ‘n’ Hers』でマーキュリー賞にノミネートされた彼らは、素晴らしい新作アルバム『Different Class』でその賞を手にした。全英チャートの首位を獲得し、4xプラチナという非凡な成績を収めたこの作品で、彼らは欧州の市場へ堂々と進出したのである。
この『Different Class』は、”史上最高の〇〇ランキング”といった類の企画で軒並み上位に入るなど、象徴的な一作として知られる。また、紛れもない現代の名盤である同作から生まれた「Common People」と「Mis-Shapes / Sorted For E’s & Wizz」 (いずれも全英2位) という二つのシングルも、世間に大きなインパクトを残した。それにより彼らは誰もが知る人気グループになるとともに、それに伴う悪評を巧みに利用するようになったのである。
同作の収録曲は、”different class”というタイトルが持つ二重の意味をどちらも体現している。つまりこのタイトルには、”that is different class (別格である) “という英語の慣用表現と、英国人の社会階級への執着に対する社会政治的な解釈という二つの意味が込められているのだ。実にお見事である。
クリス・トーマス (ザ・ビートルズ、ピンク・フロイド、クイーン、エルトン・ジョン、ロキシー・ミュージック、セックス・ピストルズなど多数の有名アーティストの作品に参加) を迎えてのレコーディングは、彼ら自身も驚くようなサウンドに結実した。インディー・レーベル時代のアルバムは将来有望ながら迷いを感じる作風だったが、この作品は自信と個性に満ちていたのだ。
「Common People」のテーマが”ポップ・ミュージックの民話”になったという事実だけでも、『Different Class』を愛する理由としては十分だろう。だが、英国北部の日常を切り取ったような内容で、ヒューマン・リーグの楽曲とも一部類似している「Disco 2000」や「Something Changed」なども、改めて味わう価値のある秀作だ。
そしてボーナス・トラックを加えて2006年にリリースされた同作のデラックス・エディションには、キャリアにおける重要イベントとなったグラストンベリーでの「Common People」のライヴ音源のほか、B面曲、デモ音源、有名なアイルランド民謡である「Whiskey In The Jar」のカヴァー (チャイルドラインを支援するためのチャリティー・アルバムに収録されたもの) なども収められている。
『This Is Hardcore』と『We Love Life』
期待が高まる中で1998年に発表された『This Is Hardcore』 (プロデュースは再びトーマス) もまた、誰もが憧れる全英1位の栄冠を獲得。アン・ダドリーのストリングス・アレンジと、ニコラス・ダッドのオーケストラ・アレンジを加えたのは賢い選択だった。
結果として同作からはヒット・シングルがいくつも生まれ、パルプは”007″シリーズの映画『トゥモロー・ネバー・ダイ』の主題歌を歌うアーティストの有力候補にもなったのだ。同作をさらに楽しみたいなら、『This Is Glastonbury』と題されたボーナス・ディスクや、デラックス・エディションのボーナス・トラックもチェックしてみてほしい。
濃密な楽曲に合うロキシー・ミュージック風のアートワークも相まって唯一無二の地位を手に入れたパルプは2001年、通算7作目にして現時点で最後のスタジオ・アルバム『We Love Life』を発表。伝説的存在であるスコット・ウォーカーをプロデューサーに迎えて完成した同作は、これまでの彼らのアルバムとは大きく異なる作風だった。
例えば「The Night That Minnie Timperley Died」や「Wickerman」は、かつてないほどダークな内容だったのだ。
また、一言で表現するのが難しい「Bob Lind (The Only Way is Down)」や遊び心溢れる「Bad Cover Version」には、過去数十年のポップ・カルチャーからの引用が多数含まれている。
そして網羅的な内容の『Hits』(2002年) は、それまでのグループの活動を一旦総括するような編集盤。一方で『The Peel Sessions』には最初期のBBC音源のほか、2枚目のディスクとして追加のライヴ音源も収められた。そのうち2001年の後半にバーミンガム・アカデミーで録音された最後の7トラックには、シェフィールド出身のリチャード・ホーリーがギターで参加している。ほかのアルバムと併せて聴くのに申し分ない同パッケージは、古くからのリスナーや熱狂的なファンにとっての不足をしっかりと補う一作になっているのだ。
活動休止とジャーヴィスのソロ
そのあとパルプの面々は事実上散り散りになったが、コッカー率いるメンバーたちは2013年にデジタル・シングルの「After You」を発表。彼らは”The Jonathan Ross Show”でもこの曲を披露したほか、ソウルワックスによる同曲のリミックス・ヴァージョンも2013年のレコード・ストア・デイ限定でリリースされた。
パルプとしての活動を休止しているあいだ、ジャーヴィスは単なるミュージシャンの枠に収まらない教養人として幅広く活躍した。彼はBBC6で音楽番組を担当し、フェイバー&フェイバー誌の特別編集員になり、ロンドンのサウス・バンク・センターで行われた2007年のメルトダウン・フェスティヴァルではキュレーターを務め、モーターヘッド、ロッキー・エリクソン、クリニック、ディーヴォ、イギー&ザ・ストゥージズ、コーナーショップ、ジーザス&メリー・チェインという、過去最高のラインナップを揃えて賞賛を浴びた。
さらには『ファンタスティック Mr.FOX』や『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』といった映画に出演したのだ。つまり彼は、芸術に関わることや楽しいことであればどれだけでも対応できる才能を備えているのだろう。その上、彼はナショナル・トラストを支援するためのアルバムも制作。そして2006年にはパルプのメンバーや、ホーリー、フィリップ・シェパード、グレアム・サットンらの力を借りて、ソロ・アルバム『Jarvis』を発表している。
活動休止の際、ジャーヴィスはパルプの再始動についてこう話していた。
「火山みたいなものさ。あるときは”噴火しそうにない”と思っても、次の日にいきなり噴火して家がなくなってしまうかもしれない。……パルプや僕に関するすべてのことは、ものすごく遅いペースで動いている。だから何かが起きているのかどうかを判断するのは難しいんだ。でも事態が動き始めると、天変地異が起きたように急展開するのさ」
そして、2022年、パルプは再始動を発表し、2023年からツアーを開始して、絶賛を浴びている。そして2025年、彼らは1998年以来となる来日公演を迎えるのだ
Written By Max Bell / uDiscover Team
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