ポイズン『Open Up And Say… Ahh!』解説:自身初の全米シングル1位を収録した2ndアルバム
LAを拠点とするヘア・メタル・バンドの代表格、ポイズンは、表面的にはどこからともなく現れたバンドのように思えた。そんなバンドが、1986年にリリースしたデビュー・アルバム『Look What The Cat Dragged In』が実に400万枚ものセールスを記録したのだ。
とはいえ、そんな風にたちまちスターの座に上り詰めた結果、彼らは新たな重圧にもさらされることになった。1987年後半にセカンド・アルバム『Open Up And Say… Ahh!』(邦題:初めての***AHH!)のレコーディングに着手したとき、彼らは大きなプレッシャーを感じていた。
実のところ、このバンドは彗星の如く突然に登場したわけではなかった。1984年に故郷のペンシルベニア州からカリフォルニア州に来てから2年ものあいだ、彼らは食うや食わずのどん底の生活を送っていたのである。“一夜にして突然訪れた”かのように見えた成功は、実はハリウッドのナイトクラブやバーで絶え間なくライヴをこなした結果ようやく手にしたものだった。
そうした努力を2年間重ねた末に、エニグマ・レコードが、彼らのデビュー・アルバムの制作費を出資することに同意した。そのときバンドには初めてツキが巡ってきた。
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2ndアルバムの制作まで
ポイズンのドラマーのリッキー・ロケットは2018年に雑誌”Ultimate Classic Rock”のインタビューでこう語っている。
「忘れないでほしいんだけど、俺たちは東部の小さな町からやってきたんだよ。だから、ロックンロールを演奏して生計を立てるなんて、非現実的な夢物語でしかなかった。ましてや、ロックンロールで大成功するなんて夢のまた夢だったんだよ!」
しかしながらポイズンは、そんな夢物語を現実のものにした。デビュー・アルバム『Look What The Cat Dragged In』からは3枚ものヒット・シングルが生まれ、プロモーション・ビデオはMTVのヘビー・ローテーションのリストに入った。また、彼らはシンデレラ、ラット、クワイエット・ライオットらと組んで行ったアメリカ・ツアーも大盛況で終えた。かくして突然、注目を集めることになったポイズンは、セカンド・アルバムのレコーディングを前に、努めて冷静さを保つ必要があった。
しかも、この時期、バンドはビジネス上のさまざまな問題に悩まされていた。ポイズンはマネージメントを変更しており、最初に選んだプロデューサーであるキッスのメンバーとして名高い、伝説的人物ポール・スタンレーは、スケジュールの都合がつかず、降板を余儀なくされた。ポールの代わりにハード・ロックの名プロデューサーであり、モトリー・クルー、テッド・ニュージェント、チープ・トリックらを手がけたことで知られるトム・ワーマンがレコーディング・セッションを仕切ることになり、次第に追い風が吹くようになってきた。
彼らがデビュー・アルバムのレコーディングに費やした期間はわずか12日間だったが、『Open Up And Say…Ahh!』では、レコーディングにより多くの時間を割けるよう、キャピトル・レコードが喜んで資金を提供してくれた。
アルバムの収録曲
後にロケットは、嬉しそうにこう振り返っている。
「しっかりした予算を用意してもらえたから、ちゃんとしたプリプロダクションができたんだよ。俺たちの反応はこんな感じだった。『おいおい、ちゃんとしたレコーディングってものはこんな風に進むんのかよ。インディペンデント・レーベルの自主制とはわけが違う。すべてが本物なんだ!』ってね」
レーベルやプロデューサーから十分なバックアップを得たポイズンは、セカンド・アルバムのレコーディングに立ち向かい、やがてレコーディング・セッションも軌道に乗っていく。最終的に完成した曲は12曲で、それらのうち10曲がアルバムに収録されることになった。
彼らが得意としていたのは騒々しく快楽主義的なロック・ナンバーだったが、その点は、セカンド・アルバム『Open Up And Say…Ahh!』でも変わってはいなかった。たとえば、「Look But You Can’t Touch」や「Bad To Be Good」、キッスを彷彿させる「Nothin’ But A Good Time」といったトラックはそうした作品のひとつである。
その一方で、ロギンス&メッシーナが1972年にリリースしたヒット曲「Your Mama Don’t Dance (ママはダンスを踊らない) 」のカヴァー・ヴァージョンや、ブルース・タッチの陽気なナンバー「Good Love」といったトラックは、メインストリームへの聴き手にアピールし得る、それまでの彼らにはなかったタイプの作品に仕上がっていた。
また、フロントマンのブレット・マイケルズが不運な恋愛を経験した結果、質の高いアコースティック・バラード「Every Rose Has Its Thorn」が生まれることになった。バンドのメンバーとプロデューサーは、この曲にはシングルとしても成功し得る強力なトラックだと考えていたが、レーベル・サイドは、あまりにも従来の路線から離れすぎた楽曲だと感じていた。結局ポイズンは、この曲を『Open Up And Say… Ahh!』に収録するために契約先と争わなければならなかった。この件について2018年にロケットがこう振り返っている。
「あれは、ちょっとカントリー風のナンバーだったからね。だけど俺たちは、“Every Rose Has Its Thorn”は本当にいい曲だって確信していた。ライヴで演奏すると、観客席の1列目にいる女の子たちが目に涙を浮かべていたしね。俺たちとしては、『こいつはヒットしそうだ』っていう感触を得ていたんだよ」
『Open Up And Say…Ahh!』からシングル・カットされた楽曲は、いずれも十分な成績を収め、アルバムのセールスを後押しした。MTVで人気を博した「Nothin’ But A Good Time」は、1988年4月にアメリカのシングル・チャートの6位まで上昇し、スローに燃え上がるもうひとつのハイライト・チューン「Fallen Angel」も、その後すぐにトップ20圏内にランクインした。
そしてこのアルバムの3枚目のシングルに選ばれた「Every Rose Has Its Thorn」は、ロケットらの確固たる信念が正しかったことを証明した。同曲は全米チャートを駆け上がり、ポイズンに初の (そして現在までのところ唯一の) 全米チャート首位という結果をもたらしたのだった。
シングルとアルバムの大成功
これらのシングルの好評を追い風に、1988年5月3日に発売された『Open Up And Say… Ahh!』は、競争相手を蹴散らし、全米チャートの2位に到達。やがてアメリカで5×プラチナ・ディスクに認定されている。
その後、ポイズンは元ヴァン・ヘイレンのスター、デヴィッド・リー・ロスのスカイスクレイパー・ツアーにオープニング・アクトとして同行。そして1988年9月には、自らがヘッドライナーを務める全米ツアーを行い、自分たちなりのやり方でメジャーなライヴ・バンドとしての地位を確立した。サンセット大通りに初めてやって来たころは食べるのもやっとだったバンドが、こうして大成功を収めたのである。
この記事の最後は、リッキー・ロケットが雑誌Classic Rockに語った言葉で締めよう。
「 (ハリウッドに) 来たときの俺たちは貧乏のどん底だった。歌詞にあった内容の多くは、当時の俺たちの生活を映し出しているわけじゃない。そうじゃなく、俺たちがこうしたいと思っていた願望を歌っていたんだ。俺たちはオープンカーでサンセット大通りに出かけて、いろいろなことを楽しみたかったんだけど、当時はそんなことはできなかった。初期の歌詞の多くは、俺たちの願望であり、夢だったってことだよ」
Written By Tim Peacock
ポイズン『Open Up and Say…Ahh!』
1988年5月3日発売
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