デザイナー自らが語る、キャッシュ・マネーの伝説的な9つのジャケット写真とそれぞれのエピソード
ショーン・ブローチは、1990年代から2000年代初頭にかけて、ヒップホップの世界の中心にいた。ペン&ピクセル社のデザイナーとして、キャッシュ・マネー・レーベルの伝説的なアルバム・ジャケット(それに加えて、Rap-A-Lotやその他のレーベルのジャケット・デザイン)を手がけたショーンは、弟のアーロンと共に、米南部で爆発的にブームになったラップ・ミュージックの重要人物としてたちまち頭角を現してきた。設立された当時のペン&ピクセルにあったものといえば、1,000ドル(約11万円)の資金とキッチン・テーブルくらい。それでもこの会社は、ほぼ独力であの時代のビジュアルをCDのデザインによって世間に広めた。とはいえ、ペン&ピクセルは何の障害もなしにその地位に上り詰めたわけではない。ショーンがマスター・Pとのエピソードをこう説明する。
「マスター・Pがこちらに初めて接触してきたのは、仕事を依頼したかったからじゃない。こちらがTre-8というアーティストと仕事をしていたからだった。Tre-8は、ジャケットでアイスクリーム屋のトラックを爆発させて、そのトラックの中にいるアイスクリーム屋をバラバラに吹き飛ばしてほしいと注文してきた。言うまでもないことだけれど、当時の私は仕事に追われていたから、当時のヒップホップ界隈で何が起きているなんて何もわかっていなかった。(当時は知りもしなかったけど)そのジャケットはマスター・Pに対するディスになっていた。というのも、そのアイスクリーム屋がマスター・Pを意味していたんだ」
当然のことながら、マスター・Pと彼のボディガードたちが、ショーンがデザインしたジャケットに不満を感じた。ある日ショーンが自分のオフィスに行くと、そこにはPと彼の仲間たちが待ち受けており、「もう二度とやるな」というメッセージが言い渡された。ショーンはそれに同意したが、もしTre-8と一緒に仕事をしていなければ、Pと知り合うことはなかったかもしれない。
この事件はヒップホップの歴史全体に影響を与えたと言っていいだろう。なぜなら、マスター・Pのノー・リミット/キャッシュ・マネー・レーベルとペン&ピクセルは、ラップの中でも特に伝説的なアルバム・ジャケットの数々を制作することになったからだ。
そうしたジャケットの例としては、ジュヴィナイルの『400 Degreez』の燃える地獄絵図、ビッグ・タイマーズの『How You Luv That』の最高に過剰な表現、そしてウィジーが驚くほどの影響を及ぼす前兆となった初期のリル・ウェインのプロジェクトなどがあげられる。
ペン&ピクセルが手掛けたジャケットの裏側には、魅力的なストーリーが隠れている。今回は、私たちのお気に入りのキャッシュ・マネーの作品(+ノー・リミット作品)についてショーン・ブローチ本人に解説してもらった。
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B.G.『Chopper City』(1996年)
このジャケットはとても面白かった。最初に、B.G.やベイビー(ブライアン・ウィリアムズ、別名バードマン)と一緒にコンセプトを話し始めたんだ。こちらはまず、「このチョッパー・シティってどういう意味ですか? そもそも、チョッパーって?」という感じだった。当時の私がどういうレベルだったか、わかるよね。
BGは「やれやれ。チョッパーというのはAK-47だよ」という。
それで「どうしてチョッパーと呼ばれているんですか?」と尋ねた。
彼はできるだけやんわりとした言い方で説明しようとした。「この銃で人を撃つと、手足を簡単に切り落としてしまう。これは本当に悪い、悪い銃なんだ」。
彼からさらにもう少し詳しく説明してもらっているうちに、こちらはあるアイデアを思いついた。それは、銃弾が飛び交い、逃げ場がないというイメージだった。どんなときも巨大な銃弾が降ってきて、自分の体がバラバラに引き裂かれてしまう可能性がある。そういうアイデアをスケッチし始めた。やがて銃砲店で50口径の弾を買ってきて、それに穴を開けてスタジオでコートハンガーに吊るして、いろいろな角度から撮影してみた。その後、スタジオでB.G.を撮影して、外に出てマグノリア・プロジェクトの第5区の写真を撮って、全体をまとめたんだ。
マグノリア・ショーティ『Monkey On Tha D$Ck』(1996年)
――『Monkey On Tha D$Ck(意味:男性器の上の猿)』というタイトルにすると言われた時のエピソードを教えてください
ベイビー(バードマン)から電話が来て、こう言われたんだ。
「今度のはビッグなやつになる。わかるよな? 言うなれば“Monkey On My Dick”って感じ。でもジャケットには”dick”(男性器の隠語)は出せないよな」
こちらはこう返した「なるほどわかりました。それじゃあ、どうすればいいでしょうか?」
「しゃがんでいる女の写真を使いたい」
「しゃがんでいる女の写真は手元にありますが、モデルから使用許可をもらえるかどうかわからないですね」
すると彼は「それじゃ、何とかしてくれ」って言うんだ。ベイビーから「何とかしろ」と言われたら、何とかしなきゃいけない。私は手持ちの女性モデルの写真を使い、その頭の部分を切り落として、代わりにベイビーが希望していた頭と入れ替えた。あのころの私は、とにかくクライアントの言うことを聞いて、それを闇雲にまとめているだけだった。
―― モデルのお尻にキャッシュ・マネーのタトゥーを描くというのは誰のアイデアだったんですか?
あれはベイビーが思いついたはずだよ。
マスター・P『MP Da Last Don』(1998年)
――『MP Da Last Don』は、キャッシュ・マネーの作品の中でもかなり極端なデザインになっていますね。
このアルバムでは、ジャケットのために写真を撮影した。ペン&ピクセルのジャケットの中には、わざわざ撮影をやらずに、撮影済みの写真を使って作ったものもある。たとえば、クライアントから提供された写真をもとに作業を行ったり、前に撮影した写真を流用して、頭や体のパーツをつけかえたりしていた。代役を使わざるを得なかったんだ。わざわざクライアントにヒューストンまで来てもらって撮影することができなかったらね。そんなのは時間の無駄だった。こちらとしては、できるだけ手間がかからないようにしたかった。とはいえ、Pはこのアルバムがビッグな作品になるとわかっていた。彼はこちらに電話をかけてきて「こういうアイデアなんだ」と話してくれた。
それで彼のためにスケッチを作り「こういう風に遠近感を強調した形で手を撮影して、指輪とか他のものを目立たせませんか?」と持ちかけた。
やがて彼がやって来て、スタジオに入り、撮影に向けて位置についた。大物アーティストを撮影するときは、スケジュールが厳しくて時間が限られている。担当者やマネージャーから、きつく言い渡されたりもする。たとえば、「パーシー・ミラーが撮影に使える時間は15分だけ。衣装の用意とメイクも含めて、きっちり15分だ」という具合。こちらは「やれやれ、参ったなあ」という感じになる。
だからこちらはスタジオを完全にセッティングしておく。照明もセッティングしておくし、事前にボディ・モデルを入れて、ライトの具合や反射の具合も確かめておく。(カメラの設定の)F値もきちんと確認する。あの時も、文字通り、すべての準備が整っていた。
撮影時間が15分しかなかったので、複数のカメラを使った。Pもやる気は十分。こちらは撮影を進めた。彼は巨大な指輪をはめていた。撮影の直前に少し体重が落ちていたので、スタジオで指輪のひとつが落ちてしまい、金属音と共に床の上を転がっていった。こちらが指輪を拾ったら、大きなダイヤモンドがひとつ足りない。私は「P、ダイヤモンドがひとつなくなっています」と言った。
彼は、「ああ、気にするな。探している暇なんかない。とにかく撮影を終わらせよう」と言ってくれた。そうして撮影は終わったけれど、そのあとは何時間もずっとダイヤモンドを探すことになった。でも見つからなかったよ。
あのジャケットでは、彼は自分のロゴと同じように、キラキラしたものを文字にちりばめたいと考えていた。実のところ、このデザインは画面を押しつぶすようなエフェクトを使った初期の作品のひとつだ。彼の手を使って遠近感を強調している。
ビッグ・タイマーズ『How You Luv That』(1998年)
―― このジャケットには、ありとあらゆるものを詰め込んでいますね。ここまで過剰なのに、わかりやすく簡潔にまとめるのは、大変だったんじゃないでしょうか?
これは典型的な「螺旋状」のデザインなんだ。見る側は最初にマミに目をやり、それから上に跳ね上がってフェラーリに行き、タイトルの周りをぐるりと回って下に戻ると後ろにB.G.がいて、バイクの方に回り、最後に下に降りてきてベイビーに着地するというわけ。
―― ベイビーに目が行くのは最後の最後ですが、実に効果的ですね。
その通り。最後の最後に彼が目に入る。まるでデザートみたいな感じだよね。
ジュヴィナイル『400 Degreez』(1998年)
―― これは、ペン&ピクセルが手掛けたキャッシュ・マネーのアルバム・ジャケットの中でも伝説的なものですね。デザインしている時に、何かを掴んだんじゃないでしょうか?
実のところ、そうでもない。『400 Degreez』も「螺旋状」のデザインだった。スタジオでジュヴィナイルを撮影したんだ。あれはジャケット写真としては完璧だった。使いたいと思っていたショットがふたつほどあった。ここでは、ドラマチックな遠近感の効果をあまり使っていない。ダイヤモンドのようなきらびやかなエフェクトと圧倒的な色を前面に押し出した威圧的なスタイルを追求している。
アーティストの人気に火が付くと、CDが売れるようになる。そして、他よりも目立つジャケット・デザインになると、さらに売れ行きが増していく。そう、このアルバムは本当にすばらしい内容だった。もちろん、このアルバムはひどいジャケットでもヒットしていたんじゃないかと思う。それはそれですばらしいことだけれど、ジャケットが力強い仕上がりになったこともヒットに一役買ったはずだ。
リル・ウェイン『The Block Is Hot』(1999年)
――『The Block Is Hot』をリリースした当時、リル・ウェインは19歳でした。当時の彼はどんな感じでしたか?
ウェインについては彼が14歳のときから知っていたんだ。最初に出会った時は、ロナルドやブライアンと一緒にホット・ボーイズでやって来たので、冗談じゃなく彼らの息子だと思った。今の彼もあまり背の高い方じゃないけど、14歳のころは本当にものすごく小さかった。でも彼はいつもノートを持ち歩いていて、そこがユニークだった。9インチ×10インチくらいのノートみたいなやつを持っていて、あいつはそこにありとあらゆることを書き留めていた。まるで学生のように、どんな人からも学んでいたんだ。そうして学んだすべてをそのノートに書き留めていた。当時はそれを見て、こちらは面白いやつだと思っていたけれど、後になって気づいた。彼はそうやって曲のインスピレーションを得ていたんだね。
―― このジャケットそのものがすばらしい出来栄えですね。
そうだね。あのころは、大量にデザインをこなしていた。1998年から2000年、2001年にかけては、まさに常軌を逸した仕事量になっていた。週7日、1日18時間、オフィスで生活していた。うちのオフィスにはクリエーター用のベッドがあり、出来る限りのスピードでデザインを仕上げていた。それでも、クオリティーはきちんと保たなきゃいけなかったけどね。
―― このジャケットは、「螺旋状」のデザインとは少し違いますよね?
同感だね。その通りだよ。これは「螺旋状」のデザインじゃない。これは、威圧感を与える感じになっている。見る側の視線はまずアーティストの顔に行き、それから背景に移っていく。けれど、「螺旋状」ではない。
ホット・ボーイズ『Guerilla Warfare』(1999年)
―― これも歴史に残る傑作アルバムですね。
『Guerrilla Warfare』では、すべてを別々に撮影した。グループ全体の撮影というのはほとんどやらなかった。というのも、全員を一緒に撮影してしまうと、必要に応じて配置を動かしたり、頭を反転させたりする場合に融通が利かなくなるからね。この作品の場合、オレンジ色のジェルの下からライティングを当てて、メンバーの顔を明るくした。
まずリル・ウェインに来てもらったよ。そうして「そこにいてね」と言って、撮影する。次はジュヴィの番で、同じことの繰り返し。タークも、B.G.も同じように撮影した。というわけで、すべてを出来る限り個別にしておきたかった。そういうやり方は今も変わらない。一度に撮影するショットに2人の人間を一緒に入れることはほとんどない。そうすると、人物の配置を前にしたり、後ろに戻したりするのが難しくなるんだ。できるだけ柔軟にデザインを操作したかったからね。
―― 燃えるビルというアイデアは、どういう風に生まれてきたんでしょうか?
あれは深夜にやったんだ。メンバーからは、かなりハードなものを求められていた。こちらは、「炎をテーマとしたデザインをやるなら、こういうのやってみましょう」という感じだった。
するとメンバーの方は「よし、パトカーを入れよう」となった。彼らはいつもパトカーを爆破しなきゃいけなかった。それがこのデザインのテーマだった。警察への反抗心が出ているんだ。なかなかいい感じに仕上がったと思うよ。
キャッシュ・マネー・ミリオネアーズ『Baller Blockin Soundtrack』(2000年)
―― こういう顔ぶれを一箇所に集めたんですか?
いや、撮影は別々だった。最初に撮影したショットでは、銃も写っていた。彼らはみんなMAC-10やUziといったいろんな銃を持っていて、そういうのがスタジオに揃っていた。だから、安全には配慮しなきゃいけなかった。「銃器類の検査です。銃が空になっていることを確認しないと」という感じ。こちらのカメラのレンズに向けて、相手がMAC-10を構えて撃つ姿勢をとっているというのは、最高に恐ろしいことだよ。
メンバーたちは、マグノリア・プロジェクト(低所得者用の公営住宅)を自分たちの後ろに配置したいと思っていた。それで私を現地に連れて行ってくれたんだ。厳重な警備の中で、私はマグノリア・プロジェクトの写真をたくさん撮った。その時撮った写真は、他の多くのジャケットにも使っている。
リル・ウェイン『Lights Out』(2000年)
――『Lights Out』は、ペン&ピクセルがキャッシュ・マネーでデザインしていたジャケットとはかなり異なる方向性ですね。
その通り。『Lights Out』をやるころには、きらびやかで何層にも重ねたスタイルの撮影が既に頂点に達していたと思う。そこで私たちは、ミレニアル・スタイル、あるいはミレニアム・スタイルと呼ばれるような別のスタイルを考え出した。この辺から、「螺旋状」のきらびやかなスタイルから、もう少し背景を薄くしたサブリミナル的なスタイルに移行し始めたんだ。
このジャケットは、少し心にこびりつくような、不吉な雰囲気を醸し出している。この時も、アーティストと一緒にいられる時間が限られていた。リル・ウェインは飛行機で飛んできて、スタジオに滞在できる時間は10分しかなかった。こちらはスケッチを描いていたけれど、本人が求めていたのはもう少し不吉でハードなものだった。
Written By Will Schube
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