「ロックの殿堂」授賞式でのポール・マッカートニーによるジョン・レノンの紹介スピーチ
ザ・ビートルズ(The Beatles)が、最後の新曲となる「Now And Then」、そして1973年に発売された2つのベストアルバム『The Beatles 1962-1966』(通称:赤盤)と『The Beatles 1967-1970』(通称:青盤)の2023年ヴァージョンをリリースすることが発表となった。
この発売を記念して、ザ・ビートルズやザ・ビートルズのメンバーが“ロックの殿堂入り”を果たした際の授賞式でのスピーチの翻訳を連続してご紹介。
本記事では、ジョン・レノンがロックの殿堂入りを果たした1994年の授賞式でのポール・マッカートニーによる亡き親友へ送るユーモアと愛にあふれたスピーチの翻訳をお届けする。
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今夜、この場に立ち、この大役を務められることを光栄に思います。ジョンへの手紙の形式で、彼との思い出を思いつくままに書き出してきました。
親愛なるジョン、僕たちが初めて会ったのは、ウォルトンで開催されたお祭りでしたね。天気のいい夏の日でした。僕が会場に入っていくと、ステージに立つきみの姿が目に入りました。きみはデル・ヴァイキングスの「Come Go With Me」を歌っていました。だけどきみは歌詞を覚えていなくて、その場ででっち上げていましたよね。「Come go with me to the penitentiary(一緒に刑務所へ行こう)」なんて元の歌詞にはないでしょう?
一緒に曲作りをし始めたころのことも覚えています。僕たちは僕の家 ―― 僕の実家に集まったものです。父が引き出しにしまっていたパイプにタイフー・ティーの葉を入れて、二人で吸いましたね。それが役に立ったとは思えませんが、とにかく僕たちはライヴにも乗り出しました。僕たちはとにかく有名になりたかったんです! きみのお母さんのジュリアの家にも遊びに行きましたね。非常に自立心があって、とても美しい女性でした。彼女は赤毛の髪を長く伸ばしていて、ウクレレを弾いていました。そんなことができる女性には僕は会ったことがありません。
僕はきみにギターのコードを教えました。きみはウクレレのコードを弾いていましたからね。そして21歳の誕生日に、きみはエディンバラに住むお金持ちの親戚から100ポンドをもらいました。それで、僕たちはスペインを目指すことにしました。リヴァプールからヒッチハイクをしてパリまでたどり着き、僕たちは一週間をパリで過ごすことにしました。そこでヤーゲンという人に髪を切ってもらって、その髪型がのちに”ビートルズ・カット”として知られるようになりました。
僕の学友だったジョージにきみを紹介したときのことも覚えています。彼はバスの二階席で「Raunchy」を弾いて、グループに加わることになりました。きみは随分感心していましたよね。それから、僕たちはリンゴと出会いました。彼はバトリンズのホリデー・キャンプでワン・シーズンのあいだ働いていて、既に熟練のプロフェッショナルと言っていい腕前でした。あの髭は見るに堪えませんでしたが、彼は剃り落としてくれました。
その後、リヴァプールのキャヴァーン・クラブで演奏する仕事をもらいましたね。その会場はブルースのクラブとして営業していましたが、ブルース・ナンバーは僕たちのレパートリーにありませんでした ―― ブルースは大好きですが、レパートリーには入っていなかったんです。だから僕たちはMCで、「お集りのみなさま。次にやるのは、偉大なるビッグ・ビル・ブルーンジーの“Wake Up Little Susie(起きろよスージー)”という曲です」なんてデタラメを言わなきゃいけませんでした(会場笑い)。観客のあいだではいつも“これはブルースじゃない、ポップだ!”なんて書いた小さなメモが出回っていましたね。それでも、僕たちは演奏し続けました。
そうして、僕たちはツアーをすることになりました。ラリー・パーンズという人物が、最初のツアーを組んでくれましたよね。ありがとう、ラリー。そのツアーでは、みんな変名を使っていましたね。僕は“ポール・ラモーン”に名前を変え、ジョージは“カール・ハリスン”を名乗っていました。巷ではジョンは変名を使わなかったと言われていますが、僕の記憶では“ロング・ジョン・シルヴァー”と名乗っていたはずです。これでまた一つ“神話”が崩れ去ったわけです。
ツアーではバンに乗って移動していましたが、ある晩はフロントガラスが割れたまま車を走らせました。リヴァプールに帰るために高速道路を走ったときです。あまりに寒かったので、僕たちはバンの後部座席で体を重ね合わせて“ビートルズのサンドウィッチ”を作りましたね。そんな風にして、僕たちはお互いへの理解を深めていったのです。
ハンブルクでは、リトル・リチャードやジーン・ヴィンセントと知り合いました。リトル・リチャードは、ホテルの部屋に僕たちを招いてくれましたよね。彼はリンゴの指輪を見て「その指輪いいね。僕も同じようなやつを持っている。似たようなやつをあげるよ」って言っていました。そこで彼と一緒にホテルまで行きましたが、結局指輪はもらえませんでした(会場笑い)。一度、ジーン・ヴィンセントの部屋にも行きましたね。途中までは楽しく過ごしましたが、そのあと、彼がベッドの脇の引き出しから銃を取り出したんです。僕たちは「ジーン、僕たちもう行かなきゃ。帰らなきゃならない」と言って、慌てて退散しました。
それからアメリカに行きました。ニューヨークでは、フィル・スペクターや、ロネッツや、シュープリームスと会いました。みんな僕たちの憧れの人です。そのあと、ロサンゼルスでエルヴィス・プレスリーとも会って、忘れられない一夜を過ごしました。しかも僕たちは、彼の自宅で面会したんです。テレビをリモコンで操作している人を見たのはあのときが初めてでした。まさにヒーローっていう人物でしたよね。エド・サリヴァンにも会いました。有名になることを夢見ていた僕たちも、そのころにはかなり名を知られつつありました。マイアミで(女優・歌手の)ミッツィ・ゲイナーに会えたくらいですからね。
それからアビイ・ロードでのレコーディングも始まっていました。「Love Me Do」をレコーディングしたときのことは、いまでもよく覚えています。“Love me do”というパートは本来、ジョンがヴォーカルを取る予定でした。けれども彼はハーモニカも吹いていました。そこで、ジョージ・マーティンがレコーディングの途中に突然こう言ったんです。「“Love me do”ってところ、きみが歌ってみたら?」と。だから僕も心を決めて「わかった」と応えました。いまになって聴き返しても、ジョンのハーモニカに合わせて“Love me do”と歌う僕の声は、なんだか自信なさげな感じがします。
「Kansas City」のヴォーカルを録音したときのことも記憶に残っています。あの曲は難しくて、僕にはなかなかうまく歌えませんでした。思い切り叫ぶのが難しかったんです。そんなとき、ジョンがコントロール・ルームから僕のそばまでやってきて、こう言いました。
「きみならできる。頭のてっぺんから声を飛ばすように、思い切り叫ぶんだ。それだえけでいい。お前ならやれるよ」
あのときはどうもありがとう。おかげでなんとかやり遂げることができたよ。
それから、「A Day In The Life」を一緒に作曲したときのことも覚えています。お互いに目を合わせながら、“I’d love to turn you on(きみをその気にさせたい )”という一節を考えました。二人とも面白がって、意味ありげに視線を交わしましたよね。やれやれ……。
そしてそのあとヨーコという女性が現れました。オノ・ヨーコです。ある日、彼女は僕の家にやってきました。その日はジョン・ケージの誕生日でした。彼女は、いろいろな作曲家たちから資料になりそうなものを集め、ジョン・ケージに渡したいと思っていると言っていました。そこでジョンと僕にも声が掛かったというわけです。「僕は構わないけど、ジョンのところにも行ってみてよ」と僕は答えました。そして彼女は実際にそうしたんです。
その後、僕はいくつかの機材を用意しました。僕たちはブレネルのレコーディング機材を所有していたので、そのいくつかを僕がセッティングしたわけです。きみたち二人はそれを使って一晩のうちに『Two Virgins』をレコーディングしました。でも、あのジャケット写真を撮ったのはきみ自身です。あれには僕はまったく関わってはいないよ。
それからだいぶ経ったころ、僕はきみに何度か電話をしましたね。僕にとっては楽しい思い出です。ビジネス上のゴタゴタを経験したあとのことでした。僕たちはまた昔のように言葉を交わすようになったのです。きみはパンを焼いたり、幼いショーンと遊んだりして過ごしていることを話してくれました。とても嬉しかった。きみがそんな風に話してくれることが、僕の拠りどころになっていました。
そして長い時が経って、今日という日を迎えました。ここにいる人たちはみんな、きみという大切な存在に感謝するために集まっているのです。この手紙はきみの友人であるこのポールが愛を込めて書きました。ジョン・レノン、やったな。今夜、きみは“ロックの殿堂”入りを果たしたんだ。どうか神の御加護がありますように。
2023年11月10日発売
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全曲ミックス音源。追加トラック12曲
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全曲ミックス音源。追加トラック「ナウ・アンド・ゼン」を含む9曲