映画音楽作曲家とサントラの歴史:監督の思いとミュージシャンたち

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好きな映画があるならそのサウンドトラックも好きであるはずだが、作曲家の功績は語られないことが多い。

優れた映画監督は、作品をより完成されたものにすべく作曲家に頼るのが常だ。例えばオーソン・ウェルズの『市民ケーン』は、同作でデビューを飾ったバーナード・ハーマンの大胆不敵なスコアなしでは考えられない。オーウェン・ウェルズも「バーナードはファミリーの中心的な存在だ」と語り、次作『偉大なるアンバーソン家の人々』で再び彼を起用している。

バーナード・ハーマンはアルフレッド・ヒッチコックとの仕事で最もよく知られている。かの『サイコ』のシャワー・シーンで、音楽を使わないという監督の指示を無視した逸話は有名だ。ジャネット・リー演じるマリオン・クレインがモーテルの主人、ノーマン・ベイツと対面する場面は、刺すように冷たいヴァイオリンの音によって、観客が思わず目を覆うような映画史で最も印象的なシーンになった。バーナード・ハーマンはその後も『知りすぎていた男』や『マーニー』、『めまい』といったヒッチコック作を手掛けた。“音響コンサルタント”としてクレジットされた『鳥』での電子音を使ったスコアは、不吉なサウンドで同作を見事に演出した。また『地球の静止する日』では、ポップ・ミュージシャンたちがその奇妙な音色の魅力に気づくはるか前にテルミンを使用している。

リヨン生まれの作曲家、ジャン・ミッシェル・ジャールの父であるモーリス・ジャールも、『アラビアのロレンス』や『ドクトル・ジバゴ』(「Lara’s Themeの使用シーンは同作で指折りの特徴的なシーンとなった)などのオーケストラ音楽から、『刑事ジョン・ブック/目撃者』での先鋭的なエレクトリック・アレンジや、『危険な情事』での緊張感のある交響楽へとシフトしていった。

誤解を恐れずに言えば、故ジョン・バリーの右に出るものはいない。神の手を持つヨークシャー出身の男は、映画本編に劣らない人気を誇る『007』シリーズの音楽で知られ、『007 ゴールドフィンガー』、『007 サンダーボール作戦』、『女王陛下の007』などの名作のサントラを生んだ。豪勢なオーケストレーションで知られるジョン・バリーは、ポップ音楽のバックグラウンドを生かして実験的な試みも行い、『国際諜報局』で当時は革新的だったシンセサイザーやツィンバロム(ダルシマーの打楽器版)を使用している。

ジョン・バリーと同世代の音楽家に巨匠ジョン・ウィリアムズがいる。彼はテレビ・シリーズの『ピーター・ガン』や映画『酒とワインの日々』などで経験を積み、後に大ヒット作や様々なシリーズ映画で象徴的なテーマを作り出した。『ジョーズ』の「Main Title (Theme From Jaws)(邦題:メイン・タイトル~最初の犠牲者)」や、シニカルでコミカルな「Promenade (Tourists On The Menu)(邦題:埠頭での事件)」はバーナード・ハーマンでいうところの『サイコ』のような作品だ。ジョン・ウィリアムズの音楽は『ジョーズ』という映画の醍醐味になっているのだ。

『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』や『インディ・ジョーンズ』シリーズでは瑞々しく、ロマンティックで陽気なサウンドを生み出す一方で、長らく仕事で手を組んだスティーヴン・スピルバーグ監督の『太陽の帝国』や『ジュラシック・パーク』、『シンドラーのリスト』ではダークな一面を見せている。

ハリウッドでは他にもダニー・エルフマンとティム・バートンなど長きに亘るパートナー関係が多く生まれている。代表作は当初不評を買った『バットマン』や不気味なメロディの『シザーハンズ』などだ。

名サウンドトラックには期待、行動、決意といった重要な要素が表現されていることが多いが、優れたサウンドトラックの定義はごく主観的なものだ。例えば筆者のお気に入りはロイ・バッドが手掛けた『狙撃者』だが、それは映画の好みや好きな監督にも大きく左右される。ロバート・ワイズのファンなら『ウエスト・サイド物語』は外せないが、同作をミュージカル映画の名作に押し上げているのはレナード・バーンスタイン、アーウィン・コスタル、スティーヴン・ソンドハイムによる刺激的なスコアや歌詞だ。あるいはロバート・ワイズと聞いて頭に浮かぶのはリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン(とアーウィン・コスタル)の『サウンド・オブ・ミュージック』だろうか。

たとえ一本限りの作品だったとしても、あるジャンルや監督の熱心なファンにはまることがある。頭に浮かぶのはジェームズ・ウィリアム・ガルシオが音楽と監督を兼任した白バイ警官のカルト作『グライド・イン・ブルー』だ。あるいはデニー・ザイトリンによるアヴァンギャルドなジャズが印象的な1978年の不気味なリメイク作『SF/ボディ・スナッチャー』も強烈な作品だ。だがふたりが新しい作品を生み出すことはなかった。ジェームズ・ウィリアム・ガルシオはカリブ・ランチというスタジオの運営に専念し、デニー・ザイトリンは映画音楽制作があまりに時間を浪費するものだとしてピアニストの活動に戻ってしまった。

ときにはサウンドトラックが我々を恐怖の底に突き落とすこともある。クシシュトフ・ペンデレツキの名作「Polymorphia」のクラシカルなサウンドはスタンリー・キューブリックの『シャイニング』にぴったりだった。それは『エクソシスト』も然りである。だが彼が1965年のポーランド映画『サラゴサの写本』はまさに名品と呼べるものであり、ジェリー・ガルシアやマーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラが同作のオリジナル版の修復に資金を出したひとつの理由はそこにあったのだ。後にマーティン・スコセッシは、クシシュトフ・ペンデレツキの「Symphony No.3」を『シャッターアイランド』で使用している。クエンティン・タランティーノと並ぶ映画マニアであるマーティン・スコセッシは『タクシー・ドライバー(原題:Taxi Driver)』でバーナード・ハーマンを起用したが、同作が巨匠の遺作となった。

ホラー、フィルム・ノワール、SF、そのすべてに、作品のムードを高めてくれる感受性豊かな作曲家が必要である。電子楽器を使ったヴァンゲリスによる『ブレードランナー』のサウンドトラックは、フィリップ・K・ディックの描くディストピア化したロサンゼルスの世界観を見事に表現し、ジョン・ウィリアムズは同じくディック作の『マイノリティ・リポート』で手腕を発揮している。

もう少しカルトな映画の話をしよう。『ブルーベルベット』、『ツインピークス』、『ストレイト・ストーリー』、そして傑作『マルホランド・ドライブ』でデヴィッド・リンチと手を組んだアンジェロ・バダラメンティはどうだろう。ピノ・ドナッジオの手掛けた『赤い影』のサウンドトラックも驚くべきものだが、イタリアといえば巨匠、エンニオ・モリコーネの話は避けられないだろう。クリント・イーストウッド扮する“名無しの男”が馬に乗り銃を打ち鳴らせば、『続・夕陽のガンマン』のテーマが流れ出すだろう。

エンニオ・モリコーネがセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウェスタン(実際にはスペイン南部のアルメニアで撮影されていた)の諸名作に果たした功績はあまりに大きい。『ウエスタン』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では、彼の作品が全編に亘り大々的に使われている。エンニオ・モリコーネは88歳となった今もなお健在で、アカデミー賞作曲賞を獲得したクウェンティン・タランティーノの『ヘイトフル・エイト』を見ても、その力は少しも衰えていない。彼に神の御加護があらんことを…。

エンニオ・モリコーネは常に、その映画の主人公のテーマ曲を作ってきた。それはアルゼンチンの作曲家、ラロ・シフリンも『ダーティハリー』シリーズ(5作中4作で音楽を手掛けた)で用いている手法で、彼のスコアは力強いビバップやジャズ/ブルースのサウンドによってサンフランシスコの裏の顔を浮き彫りにしている。

すべての映画音楽家が正統派のクラシック出身というわけではない。『π(パイ)』、『レクイエム・フォー・ドリーム』、『ブラック・スワン』、『ハイライズ』などを担当したクリント・マンセルはポップ・ウィル・イート・イットセルフのリード・ギタリストであったし、『マリリンとアインシュタイン』、『ライオン・キング』、『グラディエイター』、『レインマン』、『ダークナイト・ライジング』、『ダンケルク』などを担当しアカデミー賞やグラミー賞を受賞したハンス・ジマーはほとんど独学で音楽を習熟し、バグルスのメンバーだったこともある。一方で、『グランド・ブダペスト・ホテル』や『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』を担当いsたアレクサンドル・デスプラなどといったクラシック一筋の音楽家もいる(アレクサンドル・デスプラの場合、ラテン音楽への素養がラヴェルやドビュッシーへの愛好に繋がったのもまた事実だ)。

アレクサンドル・デスプラは、ハリウッドとパリでの仕事をうまく両立しているが、外国映画に目を向ければ、謎に包まれたドイツの音楽家、ポポル・ヴーはヴェルナー・ヘルツォーク監督と多く仕事をしてきた。彼らのアンビエントな音楽が楽しめる作品としては『アギーレ/神の怒り』や『ガラスの心』、『ノスフェラトゥ』が特にお勧めだ。

イタリア系アメリカ人のマイケル・ジアッチーノも彼らとは異なるバックグラウンドを持つ。彼はニューヨークにあるスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツで学んだ後、ディズニーやアンブリン・エンターテインメント、ユニヴァーサルに起用され、最近では『ジュラシック・ワールド』や『スター・トレック』の音楽を担当している。そんな彼にルーカスフィルムが、ジョン・ウィリアムズに代わって『スター・ウォーズ』シリーズのスピンオフ作『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を任せたのも不思議ではない。映画公開日に合わせてリリースの同サウンドトラックは、デス・スターの設計図を盗み取る反乱軍の一団の奮闘を音楽で演出する。

 

これだけ挙げてもまだ十分ではない。女性作曲家も活躍している。『パーフェクト・クリーチャー』や『レ・ミゼラブル』などのアン・ダドリー、父であるスタンリー・キューブリック監督作『フルメタル・ジャケット』の音楽を手掛けたヴィヴィアン・キューブリック、レイチェル・エルカインドとともに『時計じかけのオレンジ』、『シャイニング』などのスコアを作曲したウェンディ・カルロス、『ハンティング・グラウンド』などのミリアム・カトラーらはあくまで創造性に富んだ音楽家たちの氷山の一角に過ぎない。このほかにも、有名なBBCレディオフォニック・ワークショップのパイオニアであるダフネ・オラムやデリア・ダービーシャーなど枚挙に暇がない。

普段はポップやロックを演奏するアーティストも、経験値を高めるため映画音楽を手掛けることがある。ジョージ・ハリスンは『ワンダーウォール』を担当(*訳注:ジョージ・ハリスンのアルバムは『Wonderwall(邦題:不思議の壁)』)、ポール・マッカートニーは『ふたりだけの窓』、マンフレッド・マンの『UP THE JUNCTION』などは60年代に本業と切り分けてサウンドトラックを制作していたが、他方、フィル・スペクターのアレンジャーだったジャック・ニッチェは映画界へそのまま移行していった。彼が音楽を担当した『男の傷』、『クロッシング・ガード』、『パフォーマンス 青春の罠』は賞賛に値するものだ。また、『パフォーマンス/青春の罠』に聴けるミック・ジャガーによる挿入歌「Memo From Turner」も一聴の価値がある。

70年代にはママス&パパスのジョン・フィリップスが、ニコラス・ローグ監督作『地球に落ちて来た男』のサウンドトラックの大半を制作している。そして、カルト的な評価を受けてきた同スコアは未発表のまま40年が経ってようやくリリースされた。長らく議論の的になっていたデヴィッド・ボウイ作のスコアは未だ陽の目を見ていないが、同映画にツトム・ヤマシタの音楽を使うことを勧めたのはデヴィッド・ボウイ自身だった。

最近ではフェイス・ノー・モアのフロントマン、マイク・パットンが『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』に提供した不気味なサウンドトラックや、元インディ・ロック・ミュージシャンのヨハン・ヨハンソンによる『プリズナーズ』の氷のように冷たい音楽が記憶に新しい。

不思議なことではないが、近年の映画音楽家には博学なイメージがある。ニック・ケイヴは映画音楽への参入を簡単に成し遂げ、『ジェシー・ジェームズの暗殺』や『ザ・ロード』、『最後の追跡』などを自身のバンド、バッド・シーズのメンバーであるウォーレン・エリスとしばしば共同で手掛けて高い評価を得ている。

ふたりは他のアーティストと性急で意外にも思えるコラボレーションをすることがあり、マーク・ノップラーの『プリンセス・ブライド・ストーリー』、マイケル・ペンの『ブギーナイツ』、ベースメント・ジャックスの『アタック・ザ・ブロック』、ヤー・ヤー・ヤーズのカレン・Oの『かいじゅうたちのいるところ』などと仕事をともにしている。

最後に、ベックやカニエ・ウェストとコラボレートしたジョン・ブライオンの『エターナル・サンシャイン』やライ・クーダーの『パリ、テキサス』、バッドリー・ドローン・ボーイの『アバウト・ア・ボーイ』)、アイザック・ヘイズの『黒いジャガー』、ダフト・パンクの『トロン:レガシー』、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』にスリリングなサウンドトラックを提供したジョニー・グリーンウッド、そして『スーパーフライ』でソウル/ファンクの名スコアを制作したカーティス・メイフィールドらを挙げておきたい。

だが、もちろんこれで終わりではない。サウンドトラックは有機的で進化し続けるメディアなのだ。その存在こそ我々が映画館に足を運び、その世界に没入することが出来る理由でもある。本編が終わっても、出口に急ぐことはしないでほしい。是非最後のクレジットまでご鑑賞いただきたい。

Written by Max Bell



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