ブロンディ『Parallel Lines』解説:「Heart of Glass」を収録し2,000万枚を売り上げたアルバム

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ブロンディ(Blondie)の画期的な3作目『Parallel Lines(邦題: 恋の平行線)』がもし存在しなかったらロックがどのように進化していたのか想像することは難しい。彼らが与えた影響は、ヤー・ヤー・ヤーズ、ストロークス、そしてLCDサウンドシステムなどの歴代のニューヨーク・バンドを聴けば明らかであり、その不滅のカッコよさでアルバムは世界で2000万枚以上の売上を果たした。

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デボラ・ハリーとメンバーの代表的な作品として知られる『Parallel Lines』は、厳しい評論家達さえも黙らせただけではなく、気難しいことで有名なヴィレッジ・ヴォイス誌のロバート・クリストガウに「これ以上のポップ・ロックは存在しない」とまで言わせた。しかしポスト・パンク時代の頂点の一つとして評されるアルバムではあったが、だからと言ってバンドが1978年6月にプロデューサーのマイク・チャップマンとセッションを始めた時、その輝かしい成功が当然保証されていた訳ではなかった。

確かにブロンディはパンクの枠を超え、『Parallel Lines』より以前にすでに世界的に認められていた存在ではあった。アメリカでの成功はまだ手に入れてなかったが、1978年初期にランディ&ザ・レインボウズの1963年のヒット「Denise」を明るくカヴァーするとそれがヨーロッパで受け入れられ、UKでは2位にランクイン。そのブレイクの背景には、ブロンディのUKトップ10入りを果たしたセカンド・アルバム『Plastic Letters』の発売があり、今作に収録の素晴らしいトラック「(I’m Always Touched By Your) Presence, Dear」が全英チャートで10入りしたことにより、“トップ・オブ・ザ・ポップス”に再び出演することになったのだ。

当時のブロンディは海外でより大きな成功を収めていたが、母国アメリカでもそれに追いつくために、クリサリス・レコードは3作目で新しいプロデューサーを迎える手配をした。すでにスウィート、マッドやスージー・クアトロなどのグラム時代のヒット曲をプロデュースしてきたロサンゼルス出身のマイク・チャップマンは賢い選択肢となった。ブロンディの新曲(ギタリストのクリス・スタインが作曲した「Sunday Girl」等)にすでに興味を示していたチャップマンは、ニューヨークにあるパワー・ステーション・スタジオで行われる『Parallel Lines』のセッションに参加することを決めた。

クリサリス・レコードが『Parallel Lines』の為にスタジオを6ヶ月間押さえていたにも関わらず、メンバーとプロデューサーは6週間経ってからようやくスタジオに集まったが、そのスタジオに入った瞬間から既に成功の兆しが見えていた。

パンクのエネルギーを保ちつつ、夢中にさせるポップ「Pretty Baby」からクリス・スタインによる映画のようなバラード「Fade Away And Radiate」、そしてキーボーディストのジミー・デストリのドラマチックな「11.59」まで、新しい楽曲は多様でしっかりしたものばかりだった。デボラ・ハリーもヴォーカリストとして身につけてきた自信と多才さを披露し、激しいストーカーについて歌った「One Way Or Another」には打たれ強い精神を注ぎ込み、60年代のクラシック・ポップ「Sunday Girl」では可愛い隣のお嬢さん的な印象を与えている。

その他にも『Parallel Lines』には、バディ・ホリーの「I’m Gonna Love You Too」の熱いカヴァーやロサンゼルスのパワーポップ・バンド、ナーヴスの「Hanging On The Telephone」の強気なカヴァーなど、厳選されたカヴァー楽曲も含まれている。

一方で、スタジオで完璧を探求するチャップマンは、アルバムの中で、最も大胆な楽曲「Heart Of Glass」でバンドを極限まで追い込んでいた。元々はデボラ・ハリーが作曲を手掛け、「Once I Had A Love (aka The Disco Song)」と名付けられたこの曲は、1975年にスタジオで完全に作り直されると、ジョルジオ・モロダーの様なキラキラとしたグルーヴと、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』やブロンディが尊敬するエレクトロニック音楽の先駆者、クラフトワークのディスコサウンドを併せ持った楽曲に生まれ変わった。

象徴的で強烈なインパクトを残すエド・ベルトグリオ撮影による『Parallel Lines』のアルバム・ジャケットは、1978年9月23日に初めてリリースされるや否や好評を得た。そして、ブロンディのファンたちも彼らの成功に大いに期待を持った。

シングル「Picture This」と「Hanging On The Telephone」が全英シングル・チャートでTOP20入りし、『Parallel Lines』が全英アルバム・チャートの首位を飾った後、デボラ・ハリーとメンバーたちはUKツアーをソールド・アウトさせ、ロンドンのケンジントン・ハイ通りにあるアワー・プライス・レコード店にてサイン会を開催すると、ザ・ビートルズのファンを彷彿とさせる混沌とした状況を生み出した。

1979年1月、ジャンルの垣根を越えた「Heart Of Glass」で、ブロンディにとっての初の全英No.1を獲得した後、そのイギリス、ヨーロッパ、そしてオーストラリアでの成功は、アメリカでも商業的成績として反映されていった。スタンレー・ドーフマンが、ニューヨークにある洒落たナイトスポット“ニューヨークニューヨーク”でのパフォーマンスを撮影した象徴的なミュージック・ビデオの助けもあり、「Heart Of Glass」はすぐにブロンディにとって自身初の全米No.1シングルとなり、バンドは正真正銘のスーパースターとなったのだ。

Written By Tim Peacock


ブロンディ『Parallel Lines』
CD / iTunes / Apple Music / Spotify




 

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