エルトン・ジョンの人生を変えた夜:1970年8月25日、自身初のアメリカでのライヴ
若きエルトン・ジョンは、1960年代後半からずっと、シンガー・ソングライターとして成功しようと苦心していたが、苦戦を強いられていた。1969年6月にリリースしたデビュー・アルバム『Empty Sky』でさえも劇的に彼の運命を変えることはなく、1970年のシングル「Border Song」もイギリスではある程度ラジオでかかっていたものの結果は伴わなかった。
その春、2枚目となるセルフ・タイトルのアルバム『Elton John』(邦題:僕の歌は君の歌)がイギリスでは5月にチャート入りを果たしたが、エルトン・ジョンは日銭を稼ぐためにまだホリーズなどとのレコーディング・セッションを行っていたほどだった。しかしアメリカでMCA傘下のユニ・レコードと契約した後の1970年8月25日、エルトン・ジョンの人生が一夜にして変わることになった。
その日はエルトン・ジョンがロサンゼルスのトゥルバドールで自身初のアメリカでのライヴの日だった。会場の20周年記念イベントの一環として、彼が大好きだったアーティストの1人、デヴィッド・アックルズの前座をつとめたのだ。また、エルトン・ジョンがヒーローと崇め、音楽を作るきっかけでもあり、エルトン・ジョンとソングライティングのパートナーだったバーニー・トーピンも大好きだったアメリカーナの真の代表者、レオン・ラッセルもその日客席にいたのだ。
観客席の中で一目置かれる存在はレオン・ラッセルだけではなかった。エルトン・ジョンがベースのディー・マレイとドラムのナイジェル・オルソンからなるバンドで、2回まわしでパフォーマンスをした6夜の公演の初日のステージに立つと、その客席にはプロデューサーでありバンド・リーダーでもあるクインシー・ジョーンズもいた。エルトンがこのロサンゼルスでのライブのたった10日前、母国イギリスのウェスト・ヨークシャーの田舎町ハリファクスでライヴをしていたと思うと興味深いものだ。
最初のトゥルバドールのライヴのセットは、まだ全英チャート・デビューを果たす前の曲「Your Song」で始まった。「Border Song」「Sixty Years On」「Take Me To The Pilot」もセットに組み込まれ、ザ・ローリング・ストーンズの「Honky Tonk Women」のカヴァーまで披露した。
「トゥルバドールはまさにきっかけとなった瞬間でした」とバンド・メンバーのカレブ・クエイはのちに振り返った。「エルトンはステージで何を人に伝えることができるのか、自身の深いところを探す必要があったんです。彼をトゥルバドールに送ることは、ディック・ジェイムス・ミュージック(*訳注:音楽出版社)が必死に、彼をもっと人々の人気を惹くよう存在にしようとしていたということなんです」
そのライヴの週に「Border Song」は全米シングル・チャート入りし、記録自体は控えめだったものの、トゥルバドールへの出演がその勢いをつけ、エルトン・ジョンの商業的な爆発のきっかけとなった。セカンド・アルバム『Elton John』は10月の第1週目に全米チャート入りし、51週間ランク・インし続け、最高4位を達成。その全ては、あのウェスト・ハリウッドの400人しか入りきらない小さなライヴ会場で始まったのだ。
Written by Paul Sexton
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