映画産業へ進出したモータウン:全米のスクリーンを彩ったサウンドと歴史

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Photo: Michael Ochs Archive/Getty Images

ベリー・ゴーディ・ジュニアは1959年1月12日にモータウン・レコードを創業したが、そのはるか以前から生まれ持った起業家精神を発揮していた。そしてデトロイト発の同レーベルが驚異的なペースでヒット作を世に放ち始めると、ゴーディはすぐに次なる野望を口にするようになった。それは、映画/テレビ産業における世界の中心地であるハリウッドで仕事をしたい、ということであった。

そうしてモータウンは60年代を代表する名レーベルとして成功を収めてから間もなく、映画業界とも関係を持つようになったのだ。モータウンから生まれた数々のヒット曲同様、その道のりを振り返れば、アメリカの黒人社会がいかにしてポピュラー文化に大きな影響をもたらしてきたかを窺い知ることができる。

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“ビーチ”を足がかりに映画業界へ進出

モータウンが初めて西海岸に手を広げたのは1963年のこと。この年、同レーベルはロサンゼルスにオフィスを開設したのだ。ゴーディはそれから一年も経たず、モータウンを代表する人気アーティストたちを低予算・高利益の“ビーチ・パーティー系映画”に出演させ始めた。簡単に言えば、清廉潔白なスターたちが海辺でどんちゃん騒ぎを繰り広げているところに、ポップ・アーティストが現れて1、2曲披露する、というような内容の映画である。

例えば、“リトル・スティーヴィー・ワンダー”の名で活動していたころのスティーヴィー・ワンダーは、フランキー・アヴァロンとアネット・ファニセロが主演を務める『ムキムキ・ビーチ(Muscle Beach Party)』や『ビキニ・ビーチ(Bikini Beach)』に出演。1965年にはシュープリームスの面々も、『踊る太陽(Beach Ball)』と『ビキニ・マシン(Dr. Goldfoot And The Bikini Machine)』 (後者ではヴィンセント・プライスがドクター・ゴールドフットという科学者を演じた) という似たような内容の映画2作でパフォーマンスをしている。

だが、モータウンがハリウッドに進出したばかりのころの真の秀作はほかにある。1964年、ミラクルズ、マーヴィン・ゲイ、シュープリームスの3組は、ビーチ・パーティー系のジャンルにおける最大の配給会社だったアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが手がける別の映画に出演。それが、ビーチ・ボーイズ、ジェームス・ブラウン、ザ・ローリング・ストーンズらロック/R&B界屈指の大物たちが出演したコンサート作品『ビート・パレード(The T.A.M.I. Show)』である。

さらに同年、モータウンはレーベル初となる映画のサウンドトラック・アルバムをリリース。アイヴァン・ディクソンやアビー・リンカーンが出演し、高い評価を受けたドラマ映画『Nothing But A Man』がその作品であった。そしてワンダー (「Fingertips (Pt. 2) 」) 、メアリー・ウェルズ (「You Beat Me To the Punch」) 、ミラクルズ (「Mickey’s Monkey」) らのヒット曲を収録したこのアルバムは、同時期のモータウンの人気曲を集めたサンプラーとしても機能していたのである。

 

「どこに向かっているか分かっているの?」

しかし、ゴーディがビーチでの馬鹿騒ぎに加わっただけで満足するはずはなかった。60年代の終わりごろ、彼はロサンゼルスに家を購入し、“音楽業界の有力者”以上の存在になることを本格的に目指し始めたのだ。モータウンのゼネラル・マネージャーだったバーニー・エイルズは1970年、ジェット誌にこう話している。

「ベリーは新たな世界を攻略しようとしている。そんなとき、たまたま西海岸にあったのが映画とテレビの産業だったんだ」

そうしてモータウンは1972年までにデトロイトからロサンゼルスへの移転を完了。一部の優れた所属アーティストたちはこのときレーベルを去ることになったものの、これによってレーベルの事業を拡大する準備が整ったのである。

やがて、モータウン最大の女性スターが同社の手がける名作映画でも活躍するようになった。ダイアナ・ロスは1972年公開の『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』でビリー・ホリデイを演じて米アカデミー賞にノミネートされたほか、そのサウンドトラック盤でも全米1位を獲得したのだ。

さらにダイアナ・ロスは、1975年、ゴーディ自らが監督し、テーマ曲は米チャートを制した『マホガニー物語』 では成功を夢見るドレス・デザイナーからモデルに転身した女性を熱演。そして、モータウンがブロードウェイの人気ミュージカルを大規模な予算で映画化した『ウィズ 』では、マイケル・ジャクソン、レナ・ホーン、リチャード・プライヤーなどの共演者と並んで主人公のドロシーを演じた。

モータウンはまた、自社のアーティストや楽曲をほかの映画に登場させる形でも話題を振りまいた。1972年にチャートを制したマイケル・ジャクソンの優美な一曲「Ben (ベンのテーマ) 」はネズミに纏わる同名のホラー映画に使用され、モータウンのシングルとして初めてアカデミー賞にノミネート。

他方、アイザック・ヘイズによる映画『黒いジャガー』の音楽が高く評価されると、モータウンはその勢いでブラックスプロイテーション映画のサウンドトラックも数多く手がけるようになった。実際、マーヴィン・ゲイ (『Trouble Man (野獣戦争) 』) 、ウィリー・ハッチ (『The Mack』『Foxy Brown』) 、エドウィン・スター (『Hell Up In Harlem (ハーレム街の首領) 』) らもこのジャンルで作品を残しているのだ。

愛の言葉で心を満たそう

世界中で大ヒットを記録した『サタデー・ナイト・フィーバー』以降、サウンドトラック・アルバムの制作は一大ビジネスになった。そのためモータウンのミュージシャンたちも、映画の劇中歌を歌って次々に成功を収めていった。

例えば、1979年の映画『ザ・ドロッパーズ』に使用されたビリー・プレストンとシリータの「With You I’m Born Again」はチャートのトップ5に入るヒットを記録。また、コモドアーズの一員だったライオネル・リッチーが初めてグループを離れてレコーディングをしたのも、映画の劇中歌で、彼はブルック・シールズ主演の恋愛映画『エンドレス・ラブ』 (1981年) の主題歌を作曲すると、ダイアナ・ロスとのデュエットでこれを自ら歌い、チャートの首位に送り込んだのである。

そしてモータウンのハリウッドでの快進撃は、同社の楽曲が2年連続でアカデミー歌曲賞を受賞したことで一つの頂点に達した。それは、いずれも全米1位に輝いた楽曲で、『ウーマン・イン・レッド』に使用されたスティーヴィー・ワンダーの「I Just Called To Say I Love You (心の愛)」、そして『ホワイトナイツ/白夜』に使用されたライオネル・リッチーの「Say You, Say Me」だった。

しかし、サウンドトラックの分野におけるモータウン最大の成功は、書き下ろしの音楽作品によってもたらされたものではなかった。1983年公開の映画『再会の時』は、60年代に大学生だった旧友たちが再会を果たす内容の青春ドラマだ。そして劇中の登場人物たちも同世代の多くの人びと同様、モータウンの音楽に癒しを求めるのである。

そのため同作のオリジナル・サウンドトラック盤には、マーヴィン・ゲイやテンプテーションズ、ミラクルズらの名曲が収められた。このアルバムは発表からの15年で600万枚以上を売り上げ、その続編となるアルバム (当時はほとんど前例のなかったコンセプトだ) にはモータウンのヒット曲がさらに多く収録されたのだった。

ベリー・ゴーディが最後にプロデュースした映画は、ハーレムを舞台にした格闘映画『ラスト・ドラゴン』である。映画自体とそのサウンドトラックは一部でカルト的な人気を誇るにとどまっているが (サントラ盤にはスティーヴィー・ワンダーや、同作に出演したヴァニティの楽曲も収録されている) 、同作からはデバージの「Rhythm Of The Night」という大ヒット曲が生まれた。

これにより家族グループであったデバージはポップ・チャートへと進出。それがきっかけとなりフロントマンのエル・デバージは、このあとも1986年の映画『ショート・サーキット』に使用された「Who’s Johnny」なでをヒットさせたのだった。

80年代の終わりまでに、ゴーディは自らが興した伝説的レーベルの経営から撤退。それでも”サウンド・オブ・ヤング・アメリカ”をモットーに掲げたモータウンは映画業界に関わり続けた。

同社は、いずれもスパイク・リー監督作であるパブリック・エナミーの「Fight The Power」を収録した『ドゥ・ザ・ライト・シング』とスティーヴィー・ワンダーが音楽を手がけた『ジャングル・フィーバー』のサウンドトラック盤をリリース。

そのほか、エディ・マーフィ主演の映画『ブーメラン』(1992年) に使用されたボーイズIIメンの「End Of The Road」は、13週連続で全米シングルチャートの首位に立つという当時の最長記録を樹立した。

21世紀に入ると、モータウンと映画業界との関係も新たな局面を迎えた。同社が物語を紡ぐのではなく、ゴーディや所属アーティストたちの功績が『永遠のモータウン』(2002年) や『メイキング・オブ・モータウン』(2019年) といったドキュメンタリーで語られるようになっていったのだ。

最後は、このレーベルを代表する映画の主題歌の一節を拝借するとしよう。

They said it for always,  that’s the way it should be
彼らはいつも言っていた それでいいんだと

Written By Mike Duquette



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