T.レックス「Metal Guru」:4度目、そして最後の全英No.1
モリッシーが寄稿したトニー・ヴィスコンティの自伝の前書きにはこう綴られている。
「怒涛のように押し寄せた “Telegram Sam”と“Metal Guru”で彼らのアート性が極みに達したとき、僕らが受けた音楽的な襲撃は、秘密の階段や見せかけの壁から受けるそれに似ていた。そして理解を超えた何かが僕を侵すことになる。ポップ・ミュージックは純正であってほしいと思ったんだ」。
全英1位獲得としてはT.レックスの4作目であり、最後の曲となった「Metal Guru」は、マーク・ボランの魅力的なグラム、ハーモニー、押し寄せるポップの融合と、トニー・ヴィスコンティの見事なアレンジとプロダクションのスキルという魔法が加わった作品だった。当時まだティーンエイジャーになったばかりのモリッシーにとって、当時本作を聴いて育った多くの若者同様に、「Metal Guru」は特別な存在だった。
「Metal Guru」はシャトー・デルヴィーユ(エルトン・ジョンによるところの“ホンキー・シャトー”)で3日間立て続けでレコーディングした。パリから戻ると、残りの作業は10ccが所有するストロベリー・スタジオで続けられた。
マーク・ボランは「Metal Guru」についてこう語っている。「人生を祝福した曲だ。“メタル・グルー”は周りにいる神々すべてに通じるものがあると思っている。俺は神は信じるが、宗教に信仰してはいない。“Metal Guru”は特別な人みたいなもので、神に違いないよ。神はどういうものか考えてみたんだ。きっと孤独で電話はないと思う。俺ももう電話には出ないんだ。決まった時間に連絡を取るコードだけがある」。
シングルは1972年5月13日に14位でチャート入りし、翌週には1位を達成、(ありがたいことに)ザ・ロイヤル・スコッツ・ドラグーン・ガーズの「Amazing Grace」に取って代わった。1か月後、T.レックスはドン・マクリーンの「Vincent」に超されてしまうが、同曲は、同じくホンキー・シャトーでレコーディングされたエルトン・ジョンの「Rocket Man」の1位獲得を阻止した。
Written by Richard Havers
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