追悼メアリー・ウィルソン:シュープリームスやモータウンについて語る2019年のインタビュー公開

Published on

Photo: Motown/EMI Hayes Archives

2021年2月8日に亡くなったザ・シュープリームスのオリジナルメンバー、メアリー・ウィルソン(Mary Wilson)。2019年に発売した自叙伝『Supreme Glamour』の際に本国uDiscover Musicで掲載されたインタビューを公開します。

 


 

メアリー・ウィルソン(Mary Wilson)は、言うまでもなく数十年も前から世界的なセレブリティの1人であるが、2019年は、あらためて彼女という人物にスポットライトが向けられた年だった。2019年9月30日の世界公開に先駆け、その1週間前となる9月23日、メアリー・ウィルソンをゲストに迎えて先行プレミア上映が行われた映画『メイキング・オブ・モータウン』は、デトロイトに本拠地を置いていた時代のモータウンの発展をドキュメントした作品だ。一方で、同年彼女が出演したTV番組「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」は、全く新しい世代にシュープリームスのオリジナルメンバーであるメアリー・ウィルソンを紹介し、名声とは儚く終わることもあるが、真のスターダムは永続的であることを世に知らしめた。

2019年9月16日にABCで放送が開始した「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」のシーズン28では、メアリー・ウィルソンが、カントリー・スターのローレン・アライーナ、BBCのテレビドラマ『ジ・オフィス』に出演した女優のケイト・フランネリー、フィフス・ハーモニーのアリー・ブルックらとダンスで勝負を競った。同番組の初回では、メアリーとダンス・パートナーのブランドン・アームストロングが、おそらくシュープリームス史上最も有名な、不朽の名曲「Baby Love」に乗せてフォックストロットを踊っている。

<関連記事>
シュープリームスのオリジナルメンバー、メアリー・ウィルソンが逝去。その功績を辿る
ダイアナ・ロスのシュープリームス脱退、ラスベガスでのさよならコンサート

「私は昔からずっと変わっていません」

彼女こそ、ショービジネスの血が流れている生粋のエンターテイナーであり、引退など頭をかすめることすらなく、この年おそらくシュープリームスの全盛期以来のどの時代よりも多忙を極めていたことだろう。しかしながらメアリー・ウィルソンは、2019年のモータウン創立60周年記念の一環として、国内外メディアによる長尺インタビューに応じたり、自叙伝『Supreme Glamour』について語ったりと、彼女自身の過去を回想することを楽しんでいた。

2019年9月17日に、アメリカのテムズ&ハドソン社から出版された『Supreme Glamour』は、彼女たちの過去のステージ衣装を通して、比類なきグループの物語と、“アイコニック”と呼ばれるに値する彼女たちの画期的なファッションの進化を辿っている。

Photo: Donaldson Collection/Michael Ochs Archives/Getty Images

メアリー・ウィルソンは、時折優しく微笑みながらuDiscover Musicのインタビューに応じてくれた。

「“最近忙しいでしょう?” とよく言われますが、私は昔からずっと変わっていません。今になって人々がそれを知ったってことでしょうね。私は過去45年間、ずっと今みたいに忙しくしていましたが、今はソーシャルメディアのおかげで、私のようなアーティストが何をしているのか、皆さんが知ってくれるようになりました。一方で世の中には作品作りに必死になっているアーティストが沢山いますが、私たちが彼らについて知るきっかけはありません。何故ならラジオのあり方が昔とは変わってしまったから」

カラー写真を多数掲載した自叙伝『Supreme Glamour』は、“元祖ポップ・ファッショニスタの裏話”とその解説にある通り、デトロイトのブリュースターダグラスの低所得者用の公共団地で結成されたグループの誕生から、世界中のチャートで成功を収めるまでの、シュープリームスの軌跡を振り返るメアリー・ウィルソンの回想録をフィーチャーしており、彼女はこの本の序章で次のように記していた。

「ザ・プライメッツ(前身グループ)/シュープリームスについては、これまでにも多くの本の中で書かれてきましたが、これはグループ結成から解散までの間に、私たちがいかにして名声を獲得していったかを辿るオリジナルメンバーによる初のオフィシャル・ブックです。この本では、私たちの美しく、煌びやかで“グラマラスな私たちの”キャリアを写真と共に紹介しています」

「私は全てについて愛情を込めて話すように心掛けています」

実際にメアリー・ウィルソンは、1986年に出版された1960年代のセレブリティによる初期の回顧録で、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストにも掲載された『Dreamgirl: My Life As A Supreme』の中でも、自身のストーリーを語っている。さらに1990年には、シュープリームス解散後の人生について記した続編『Supreme Faith: Someday We’ll Be Together』を出版し、彼女はこの本の中でグループが与えた影響について、率直な胸のうちを明かしている。

「私はこれまでに何冊かの本を書き、全てを語ってきました。それによって何人かの友を失いましたが、もし私がこれらの本の中で事実を話さなかったなら、誰もそうすることはなかったでしょう。私は全てについて愛情を込めて話すように心掛けています」

Photo: Motown/EMI Hayes Archives

自叙伝『Supreme Glamour』では、メアリー・ウィルソン、ダイアナ・ロス、フローレンス・バラードが、シュープリームスで成し遂げてきたことへの驚きと感謝の気持ちが瑞々しく描写されている。

「私たちは育てられたんです。ショービジネスから引退した方々がモータウンに来て人生経験を教えてくれて、アーティスト育成を受けていました。マクシーン・パウエル(コンサルタントとしてモータウンに来る前に、1950年代に彼女の美装・モデル学校を経営していた)から、“あなたたちははキングとクイーンのために歌うことになるのよ”と言われた時に、私は冗談混じりに、“まあ、私たちが見たことがあるクイーンと言えば、ゲイのファンだけですけどね”と答えたものです」

無論、これは1968年にロンドン・パレイディアム劇場でエリザベス女王の前で行われた有名なシュープリームスの“ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス”を除いての話だ。当時の出来事は、『Supreme Glamour』の中に詳しく記されている通りだが、彼女たちはマイケル・トラヴィスがデザインしたシルク・クレープのドレスでパフォーマンスを披露し、それぞれのドレスの重さは35ポンド(15.8キロ)だったという。

「私たちの外見の魅力は、音楽と同じくらい重要なものでした」

メアリー・ウィルソンはA&Rの主任だったハーヴィー・フークワ、振付師のコリー・アトキンズ、ヴォーカル・コーチ兼音楽監督のモーリス・キングをはじめ、陰ながら彼女たちを支えたモータウン・チームの重要な貢献者たちを称え、モーリス・キングについては次のように述べている。

「彼は、私たちがバラエティーショーに出演していた頃のビッグ・バンドのリーダーでした。ダイアナやグラディス・ナイトを教えていたのも彼でした。彼女たちのモノローグはすべて彼が書いたものです」

また、シュープリームスがステージで着用したビーズやスパンコールをあしらったドレスの多くは、単にハイファッションのステートメントであるだけでなく、当時のオートクチュールの著名デザイナーたちによる最先端のデザインだった。過去には、彼女が保有する衣装の数々が英米の美術館で展示されたこともある。1977年にシュープリームスの最後のラインナップが解散した後についてメアリーはこう語る。

「私は自分で衣装代を払っていたので、ドレスを保持していたんです。モータウンに保管してあったものもありましたが、何百着も行方不明になってしまっています。今でも探し出そうとしていて、eBayに出品されたりすることもあります。誰かがフランスで見つけたり、ファンの方が2、3着買い戻してくれたこともありました」

シュープリームスはモータウンで最も成功したガールズ・グループとしての名声を得たかもしれないが、自叙伝『Supreme Glamour』では、彼女たちはそれ以上のものを象徴する存在になったという見解にも焦点を当てている。

「私たちは単なるアーティスト以上の存在でした。私たちの外見の魅力は、音楽と同じくらい重要なもので、それが手に取るようにわかりました。“Supreme Glamour”の前書きの中で、ウーピー・ゴールドバーグは、彼女が若い頃に、いかなることも可能なのだと教えてくれたのはシュープリームスだったと記してくれました。つまり、それこそ私たちが女性たちのために代弁していたことなのです。私たちは長い道のりを歩んできました。1964年にイギリスに行った時のことを覚えていますが、当時は女性の社長なんてほとんどいませんでした。それから、ベトナム戦争の退役軍人の方々にもお会いしましたが、彼らは、シュープリームスのおかげで戦争を乗り切ることができたと語り、そのうちの何人かは衣装について言及していました」

メアリー・ウィルソンは、フォー・トップスのデューク・ファキールやミラクルズのクラウデット・ロビンソンといった元祖モータウン・アーティストたちと共に、2019年4月にテキサス大学オースティン校のLBJ大統領図書館で開催された「Motown: The Sound of Young America」展の立ち上げに参加した。新ドキュメンタリー映画『メイキング・オブ・モータウン』でもその様子は垣間見ることができる通り、彼らの会話は幸せな思い出に満ち溢れていた。彼女は目を輝かせながらこう語っていた。

「まだ幼かったスティーヴィー・ワンダーが、モータウンに初めて来た時のことは覚えています。当時の私たちはまだヒット知らずのシュープリームスで、彼はよくゴーディ氏の後をついて回っていました。ある日、ベリーが私たちにこう言ったんです。“少女たち、天才少年が立ち寄るって聞いたよ。彼はまだ9歳なんだ” 私はそれまで天才に会ったことがありませんでした。それからスティーヴィーがやってきて、ありとあらゆる楽器を演奏して見せてくれました。彼は本当に素晴らしかった」

南部ツアー中にバスが銃撃されたこともあった

一方で、メアリー・ウィルソンは1960年代の影の側面も記憶しており、特に初期のモータウンのパッケージ・ツアーでの思い出を次のように振り返っている。

「デトロイトには素晴らしい教育システムがありましたが、アメリカのほとんどの地域がそうであったように、周辺の地域も隔離されていました。ただ、デトロイトで生まれ育った者は、南部で経験するような、酷い人種差別に直面することはありません。南部をツアーしていたある日、ライヴ後にバスが銃撃されたことがありました。(モータウンの歌手)メリー・ウェルズが、バスの階段の吹き抜けに身を伏せて、バスに乗れなかったのを覚えています。私たちが立ち止まると、バスの車内で銃声がしました。最初は、片側の観客は白人で、もう片側が黒人だったり、バルコニーの上の階に黒人が、下の階に白人がいたりしました。でも音楽に夢中になった途端に、人種の壁を越えて、みんな一緒に踊り出すんです」

ダイアナ・ロス脱退後のシュープリームスは過小評価されがちだ。しかし、彼女たちがさらなるヒット曲を蓄積した時代であり、中にはアメリカよりもイギリスで大きなヒットを記録した楽曲もある。メアリー・ウィルソンは自身のお気に入りとして、ソングライターとして長年モータウンに貢献したフランク・ウィルソンとヴィンセント・ディミルコの共作による1970年のシングルを挙げている。

「私のお気に入りは“Up The Ladder To The Roof”でした。私がリード・シンガーを務めるようになった時代のお気に入りは“Floy Joy”ですね」

彼女はまた、モータウンのレガシーは守られていると語っていた。

「(現在の配給元)ユニバーサル ミュージックはとても協力的ですし、彼らがモータウンの全カタログを扱ってくれていることを非常に嬉しく思っています。デトロイト時代のモータウンは紛れもなく家族のような存在でしたが、今はさらに大きな家族になったんです」

Written By Paul Sexton




Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了