アバ誕生前夜、ベニーとビョルンのデュオアルバム『Lycka』
ヒットしたバンドのメンバーだったとしたら、その次に何を求めればいいだろうか? その答えはもちろん、もっとバンドでの役割を探すことだが、言うは易し行うは難し。後にアバを結成するベニー・アンダーソンがいたスウェーデンのビート・グループ、ヘップ・スターズは前途有望されていたし、同じくアバを結成するビョルン・ウルヴァースは、ザ・フーテナニー・シンガーズのメンバーとして貴重な露出を得たものの、このペアがまさか、世界で最もビッグなポップ・バンドの半分を担うとは誰も思っていなかった。しかし、二人が最初に共作したアルバム『Lycka』では、アバの起源を聴くことができる。そしてそれは新たな発見でもある。
1970年、ポップスは世界的にスランプを迎えていて、大げさかつ怒鳴り散らすロックが優勢な時代だったが、それでもまだメロディを紡いでいくシンガー・ソングライターへの興味もしっかり残っていた。11曲収録されたこのオリジナル・アルバムは、元々はベニー&ビョルンのプロモーション用として制作され、スティグ・アンダーソンがポーラー・ミュージック(レコード会社)にいた時代に、より多くの人に自分たちの作品を聴いてもらいたいと思っていた時期だった。もちろん、この楽曲が生半可なもので、誰かにそれを孵化させてもらおうと甘く見ていたと言っているわけではない。確かに、明らかに過去を振り返っている感覚もあるが、例えば2曲目の「Nånting är på väg」はベニー・アンダーソンがその直前までやっていたスタイルの60年代半ばのビート・グループの曲のようだ。これらの曲には新たに芽生えた自信があらわれており、重要なのはその実験していく意欲がのちのアバの8枚のスタジオ・アルバムに見事に生かされたことだ。
『Lycka』がフォークの影響を受けているのは明らかで、聞き慣れないスウェーデン語のループするリズムも時には未知への期待を増す。「Happiness」と訳されたタイトル・トラックは、初期のエルトン・ジョンのピアノのバラードのようで、フォークっぽい「Hej, gamle man!」と合わせて初のシングルとなり、後者についてはこのデュオの地元において、ラジオ・プレイでトップを獲得した。その理由は一目瞭然だ。アグネッタ・フォルツコグとアンニ=フリッド・リングスタッドの伸びやかな歌声が聴こえるからだ。両組のカップルが一緒にレコーディングしたのはこれが初めてだった(この時点ですでにビョルン・アンダーソンとアグネッタ・フォルツコグは婚約していた)。今この曲を聴くと、押入れの奥にあった、忘れられていたアバの曲を発見したかのような気持ちになる。驚くことに、『Lycka』のB面の幕開けだったこの曲には、アバの材料が全て揃っていたのだ。
このポップスの感覚が二人のソングライターの方向性を成形した。あるところではタートルズのようなバンドの影響がわかるし、とりとめのない「Ge oss en chans」は、プロコル・ハルムや初期のステイタス・クォーのヒット曲のような、激しいサイケデリアをメインストリームのお口に合うようにスウィートにしたサウンドだった。でもここでは「Kalles visa」が最も面白い曲で、ベニー・アンダーソンとビョルン・ウルヴァースがグラム・ロッカーのスウィートに加入したとしたら、と想像すればわかるはずだ。
アルバム最後の曲、「Livet går sin gång」のようなヘヴィな曲よりも、「Liselott」(アグネッタ・フォルツコグがライターとしてクレジットされている)のような、大陸のポップスを何十年も独占してきたシュラーガーのスタイルを鏡写しにした、軽いナンバーの方が数的には多かった。いくつかのアーティストが『Lycka』のカヴァーをレコーディングしたが、その選曲で成功したものはほとんどおらず、でもアンニ=フリッド・リングスタッドは、のちにベニー・アンダーソンがプロデュースし、1971年にリリースした彼女のデビューLP『Frida』でそのタイトル・トラックに立ち返った。
これがアバのアルバムだと偽る人はいないが、大好きなあのアバの方程式がここにあることは明らかだ。『Lycka』の肝はベニーとビョルンの卓越したソングライティングのスキルであり、11曲にわたって豊かで多様性溢れる音楽を紡ぎ、それはリピートで何度も聴きたくなるような、そして一瞬にして陶酔させてくれるアルバムなのだ。
By Mark Elliott
- ベニー・アンダーソン & ビヨルン・ウルヴァース『Lycka』を聴く ⇒ iTunes / Apple Music / Spotify