イギー・ポップ『Lust For Life』のあまり知られていない10の事実
アルバム最初のドラム・ビートから恋に落ちた。イギー・ポップ(Iggy Pop)の『Lust For Life』と言えば、そのタイトル・トラックを大きな音で始めるあの催眠術のようなドラム・ビートを語らないわけにはいかない。歌詞もイギー・ポップの最高作品のひとつであり、“I’m worth a million in prizes(俺は賞金100万の値打ちがある)”はロックで最も偉大なラインのひとつだ。3番目のヴァースになると、リスナーはすべての歌詞を知っている。そして知らない部分は、適当に作り上げる。
『Lust For Life』はストゥージズ後のイギー・ポップのアルバムの最高傑作とされており、その40周年を記念して、このイギー・ポップの爆発的だったソロ・アルバムに関する事実を10個紹介しよう。
1. イギー・ポップの最初の3つのソロ・リリースはすべて同じ年の1977年に発表された
『Lust For Life』はイギー・ポップのストゥージズ後の初の作品となる『The Idiot』のすぐ後にリリースされた。デヴィッド・ボウイ(以前にザ・ストゥージズ最後のアルバム『Raw Power』のミックスも担当した)とのコラボレーションで、当時2人のミュージシャンがベルリンに住んでいたことから、ドイツ文化に強く影響を受けていた。バンドはツアーに出向き、間もなくスタジオに飛び込んで曲作りとレコーディングに取り組んだ。ツアーでは『The Idiot』やストゥージズの楽曲を演奏したが、サウンド・チェックの合間に様々なアイディアを試した。
『Lust For Life』のレコーディングは4月に始まり、6月に完成し、1977年8月29日にリリースされた。『The Idiot』のリリースから半年も経たずに、イギー・ポップの新たなロックン・ロール・アルバムがリリースされたのだ。また、この期間にイギー・ポップはその年の3枚目となるアルバム『Kill City』も制作していた。すでに1975年にデモのレコーディングをしていたものの、当時のイギー・ポップの評判を受けてほとんどのレーベルは消極的だった。『Lust For Life』の大成功の後、小規模なレーベルBomp!レコードがそのチャンスに飛びつき、1977年11月にリリースした。
2. デヴィッド・ボウイは制作に関わったが、以前の作品ほどではなかった
イギー・ポップのキャリアのこの時期について話すには、デヴィッド・ボウイの存在が欠かせない。お互いにプラスになる関係性で、デヴィッド・ボウイはイギー・ポップを崖っぷちから引き戻し、イギー・ポップはデヴィッド・ボウイのクリエイティヴな源を回復させた。イギー・ポップはのちにニューヨーク・タイムス誌に「あの友情は、つまりはあの男がプロフェッショナルな意味で、そしてもしかしたら個人的な意味でも破滅から救ってくれたんだ」と語った。
ソロ第1作『The Idiot』はイギー・ポップにしては独特の雰囲気があり、エクスぺリメンタルかもしれないが、『Lust For Life』はストレートなロックン・ロールに戻っている。スタジオで、デヴィッド・ボウイがピアノに腰掛けて有名なロックの曲を挙げて「いいか、今から<insert song>を書き直すぞ」と言って演奏して見せ、イギー・ポップがそれをレコーディングしたのだ。
3. デヴィッド・ボウイはほとんどの楽曲を横になりながら子供向けのウクレレで作曲した
タイトル・トラック「Lust For Life」の癖になるリフは、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップがベルリンにいる間、テレビで70年代の刑事シリーズ『刑事スタスキー&ハッチ』の番組が始まるのを待っている間にいつも見るAFN(アメリカン・フォース・ネットワーク)ニュースのオープニングに使用されていたモールス信号にインスパイアされた。一方で歌詞は、ストリップ、ドラッグ、催眠術にかかった鶏など、ビートニク世代の作家のウィリアム・S・バロウズの小説『爆発した切符』に影響を受けている。
4. 歌詞はほとんどイギー・ポップによるアドリブだった
イギー・ポップはいつも少ない方が豊かというソングライティングのスタイルで、歌詞に至っては子供番組の司会者スーピー・セールスがいつも子供たちにファン・レターを25ワード以下で書くように指導していることを参考にした。デヴィッド・ボウイは、イギー・ポップのインプロヴィゼーションによる歌詞のその便宜性に感心し、自身のアルバム『Heroes』でもその手法を活用してほとんどアドリブで歌詞を制作した。
5. 『Lust For Life』のリズム・セクションはスーピー・セールスの息子たちが担当した
セールスといえば、イギー・ポップは迷走しているロス時代に初めてこの素晴らしいリズム・デュオ、トニーとハント・セールスに出会い、まだ20歳だった彼らをリクルートして、新しいバンドのメンバーとしてベルリンまで連れて行った。セールス兄弟はフランク・シナトラやその他の父親の友人に囲まれながら育ち、イギー・ポップがジェームズ・ウィリアムソンとリリースした『Kill City』でバック・バンドを依頼する前、トッド・ラングレンのアート・ロック・バンド、ラントとして初めて自身のアルバムをレコーディングした。イギーは彼らの止められないほどのエネルギーに感動し、「すごく才能がある。それに結構狂ってる。特にそこが俺と一緒だと」と話した。
6. よく取り上げられるドラム・ビートは、実は2曲のヒット・ソングを真似ている
「Lust For Life」のあの有名なドラムのサウンドは数え切れないほどの曲に活用されており、最も有名なのはジェットの「Are You Going to Be My Girl」だが、オリジナルも同じようにモータウンの2つの曲から拝借されている。その2曲とは、シュープリームスのヒット「You Can’t Hurry Love(恋はあせらず)」のベニー・ベンジャミン(またはベニー・ベンジャミンのように演奏するピストル・アレン)とマーサ&ザ・ヴァンデラスの「I’m Ready For Love」であり、両曲とも「Lust For Life」の11年前にリリースされている。
7. デヴィッド・ボウイが2度、イギー・ポップを救う
1980年代にイギー・ポップは財政的に苦しみ、キャリア初期の頃と同じ悪霊に苦しめられていた。彼を助けるためにデヴィッド・ボウイは2人で共作した『The Idiot』の収録曲「China Girl」を自身のアルバム『Let’s Dance』にセルフ・カバーを収録をした。そして、あまり知られていないのは、デヴィッド・ボウイは『Lust For Life』の2曲「Neighborhood Threat」と「Tonight」を自身のアルバム『Tonight』でカヴァーし、おかげでイギー・ポップは財政的に持ち直し、ドラッグから抜け出して康を取り戻すことができた。
8.「The Passenger」はジム・モリソンとカープーリング(車への相乗り)へのオマージュである
イギー・ポップのファンは、「The Passenger」がジム・モリソンの詩集『神—視覚についてのノート』(『ジム・モリスン詩集―「神」「新しい創造物」 』に収録)に基づいたものだと知っており、多くのベルリン市民はイギー・ポップが公共の交通機関に乗っているのを想像したがるだろうが、実はこの曲は当時イギー・ポップが車も免許も持っていなかったため、デヴィッド・ボウイの車の助手席に座っている視点から書かれている。
また、タイトルはミケランジェロ・アントニオーニの映画でジャック・ニコルソン主演の『さすらいの二人 The Passenger』から付けられており、イギー・ポップがベルリンに発つ前、ロスのビルボード広告で目撃したことがきっかけだった。
9. アルバムのレコーディングとミックスはほぼ1週間で完成した
『The Idiot』の成功を受け、RCAレコードはイギー・ポップに高額なアドヴァンスを支払い、次作の資金とした。イギー・ポップが自伝作家ジョー・アンブローズに『Gimme Danger: The Story of Iggy Pop』で下記のように語っている。
「デヴィッドと俺はアルバムを早く仕上げることを決め、作詞作曲、レコーディング、ミックスを8日間で終わらせた。すごい素早く完成させたから、アドヴァンスのお金がたくさん余って、それを山分けしたんだ」。
10. 『Lust For Life』はエルヴィス・プレスリーが亡くなった3週間後に市場に
多くのアルバムにとってタイミングが全てであり、イギー・ポップの2枚目のソロ作品は最悪のタイミングを迎えていた。リリースの直前、1977年8月15日にエルヴィス・プレスリーが突然亡くなり、ロックのキングのバック・カタログの需要の高まりと同時に、ほとんどの作品はすでに絶版だったことからRCAレコードの生産がフル稼働になってしまった。そのため、RCAのイギリスの工場は『Lust For Life』の在庫を確保することよりも、エルヴィスのアルバムを生産することで手一杯になってしまった。
Written by Joe Dana
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