トーン・ロック『Lōc-ed After Dark』:短命の名声、しかし1989年は確実に彼の年だった
1989年1月23日にトーン・ロックが『Lōc-ed After Dark』をリリースすると、「これは一体どこからやってきたのだ?」と人々は驚いた。トーン・ロックの大ヒット・アルバム『Lōc-ed After Dark』はダブル・プラチナム・ディスクを獲得し、アルバムからのシングル2曲は当時到るところで流れていた。ヒップホップ・アーティストがそこまでの成功を収めることが稀だった時代に、全米アルバム・チャートで1位に輝いた。短命の名声だったが、トーン・ロックはそのしゃがれ声で堂々と言えるはずだ。1989年は確実に彼の年だった。
一夜にしてスターになることはエンタメの世界ではお決まりのパターンではあるが、それは彼にも当てはまる。トーン・ロックはN.W.Aや多くのミュージシャン同様に、コンプトン出身で、元ギャングのメンバーだった。新設レーベルのデリシャス・ヴァイナルと契約を結んだ当時、音楽業界での成功経験などは全くなかった。1987年に発売されたファースト・シングル「On Fire」はヒットにはならなったものの、トーン・ロックの名がヒップホップ界では知れ渡り、別のB面トラックを収録したシングルが再プレスされた。1988年のセカンド・シングル「Wild Thing」は200万枚の売り上げを叩き出し、それに続くシングル「Funky Cold Medina」も100万枚近い売り上げを記録した。そしてしばらくの間、トーン・ロックとして知られる本名アンソニー・テレル・スミスは世間の注目を浴びるようになる。
そうしてデビュー・アルバム『Lōc-ed After Dark』が発売された。ドナルド・バードのブルーノートからの傑作『A New Perspective』へのパロディ及びトリビュートとしてデザインされたジャケットには、成功を手にしたトーン・ロックがクールな姿で写っている。シンプルな内容ながら、完璧な出来映えである。普段ならヒップホップを見下す観客たちでさえも親しみを感じるロックのサンプリングを含むトラックで、トーン・ロックはビートに合わせて自分の可能性や才能、そして若い男たちが抱くファンタジーについて歌う。ビースティ・ボーイズやRun-D.M.C.がそうであったように、トーン・ロックも完全なオリジナルではなかったが、ビースティ・ボーイズたちの様な強気なスタイルを真似たわけでもなかった。非常にまったりとした雰囲気を醸し出す彼は、リラックスした中にもパンチの効いた、そして不思議な感覚の音楽を生んだ。
ファースト・シングルを手直ししたオープニング・トラック「On Fire (Remix)」は良い感じにアルバムの雰囲気作り出している。ファンキーでドライ、そして飾り気のないトラックは、メルヴィン・ブリスの「Synthetic Substitution」のビートを使用している。驚くことではないが、トーン・ロックのしゃがれ声にかかるとファンキーな仕上がりとなる。そして続いてはモンスターが登場する。ヴァン・ヘイレンをサンプリングし、メガヒットとなった「Wild Thing」。そこにしっかりと根付き、静かに淫らで、ジャジャジャーンと繰り広げられるトラックはまるでトニー・ソプラーノにマイクを渡してラキムのようにラップしろと言ったかのようだ。今聴いているみると、その魅力は理解できるものの、なぜあそこまで人気があったのかは不思議に思うかも知れない。しかし「Wild Thing」は、当時の雰囲気をしっかり捉えていた。快楽主義で怠けていて、コンプトンのストリートだけではなく、より大規模な意味でカリフォルニアらしい自信と空気をリスナーに伝えている。そうしてチャートを乗っ取ったのだ。
タイトルトラックはよりむき出しな曲になっている。タイトルは公園などによくある“Locked after dark(日没に閉園)”と書かれている看板を文字っており、トーン・ロックが日没後に活発になることを意味している。ブラックバードのジャズ・ソウルの傑作「Rock Creek Park」を引用し、ロックという名は彼の信念である“Loco(クレイジー)”を意味することを落ち着いた調子でまったりと説明する。
次に収められているトラック「I Got It Goin’ On」では、トム・ブラウンの最高のフュージョン・トラック「Funking From Jamaica」のビートをサンプリングしている。そして「Cutting Rhythms」ではバリー・ホワイトのよりソウルな、ベッドルーム向きのトラックを引用している。そろそろ予想できそうな展開になってきたと思ってきた頃に、プロデューサーのダスト・ブラザースは不意をついたウィングス「Band On The Run」のサンプルをそこに放り込み、聴く者を驚かせる。
もう一つ傑出したトラック「Funky Cold Medina」は、想像上の催淫作用のあるウォッカ・カクテルのことで、2コードを使用したロック調のセクシーな曲に仕上がっている。トーン・ロックの声のように、きっとそのドリンクもドライな味がするのだろう。「Next Episode」は少しだけアップテンポな曲調で、必要に迫られて活気付いた様子で歌う彼のその声には笑いさえも含まれている。「Lōc’in’ On The Shaw」は、必要最小限のマシンビートから始まり、その後威嚇と共に激しく展開していく、海岸線を夜にハイになってドライブする時にぴったりの曲だ。しかしそこにライムを期待してはいけない。
「The Homies」の騒がしいドラムのブレイクとべろんべろんに酔っ払ったようなパーティー・ライムとが少し前のヒップホップ時代を彷彿させる。「Don’t Get Close」は、サングラスをかけた淡々としたトーン・ロックのアンセムにぴったりだ。初期のシングル「Cheeba Cheeba」はそのタイトルをビートからとっている(ハーレム・アンダーグラウンド・バンドの「Smokin’ Cheeba Cheeba」だ)。泥酔したトーン・ロックの他に、この直後にブラン・ニュー・ヘヴィーズのメンバーとなったエンディア・ ダヴェンポートのソウルフルなヴォーカルがフィーチャリングされている。この長尺のトラックで、トーン・ロックは大量のヴァースを吐き出している。
大成功のあと、『Lōc-ed After Dark』はどこへ行ったのか?その答えはあらゆる場所である。恐らく商業的過ぎるという理由で多くのハードコアなヒップホッパーたちは彼に反感を抱いた。そして次作はファースト・アルバムに比べると全く売れなかった(デビューで200万枚を獲得したアルバムを発売したにも関わらず、あと1枚しか作品を作れないなんて世の中クレイジーだと思わないか?)。
確かに『Lōc-ed After Dark』は商業的な作品だと言えるかもしれないが、それは当時の雰囲気を捉えていただけのことだった。ゲットーからヒップホップが物凄い勢いで出現し、MTVの贔屓のお陰で新しいリスナーへと広まり、トーン・ロックのカリフォルニア的なカリスマ性とまったりとした雰囲気が時代にぴったりと合っていた。この作品が当時を象徴するアルバムだとするならば、それで良いのだ。ノスタルジアが効果的に新鮮な輝きを与えてくれる。日が暮れた頃にこのアルバムを再生すれば、成功など容易いと思わせてくれるトーン・ロックの音楽に驚かされるだろう。
Written By Ian McCann
『Lōc-ed After Dark 』