ラナ・デル・レイの音楽と文学:彼女に影響を与えた18人の作家たち

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Photo: Stefanie Keenan/Getty Images for LACMA

音楽と文学のあいだには親密な関係がある。それを物語る現代のアーティストといえば、真っ先にラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)が思い浮かぶ。

彼女は2020年に詩集『Violet Bent Backwards Over the Grass』を発表しているが、既にそれ以前から、詩、散文、戯曲、哲学の名著を自らの多彩な作品カタログの中に織り込んできた。シルヴィア・プラスからウォルト・ホイットマンに至るまで、ラナが歌詞の面で影響を受けた著作は膨大だ。それらを詳しく読み込んでいくと、彼女が時間、存在、アイデンティティについて複雑な関心を抱いていることが明らかになる。

ラナの文学的な興味をさらに深く掘り下げるため、今回は彼女にインスピレーションを与えた作家を紹介していこう。ここに挙げた作家の中には、明確に言及している例もあれば、もっとさりげない形で触れている例もある。

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1. シルヴィア・プラス / Sylvia Plath

2023年3月『Did you know that there’s a tunnel under Ocean Blvd(以下:Ocean Blvd)』の発表に先立ち、ラナは自らのInstagramで次のように記していた。

「あれは『Blue Banisters』のアルバム評の夜だった。場所はビバリー・ウィルシャー……。評論する人たちの話によれば、あれは日記的なアルバムということだった……。そして私は、あなた@jenstithと詩のことを思い浮かべた。そう、あなたが大好きな詩、あのイチジクの木について書かれた詩……。詩の中で、彼女はどのイチジクを選ぶべきか考えていた。けれど、どれも良さそうに見えたから、ひとつだけ選んでいる時間がなかった。そうして、私はこのアルバムを作り、ひとつを選んだ」

この一節は、シルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』にちなんだものだ。『ベル・ジャー』は、詩人であるプラスが1963年に亡くなる前に発表した唯一の小説だった。シルヴィア・プラスの半自伝的な分身であるエスターは、人生の中で進むべき道の選択をイチジクの木の下に座っているのに優柔不断のせいで飢えることに例えている。

「私はそのイチジクをどれもこれも欲しかった。けれどひとつを選ぶと、残りのすべてを失うことになる。そこに座ったまま決められずにいると、イチジクはしなびて黒くなり始めた。そして、ひとつ、またひとつと、私の足元に落ちていった」

シルヴィア・プラスと同じように、ラナも自らの信念を明らかにしている。それは、人はひとつの道を選び、それを心から追求しなければならないというものである。ラナはPNC Live Studioのインタビューで、音楽の道に進むという決意を振り返りながら次のように語っている。

「私が強く信じているのはこういうこと。つまり、人はドアを閉めて鍵をかけ、鍵を捨てると、良いものがそこに入ってくる……。時には、私はひとつのことに手を伸ばす。けれどそれでもまだ、その別の場所にずっといて、そういう風にはうまくいかない」

これまでラナは、プラスと比較されることが多々あった。それは、彼女の詩、歌詞、歌い方に悲しみが含まれていたからだった。ラナ本人も、2019年の『Norman Fucking Rockwell!』収録曲「hope is a dangerous thing for a woman like me to have –but I have it」の中で自らを「年中無休のシルヴィア・プラス」と形容している。とはいえ、この曲の「希望は私のような女性が持つには危険。でも持ってる」というタイトルと『ベル・ジャー』の一節がほのめかすように、ラナは希望の場面にもプラスを呼び出してくる。

比喩の中にあるイチジクの木の下で、悲しみと優柔不断のせいで静かにじっとしているよりも、ラナは自分が一番欲しいと思っている枝に手を伸ばしていくのだ。

 

2. ウラジーミル・ナボコフ / Vladimir Nabokov

ラナがロシア系アメリカ人作家ウラジーミル・ナボコフをとても好んでいることは、たくさんの証拠によって裏付けられている。 たとえば彼女はウラジーミル・ナボコフの代表作「ロリータ」にちなんだのか「Lolita」という曲を作っているし、右腕には筆記体で「Nabokov(ナボコフ)」というタトゥーまで入れている。特に2012年『Born to Die』や同年のEP『Paradise』の頃には、彼の小説『ロリータ』からインスピレーションを得ていた。

『Born to Die』の「Off to the Races」では、「我が命の光、我が腰の炎 (Light of my life, fire of my loins) 」という『ロリータ』の冒頭の一節がそのまま引用されている。

また「This Is What Makes Us Girls」の中にある「ビロードの夜 (Velvet night)」という言葉も同じく『ロリータ』から借用したものであり、印象的で叙述的な面で際立ったフレーズだった。ファンはまた、「Carmen」は『ロリータ』の中でハンバート・ハンバートとロリータが「Oh my Carmen, my little Carmen」と歌うシーンにちなんだものかもしれないと推測している。この曲のフランス語のモノローグ部分にも、ナボコフらしさがあふれている(ナボコフはフランス語で育ち、作品中にもしばしばフランス語が登場する)。

 

3. ウォルト・ホイットマン / Walt Whitman

ラナの右腕にある「Nabokov」のタトゥーの隣には、同じく筆記体で「Whitman」という名前も刻まれている。ウォルト・ホイットマンは19世紀のアメリカの詩人で、官能的な詩と自らの神話的なエピソードがよく知られている。そうした要素は、ラナの歌詞や詩にも登場している。

具体的に言えば、EP『Paradise』収録曲「Body Electric」の曲名とサビはホイットマンの詩「私は体の衝撃をうたう (I Sing The Body Electric)」から引用したものだ。この詩は、人間の身体とその個々の部分を讃えている。ラナはマリリン・モンローとエルヴィス・プレスリーの名前を持ち出し、それに加えて「ホイットマンは私のお父さん (Whitman is my daddy)」と歌っている。そうして自らの破壊的なヴィンテージ・アメリカーナの美学にホイットマンを取り入れている。

また、ラナが制作・出演したショート・フィルム『Tropico』には、ラナが「I Sing The Body Electric」からの抜粋を朗読している場面もある。

Womanhood, and all that is woman – and the man that comes from woman . . .
Oh I say, these are not the parts and poems of the Body only,
but of the Soul
Oh I say now, these are the soul!
女らしさ、そして女であるすべて ―― そして女から生まれる男……
ああ 私は言う これらはただの肉体の部分や詩ではない
魂の部分や詩でもあるのだ
今 私は言う これらは魂だ!

 

4. 聖書とジョン・ミルトン / The Bible and John Milton

2017年、Vogue誌に掲載されたインタビューによると、ヒット曲を作る前のラナは米ニューヨーク州フォーダム大学で哲学と形而上学を学んでいた。そして「私たちがどのように、どのような理由で地球に行き着いたのか」という点に深い関心を示していたという。そうだとすれば、ラナが『創世記』にちなんだ楽曲を作っているという事実にも得心がいこう。『創世記』は旧約聖書の最初の書であり、神が地球を作り上げた頃の話が語られている。

ショートフィルム『Tropico』の「Body Electric」のパートでは、ラナがイヴ、俳優のショーン・ロスがアダムの役で暗雲漂うエデンの園に登場する。このショートフィルムは次のようなナレーションで始まる。

And the spirit of John moved upon the face of the waters
And John said ‘Let there be light’
and there was light
And John saw that it was good.
ジョンの霊が水の上を歩いた
ジョンが『光あれ』というと
光が現れた
ジョンはそれが良きものだと知った

この冒頭のナレーションは『創世記』にならったものだが、そこにいるのは神ではなく、ジョン・ウェインである ―― そしてマリリン・モンローとエルヴィス・プレスリーがいて、まもなくキリストがそばに現れる。

「Body Electric」の最後でラナは『創世記』のイヴと同じように禁断の果実を食べ、やがて2人は「悪の園」であり「神々と怪物の国」でもある堕落の街ロサンゼルスに辿り着く。とはいえ、アダムとイヴが楽園から追放されると、ラナは「I Sing The Body Electric」を朗読する。人間の体にある肉体性と官能性を非難するのではなく、むしろそれを讃えるのである。

ラナが作り替えた『創世記』の物語は、17世紀のイギリスの作家ジョン・ミルトンが作り上げたイメージを思い起こさせる。ミルトンによる『失楽園』は、破壊的な詩的なからくりと古典的な物語形式によってアダムとイヴの堕落を再構築したものだった。

『Tropico』の「Gods & Monsters」の部分で、ラナは「これは失われた純潔 (It’s innocence lost)」と歌う。このフレーズは、ミルトンの偉大なキリスト教叙事詩『失楽園 (Paradise Lost) 』を真似たものだ。曲の最後で、ラナはロサンゼルスについて次のように言う。

「ある詩人はロサンゼルスを地下への入り口と呼んだ。けれど夏の夜には、ここは楽園、失楽園のような感じになることもある」

この後、2015年に発表した『Honeymoon』の「God Knows I Tried」で、ラナはまたもや『創世記』にちなんだフレーズを使っている。「光あれ/私の人生を明るく照らせ (Let there be light / Light up my life) 」という歌詞がその一節である。自らに訪れた名声との戦い、それに伴う疑心暗鬼を詳しく綴りながら、彼女は光を探し求める。こういったモチーフは、『Ocean Blvd』の「Kintsugi」と「Let The Light In (feat. Father John Misty)」にも再び登場している。

 

5. オスカー・ワイルド / Oscar Wilde

「私には、自分の人生をひとつの芸術作品にするというビジョンがあった」とラナ・デル・レイは最初期のインタビューで語っている。『Born to Die』の時期、ラナはかなりの批判にさらされていた。その批判は、彼女が表に出している姿はでっち上げの人格にすぎないというものだった。彼女の発言は、そうした批判の術中にはまったものとして解釈できるかもしれない。とはいえこの発言は、19世紀の作家オスカー・ワイルドの作品を思わせる部分もある。

ワイルドは作家活動の大部分を芸術と人生の融合に費やした。その最も有名な例としてあげられるのが『ドリアン・グレイの肖像』である。この作品は、自らの肖像画のような永遠の美しさを手に入れたいと願っていたものの、その過程で魂を失ってしまう男の物語だった。

同じようなテーマは、EP『Paradise』収録曲「Gods & Monsters」の底流になっている。これは、ラナがロサンゼルスで魂を保とうと悪戦苦闘する曲だった。ここで彼女はワイルドの『嘘の衰退』も引用しており、「人生は芸術を模倣する (life imitates art)」と歌っている。

 

6. フリードリヒ・ニーチェ / Friedrich Nietzsche

God’s dead. I said
‘Baby that’s alright with me
神は死んだ。私はこう言った
“ベイビー、私はそれでも平気”

ラナは「Gods & Monsters」でそのように歌っている。ラナの初期のキャリアは悲観的で虚無的なテーマが隅々にまで染み渡っていたが、彼女が哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉を直接引用したのはこのときだけだった。

とはいえ忘れてはならないことだが、2017年にリリースされた『Lust for Life』でラナはより楽観的な姿勢に変化している。このアルバムのジャケットでは、笑顔を見せることすらしていた。

 

7. アレン・ギンズバーグ / Allen Ginsberg

I’m churning out novels like Beat poetry on amphetamines
アンフェタミンをやりながらビート詩のように小説を量産している

陰鬱で懐古的な「Brooklyn Baby」でラナはそのように歌う。40年代~50年代のビート・サブカルチャーでは、ジャズ、ドラッグ、精神性、社会の規範に逆らいたいという欲望に触発された新しい文学形式が盛んになった。詩人アレン・ギンズバーグの『吠える』は1950年代半ばにカリフォルニア州バークレーで書かれた作品で、ラナにとりわけ大きな影響を与えている。彼女はショートフィルム『Tropico』にその抜粋を収録することさえしている。ラナはそのクライマックスでこんな朗読を披露する。

I saw the best minds of my generation destroyed
by madness, starving hysterical naked
私は見た。私の世代の中でも最高の人たちが
狂気に破壊され、飢えて、狂乱し、丸裸になっているのを

『吠える』は、無法状態や不道徳さを非難してはいない。むしろここで告発されているのは社会のほうだ。人をギリギリのところまで追い詰める社会の側を告発しているのである。映画の中で主人公たちのモラルの崩壊が頂点に達したあたりで、ラナはこの詩を朗読する。世界が冷酷であるとわかった以上、ここで苦しんでいる彼らに目を向けるべきだ ―― 彼女はそんな風に考えているのだ。

2014年に行われたNPRのインタビューで、ラナはギンズバーグへの心酔ぶりについて次のように語っている。

「ギンズバーグから学んだのは、言葉で絵を描くことだった。そうすることで物語を語ることができるわけ。それを職業にできるということを知ったときは、わくわくするような気分になれた。そういうことにたちまち熱中するようになった。つまり言葉や詩と戯れることにね」

 

8. F. スコット・フィッツジェラルド / F. Scott Fitzgerald

ラナの「Young and Beautiful」は、バズ・ラーマン監督が2013年に映画化した『華麗なるギャツビー』の挿入歌の中で最も印象的な楽曲のひとつになっている。外見の美しさと痛切な郷愁という原作小説のテーマをうまく表現したこの曲は、デイジーとギャツビーが再会するシーンで使用されていた。

その後、2014年の『Ultraviolence』収録曲の「Old Money」では、こうしたテーマが再び取り上げられている。この曲の中でラナは、かつての恋人に次のように歌っている。

But if you send for me, you know I’ll come
And if you call for me, you know I’ll run
けれどもしあなたに呼ばれたら 私はきっと行く
もしあなたに名前を呼ばれたら 私はきっと走っていく

「Old Money」はラナの名曲の中でも知名度が低い方だが、一部の人は「Young and Beautiful」との類似点に気づいている。その例としては、以下の部分が挙げられる。

Will you still love me when I shine
From words but not from beauty?
私がまばゆく輝いても あなたはまだ愛してくれる?
輝くのが私の美しさでなく 私の言葉だとしても

『Ultraviolence』のレビューで、Consequence of Sound誌のサーシャ・ゲフェンは次のように書いている。

「これはまるでデイジー・ブキャナンを通して歌われているかのように聞こえる。デイジーはギャツビーの失恋相手で、その物語は彼女を取り巻く男たちの口からしか語られない」

『Honeymoon』の「Art Deco」にも『ギャツビー』の影響が刻まれている。アール・デコは1920年代に流行したスタイルであり、ラーマン監督の映画で多用されていたが、それだけではない。この曲には、次のような歌詞も含まれているのである。

A little party never hurt no one
ささやかななパーティーは誰も傷つけない

これは、映画版『ギャツビー』のサウンドトラックに収録されているファーギー、グーンロック、Qティップの「A Little Party Never Killed Nobody」を彷彿とさせる。トリップ・ホップ風のシンセに織り込まれたジャジーなトランペットも、現代的な手触りで1920年代のサウンドを蘇らせている。

そしてラナは、「Tomorrow Never Came」で再びフィッツジェラルドを取り上げているようだ。この曲には「楽園のあちら側 (on that side of paradise)」という歌詞が含まれているのである。フィッツジェラルドは『楽園のこちら側 (this side of paradise)』という小説を書いている。

この題名は、実のところルパート・ブルックの詩『ティアレ・タヒチ』から来ていた。そしてこれは、「天国の反対側にいる (the other side of heaven)」ということを意味していた。

 

9. ヘンリー・ミラー / Henry Miller

前述した2017年『Lust for Life』収録曲の「Tomorrow Never Came」にある「Stay, baby, stay on the side of a paradise」から始まる一節は、また別の文学作品からの引用で締めくくられているようだ。つまり「北回帰線にある (In the tropic of cancer)」という部分である。

ここでラナが触れているのは「夏至の時に太陽が頭上にある緯度」のことかもしれない。そういう場所は、おそらく独特な形の楽園と言っていいだろう。

とはいえファンのあいだでは、これがヘンリー・ミラーの『北回帰線』から来ているフレーズだという説も存在する。この小説は「あけすけな性描写で悪名高い」作品だ。もしその説が正しければ、ラナはまたもや物議を醸す文学作品に言及していることになる。なぜならアレン・ギンズバーグの『吠える』と同じように、『北回帰線』も有名なわいせつ裁判の標的となっていたからだ。

 

10. T.S.エリオット / T.S. Eliot

『Honeymoon』の「Art Deco」と「Religion」のあいだで、ラナはT.S.エリオットの詩「バーント・ノートン (Burnt Norton)」からの抜粋を朗読している。

Time present and time past
Are both perhaps present in time future
And time future contained in time past
If all time is eternally present
All time is unredeemable
現在の時間と過去の時間は
ことによると未来の時間の中にあるのかもしれない
そして未来の時間は過去の時間に含まれている
もしすべての時間が永遠に現在であるなら
すべての時間が救いようがない

この抜粋を通して、ラナは時間の平均化と常に存在する時間の経過を掘り下げている。「Old Money」「Young and Beautiful」「Brooklyn Baby」といった曲には郷愁の念があふれていたが、この循環的な描写からはラナが時間というものについてより複雑な考えを抱いていることが伺える。

 

11. アーネスト・ヘミングウェイ / Ernest Hemingway

アーネスト・ヘミングウェイはT.S.エリオットに会ったことはない (それどころか、エリオットの作品に対してかなりの嫌悪感を抱いていた) 。とはいえ、この2人はしばしば対照的に取り上げられており、ラナの『Honeymoon』でもそのような形で登場する。

「バーント・ノートン」を抜粋したあと、ラナは「あなたは私の生きがい (You’re my religion) 」と口ずさむが、これはおそらくヘミングウェイの『武器よさらば』からの引用だろう。また『Ultraviolence』の「Money Power Glory」には、『陽はまた昇る』からのさりげない引用がある。

The sun also rises
On those who fail the call
陽はまた昇る
死にそびれた者の上にも

 

12. メアリー・シェリーとヴィクトリア朝文学 / Mary Shelley and Victorian Literature

『Ocean Blvd』に収録された驚くほど長い曲名の「Grandfather please stand on the shoulders of my father while he’s deep-sea fishing」で、ラナは自分の長年にわたる活動に対する評論家の反応を振り返っている。自分を「レコード会社が作り出した単なる商品」だと貶す評論家たちに対して、ラナは次のように歌う。

I know they think that it took thousands of people
To put me together again like an experiment
Some big men behind the scenes
Sewing Frankenstein black dreams into my songs
But they’re wrong
私にはわかる 彼らは何千もの人間が必要だったと考えている
まるで実験のように私を再び組み立てるのには
舞台裏のお偉方が
フランケンシュタインの黒い夢を私の曲に縫いこんでいたと
でも彼らは間違っている

この「フランケンシュタインの黒い夢」という歌詞はメアリー・シェリーの有名な小説にちなんだものだ。ここでのラナは、自分の初期作品 (特に『Ultraviolence』) に登場するゴシック的なテーマに言及しているようにも見える。彼女が歌う暗く陰鬱な恋心は、1800年代のイギリスで人気を集めたエミリー・ブロンテの『嵐が丘』がヒントとなっていたのかもしれない。とはいえラナは、そうした要素を自らの芸術的ビジョンに合わせて仕立て直している。

「Fishtail」で、ラナは再びヴィクトリア朝のような美意識を扱っているように思える。

Swingin’in a nightgown underneath the old oak tree
Almost Victorian with you
古いオークの木の下でナイトガウンを着て揺れている
あなたと2人で ほとんどビクトリア風

とはいえ彼女は自分の音楽を矮小化しようとする解釈に反発し続けている。彼女の主張では、かつての恋人が自分に望んでいることは、実際よりも悲しくなることだという。長い年月が経過するうちに、ラナは光を取り込み始めた。そして真っ暗闇から抜け出し、どこかへと消え失せようとしている。『ビルボード』ビジョナリー賞の受賞スピーチで彼女は次のように語っていた。

「幸せになることが究極のゴールのように感じました。だから、幸せになったんです」

 

13. ロバート・フロスト / Robert Frost

『Honeymoon』の「Music To Watch The Boys To」と『Norman Fucking Rockwell!』の「Venice Bitch」はそれぞれかなり違うタイプの曲だが、どちらの曲にも「何事も黄金のままではいられない (Nothing gold can stay)」というフレーズが登場する。

この部分は、ラナが自らの過去の作品を引き合いに出している例のひとつに過ぎない。とはいえ多くの人が指摘するように、この一節はロバート・フロストの詩「Nothing Gold Can Stay」から拝借した可能性がある。この詩を通して、フロストは美の儚さを探っていた。ラナもこのフレーズをほぼ同じ文脈で使っている。

さらにフロストはこの詩の中で「こうしてエデンは悲しみの中に沈んだ (So Eden sank to grief)」と書いており、アダムとイブの堕落を暗示している。それゆえ「Nothing Gold Can Stay」は、ラナの音楽に現れる多くのテーマと重なり合っている (たとえば「Old Money」で描かれる美しさの衰えや、「Gods & Monsters」に登場する失われた純真さなど) 。

 

14. アンナ・スウェル / Anna Sewell

2014年の『Ultraviolence』収録曲「Black Beauty」で描かれるのは、ある男との関係だ。その男は闇を抱えており、それが恋人に影を落とす危険性がある。多くの人は、この曲の題名とサビが1997年に30歳でなくなったシンガーソングライター、ジェフ・バックリーの「Mojo Pin」にちなんだものだと信じている。

とはいえこれは、アンナ・スウェルが1877年に発表した小説『黒馬物語(Black Beauty)』から来ているのかもしれない。この小説は若い馬の物語で、その馬は残酷な馬主に打ちのめされたあと田舎で引退生活を送るようになる。

 

15. テネシー・ウィリアムズ / Tennessee Williams

2012年『Born to Die』収録曲「Carmen」では、主人公が「見知らぬ人の優しさを頼りにしている (relying on the kindness of strangers) 」と描写されている。 このフレーズは、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』で主人公のブランチが最後に口にするセリフだ。とはいえブランチは親切に「依存している」というが、ラナはそれを「頼りにしている」という言葉と入れ替えて、このセリフの皮肉な色合いを強めている。

けれどブランチと同じように、この曲に登場するカルメンという登場人物も「自らを偽ることに何の問題もない」。つまり、自分が見たいように現実のほうを歪めてしまう。

「Ride」のミュージック・ビデオの最後でラナは再びこのセリフを採り上げ、「見知らぬ人の優しさを信じている (I believe in the kindness of strangers) 」と口にする。

 

16. ウィリアム・アーネスト・ヘンリー / William Ernest Henley

デュエット曲「Lust For Life」で、ラナとザ・ウィークエンドはウィリアム・アーネスト・ヘンリーの「負けざる者たち (Invictus)」を引用している。

We’re the masters of our own fate
We’re the captains of our own souls
私たちは自らの運命の支配者
私たちは自らの魂の船長

「invictus」はラテン語で「征服されていない」ことを意味するので、筋が通っている。なぜならラナとザ・ウィークエンドは、ここで自分たちの人生の主導権を握ることについて歌っているからだ。これは、2015年に同じくザ・ウィークエンドとコラボした「Prisoner」とは明らかに異なる。なにしろ「Prisoner」では、「私は中毒の囚人 (I’m a prisoner to my addiction)」と歌われていたのだから。

 

17. アンソニー・バージェス / Anthony Burgess

セカンド・アルバムのタイトルに『Ultraviolence』というフレーズを選んだことについて、ラナはComplex誌で次のように語っていた。

「”ウルトラ”という言葉の華やかな響きと、”ヴァイオレンス”という言葉の残酷な響きが一緒になっているのが気に入っている。そういう2つの世界も、1つになって生きることができると思う」

とはいえ、この言葉が最初に考え出されたのは、アンソニー・バージェスの風刺ブラックコメディ『時計じかけのオレンジ』でのことだ。「Ultraviolence」という言葉は、この小説の胸の悪くなるような無用の暴力描写を要約していた。ラナがこの言葉を意図的に『時計じかけのオレンジ』から借用したのかどうかははっきりしないが、国際アンソニー・バージェス財団は彼女がこの言葉を使ったことに興奮を示していた。クレア・プレストン=ポリットはMTVニュースで次のように語っている。

「『時計じかけのオレンジ』は、初めて出版されてから50年以上経った今でも世界中の実にさまざまなアーティストにインスピレーションを与え続けています。それは素晴らしいことです」

 

18. ハンター・S・トンプソン / Hunter S. Thompson

You’ve been trying to write a novel about your cheap thrills
You think you’re Hunter S. Thompson
あなたは安っぽいスリルについて小説を書こうとしてきた
あなたは自分がハンター・S・トンプソンだと思っている

ラナは、『Ultraviolence』のボーナストラック「Is This Happiness?」でこう歌っている。「ゴンゾー・ジャーナリズム」ムーブメントの創始者として知られるトンプソンは、事実とフィクションを融合させることで有名だった。

彼は刺激的な作品を生み出すだけでなく、その生活もまた実に面白い人物だった。たとえばヨットに火をつけたこともあれば、コロラド州ピトキン郡で保安官に立候補したこともあった。世の中には、トンプソンに喩えられることを褒め言葉だと受け取る人もいるかもしれない。とはいえラナの歌詞では、先ほどの一節のあとに次のような意見が表明される。

「あなたはとんでもなくクレイジーだと私は思う」

 

Written By Lauren Harvey



ラナ・デル・レイ『Did You Know That There’s a Tunnel Under Ocean Blvd』
2023年3月24日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music




 

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