【独占インタビュー】マディ・ウォーターズの娘でマディ財団を運営するマーシー・モーガンフィールド
マッキンレー・モーガンフィールドとして生まれ、ブルースのレジェンドとして世に知られるようになったマディ・ウォーターズ。だが、彼の家族にとってマディ・ウォーターズはただ “父親” だった。
数十年にわたる彼のキャリアを通じて、マディ・ウォーターズは彼の仲間であるハウリン・ウルフ、ジョン・リー・フッカー、B.B.キングと共に、エレクトリック・ブルースから始まり、伝説のチェス・レコードと共にスタートした50年代中盤にロックン・ロールの革命をきっかけを作った人物だった。
1947年、レナードとフィルのチェス兄弟のアリストクラット・レコードのために、マディ・ウォーターズが「Gypsy Women」をレコーディングしてから70年以上が経った今、ユニバーサルミュージックとチェス・レコードは、これまでに彼がチェス・レコードで制作していた40曲すべてを収録したコレクションを『Can’t Be Satisfied: The Very Best Of 』というタイトルでリリースする。
アメリカで最近、レコード盤として再発された1987年のオリジナル・コンピレーション盤『The Best Of Muddy Waters』、そして店頭に並ぶこの新しい包括的なコレクションと共に、uDiscover Musicはマディ・ウォーターズ財団を運営するマディの娘、マーシー・モーガンフィールドとじっくり向かいあい、有名な父親の元で育った環境について、彼の驚くべきライダー(契約の付帯条項)の条件、そして彼女が愛情を込めて “ダディ” と呼ぶ男が残した影響力の大きい遺産について語ってもらった。
コレクション・アルバム『Can’t Be Satisfied』には多くのクラシック曲とブルースのスタンダード・ソングを含め、マーシー・モーガンフィールド自身を含む、マディ・ウォーターズのファンを満足させるレアな曲も数曲収録されている。
「パパはどの曲が何よりも好きかという話は一度もしたことがなかったけど、彼がギターの話をしてくれた曲があって、それは “Long Distance Call” だったわ」とマーシー・モーガンフィールドは言う。「みんなが言う驚異的なギター・スキルはあの曲で聴くことができるわ。1分間の長さのリフを彼はギターで弾いてみせた。あれは私の大好きな曲よ」。
「Long Distance Call」はもともとチェス・レコードの中でも最も売り上げたマディ・ウォーターズの1969年の2枚組アルバム『Fathers And Sons』に収録されていた曲で、有名なハーモニカ奏者だったポール・バターフィールドや、天才ギタリストのマイク・ブルームフィールド、そしてスタックス・レコードのセッション・ベーシストだったドナルド・ダック・ダンが参加していた。
こんなに有名な父を持ったことについて、マディ・ウォーターズの娘として育てられた経験しかないマーシー・モーガンフィールドは他と比べようがないと語る。家ではギターの練習をしなかった父、そんなにレコードもかけなかった父、しかし家族がかけるポピュラー音楽に関しては確実に口を挟んでくる。マーシー・モーガンフィールドが感じているように、彼女の父はすべてステージのために守っていたのだ。
「衝撃的だったと言わざるをえないわ。あれは私が13歳だったとき、父は空港から私を迎えにやってきたの」とマーシー・モーガンフィールドは言う。「サインを求めるファンがたくさんそこに待っていて、そこで私は気付いたの。もしかすると私の父は有名なのかもしれないと。私にとって父は、常に歌手以上の存在、私にとってパパだったのよ。私が大学から帰ってくると、コンロでご飯を作っている父だったのよ。彼を歴史的人物として見たことは一度もないし、ずっと私を育ててくれたパパだったわ」。
マディ・ウォーターズがギターをかき鳴らしたとき、彼は音楽革命を起こすつもりなどなかった。しかし彼が居なかったら、エリック・クラプトンや、誰もが知っているようにマディ・ウォーターズの曲 「Rollin’ Stone」からグループの名前をつけたザ・ローリング・ストーンズは存在しただろうか? マディ・ウォーターズは、「僕が最初に知ったギター・プレイヤーはマディ・ウォーターズだ。小さいころ初めて聞いた時、心臓が止まるほどビックリしたものだ」と言った若きジミ・ヘンドリックスを含む未来のロック・スターたち全員にインスピレーションを与えたのだ。しかし当時、マディ・ウォーターズは自分の影響力に気付いていたのだろうか?
「父は一度だけこういったと思うの。“ブルースにはベイビーがいて、彼らはそれをロックン・ロールと名付けたんだ” でも彼は非常に謙虚な人間だったわ」とマーシー・モーガンフィールドは言う。「彼はロックン・ロール革命を起こしたとは思ってないと思う。もし彼が起こしたことに歴史上なっていたとしてもね。彼はブルースとの融合に夢中になって打ち込んでいたし、自分自身のことをまさにそう思っていたわ。他の人がブルースを歌えると言った時でさえ、彼は、“彼らには俺たちのヴォイスはない” とも言ってたわ」。
このジャンル最強の提唱者の一人として、マディ・ウォーターズは常に彼の同業者、ファン、そしてとりわけ子供たちにブルースの伝統を繁栄させ続けるよう哀願していた。仲間の伝説のブルース・シンガー、バディ・ガイが病気療養中のマディ・ウォーターズを訪ねてこようとしても、「ここに来るんじゃない。俺は大丈夫だ。ただブルースをしっかり守ってくれ」と伝えていた。自分の病気についてマディ・ウォーターズが一言も話さなかった間も(1983年にマディ・ウォーターズは肺癌で亡くなる)、彼は絶えず自分の娘に「マーシー、ブルースを守り続けてくれ」と伝え続けていた。
「私は歌えないことを彼は知ってるわ。だから最近まで、一体何をすればいいのかわからなかったの」とマーシー・モーガンフィールドは冗談を飛ばす。「彼は “俺の音楽を守ってくれ” とは言わなかった。彼は “ブルースを守ってくれ” と言ったのよ。だからブルースを音楽シーンの最先端に残すことが彼にとっては重要なことだったの。彼の音楽よりも重要だった。彼はこのジャンルが廃れるのを見たくなかったのよ」。
マディ・ウォーターズ財団の主な目標のひとつは、学校で子供たちにブルースを紹介することだ。「それは現在の音楽ではないかもしれない。しかし現在の音楽はブルースから生まれたのよ」とマーシー・モーガンフィールドは説明する。「それと音楽を理解するために、子供たちにとってマディ・ウォーターズ、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、ケブ・モの音に触れることも重要なの。すべての基礎なんだから」。
ブルースにはニックネームが尽きることがない。 “Blind(やみくもな)”、“Slim(薄っぺらな)”、“Screaming(絶叫の)”、“Howlin(大声でほえる)” そしてもちろん “Muddy(泥だらけの)”。だが、マディ・ウォーターズのニックネームは彼がステージに上がるよりずっと以前につけられていた。
「彼の祖母がつけたあだ名として始まったのよ」とマーシー・モーガンフィールドは言う。「おそらく彼の肌の色から名付けられたのか、もしくは彼が泥んこの中で遊んでいたからでしょう。7、8歳ぐらいのころからマディと呼ばれていたのよ。彼が学校に行くようになると、友達が “ウォーターズ” と付け足すようになったの。私はミシシッピ出身だから、みんなニックネームを持っているわ。それこそ “Dawn(夜明け)” という名前だったら “June bug(コガネムシ)” というあだ名がつけられたりするわけよ」。
ささいな欠点と言えば、マディ・ウォーターズはワイルドなロックン・ロールのライフスタイルの道を進まなかった。「Champagne & Reefer(シャンパン & マリファナ)」という曲を彼は書いたりはしたが、実生活では、シャンパンだけをたしなんでいた。
「彼は全く気難しい人ではなかったけど、パパが気を抜きたい時に必要とするものがひとつだけあったわ。それはシャンパンよ」とマーシー・モーガンフィールドは言う。「彼はマリファナに手を出さなかった。楽しんでいたのはシャンパンのみ。一度だけ吸ったとき、ステージの上でスツールが動いていると思ったそうよ。それから二度と吸うことはなかったの」。
裏口から会場に入れと言われたことを許せずにいたことから、マディ・ウォーターズは長年の間、自分の故郷の州であるミシシッピでの演奏を行っていなかった。しかしマーシー・モーガンフィールドがミシシッピの大学へと通うようになり、マディ・ウォーターズは彼女のためにミシシッピ州のグリーンビルにてコンサートを行った。モーガンフィールド曰く、コンサート会場が契約上で指定されたシャンパンを用意し損ねたとき、マディ・ウォーターズは他のものは飲まなかったそうだ。
「彼らは買い出しに行き、マディにアスティ・スプマンテ(イタリアのスパークリングワイン) を持ってきたの。でも、マディは彼のシャンパンが来るまでステージに上がらなかった。だから私はこう言わなければいけなかったのよ。“まともなシャンパンを持ってこなければダメよ。コーベルが見つかるまで戻ってきちゃダメ” って」。その後、マディ・ウォーターズの病気が進行した際、彼女の継母マーヴァが家中のシャンパンを隠すわよと言い、マーシー・モーガンフィールドはワインセラーにこっそり忍び込み、彼の大好きなシャンパンを彼のために取ってくるようになった。
彼女の父親が多くの作品と共に残したキャリアと、彼の音楽をどうやって毎日新しい観客に発見させ続けるのかをマーシー・モーガンフィールドが思案しているにも関わらず、彼女はこの言葉を私たちに残した。
「マディ・ウォーターズのベストなところはアルバムで見つけられるものではないわ。マディ・ウォーターズのベストなところは、一人の男だったこと」。
Written By Laura Stavropoulos
2枚組CDのマディ・ウォーターズのコレクション『Can’t Be Satisfied: The Very Best Of』
注釈付きのブックレット、チェスの倉庫から見つかった未公開写真も収録。
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