ジミー・リード:珍しいブルースのヒーロー音楽人生
ジミー・リードの成功はアメリカのルーツ・ミュージックの中でも魅力的な話だ。彼の曲を一瞬聴くと、気の抜けたヴォーカルと甲高いハーモニカのソロは、メインストリームの趣向ではないサウンドのように思える。しかし、50年代から60年代前半の約10年にわたり、ジミー・リードの「Honest I Do」や「Baby What You Want Me to Do」は全米R&Bチャートでもポップ・チャートでもランク入りし、時にはトップ40にもランクインしていた。ティナ・ターナー、ザ・ローリング・ストーンズ、グレイトフル・デッド、エタ・ジェイムス、ニール・ヤング、ザ・ライチャス・ブラザーズなど、様々なアーティストにより数え切れないほどのカヴァーがされてきている。BMIによると「Baby What You Want Me to Do」だけでも30以上ものカヴァー曲が登録されており、エルヴィス・プレスリーは数少ないジミー・リードが書き下ろしていないヒット曲の「Big Boss Man」を1968年のテレビの復活スペシャルで歌っている。
著者はアリゾナ州フェニックスの2大ラジオ局(KRUXとKRIZ)のトップ40で60年代初期に初めてジミー・リードを聴いた。ブルースを聴くのも初めてで、その音楽の原点や歴史など知らなかったが、若干12歳という年齢でも彼のサウンドのシンプルさと正直さに心惹かれた。どうやら他の人もそうだったようだ。初めてジミー・リードのアルバムを買ったのは8トラックのテープであり、それ以降ずっと聴いている。
本名マティス(またはマッチャー)・ジェイムス・リードは1925年にミシシッピー州リーランドで生まれ、ギタリストとしてより成熟していた友人のエディ・テイラーにギターの手ほどきを受けた(彼はのちのジミー・リードのキャリアのほとんどで伴奏することになる)。1945年にアメリカ海軍から除隊され、多くの南アフリカ系アメリカ人を追ってシカゴにたどり着き、最初はウィスコンシン・スチール・ワークスやヴァリー・モールド・アイアン・カンパニーなどの製鉄業で働き、次にアーマー・パッキング・カンパニーで肉を捌く仕事をした。シカゴでジミー・リードは音楽に真剣に取り組むようになり、ギターとハーモニカを同時に演奏するというアイディアでハンガーからハーモニカ・ホルダーを作った。
チェス・レコードのオーディションを受けたが合格せず、次にあたったのがヴィヴィアン・カーターで、彼女はDJでレコード店のオーナーであり、夫のジミー・ブラッケンと二人の名前の頭文字のVとJをとったことがレーベル名の由来であるヴィー・ジェイ・レーベルを立ち上げたばかりだった。少しでも大きな会社であればヒット確実と思い、最初に彼のファースト・レコード「High And Lonesome」をチャンス・レーベルにライセンシングしたが、大した成果は挙げられなかった。しかし、1953年にリリースしたヴィー・ジェイでの3枚目のシングル「You Don’t Have to Go」は全米R&Bチャートで5位を記録し、ここからジミー・リードのレコーディングのキャリアは飛躍していく。
ジミー・リードのサウンドはキャリアを通して少ししか変化していないが、それは成功する方式が出来上がっていたからだ。エルモア・ジェイムスやマディ・ウォーターズなど、多くの偉大なブルースのアーティスト同様、その優しい性格の力と’lump-de-lump’のリズム、高音のハーモニカは消えることのない印象を刻み込みでジミー・リードだと疑いようのないサウンドを作り出していた。また、シカゴのユニヴァーサル・レコーディング社で伝説的エンジニアのビル・パットナムと一緒にレコーディングできたことも彼にとって得策だった。ビル・パットナムはリヴァーブやエコーをジミー・リードのレコードで有効に活用し、そのドラムのサウンド、特にアール・フィリップスのスネアは現在聴いても息をのむほど見事だ。
しかしそのどれもジミー・リードの成功の直接的要因の説明にはならない、なぜなら成功の理由の中心に楽曲があるからだ。ジミー・リードと妻のメアリー・‘ママ’・リードによって制作された楽曲は全て愛や人生について語ったものであり、どれもいつまでも心に残る歌詞のフックがあるのだ。多くのブルースの曲はマッチョな佇まいを基本としているが、ジミー・リードにはそれが皆無と言っていいほどなく、「Little Rain」などの曲は詩の領域に踏み込んでおり、すべての言葉が完璧に、そして効果的に置かれているのだ。多くの楽曲は、二人の間に自然と生まれた会話で発したフレーズを中心にしており、その発した言葉に気がつくセンスとそれをメモしていったことが見事だった。ジミー・リードがレコーディングする時は、メアリーが隣に座って一緒に書いた言葉のコーチングをしていた。彼らの作品の数々に、ライバルがいるとしたらパーシー・メイフィールド、ウィリー・ディクソンやドク・ポーマスしかいないだろう。ジミー・リードとメアリーは珍しい才能の持ち主だった。
しかしながらジミー・リードの人生は一筋縄では行かなかった。てんかん性の発作にさいなまれ、きちんとした治療を受けることもなく、さらにアルコール依存性でもあった。その2つの病はおそらく互いに悪影響を及ぼしたのではないかと考えられる。彼のパフォーマンスを見た人たちの中では、彼は考えの甘いフォーク・アーティストで、ステージに酔っ払ってヨタヨタしていた印象を持っているかもしれない。しかし、ジミー・リードの簡潔な存在の裏には、鋭い音楽的知性がある。ヴィー・ジェイでブルースのカヴァー曲を収録したアルバムをリリースした際、明らかに曲を覚えて練習しており、その歌詞や変化をすべて抑えながらも、完璧にジミー・リードのものにしていった。自分の人生をまともに変えようとしていたのも見て取れた。70年代半ばには多くの場合シラフで、自身のキャリアの新たな段階に踏み出す準備ができていた(特にオースティンのアントーン・クラブで)。しかし、1976年8月29日のライヴ後に大発作を起こし、この世を去ったのだ。
新しいCD3枚組のジミー・リードのコレクション『Mr Luck: The Complete Vee Jay Singles』はクラフト・レコーディングよりリリースされたが、著者にとっては夢が叶った気持ちだ。ヴィー・ジェイのカタログを入手できた時、すぐにジミー・リードにふさわしい作品にしたいと強く願ったし、それが実現できたのではないかと思っている。シカゴの倉庫の隠し壁の後ろでヴィー・ジェイのマスターが発見された時、クラフト・レコーディングのシグ・シグワースとメーソン・ウィリアムスは宝を当てたも同然で、この多くのリールは第一世代のマスターで、ビル・パットマンとジミー・リードの会話までもが収録されていたのだ。新しいセットでは、その会話の一部も聞くことができる。このコレクションの楽曲はいくつかを除いて最高の音源から収録されており、ポール・ブレイクモアのマスタリングを経て、これ以上ないサウンドに仕上がっている。
是非ジミー・リードを一度聴いてみることを、またはずっとファンだったとするならば、新しく聴き直してみることをお勧めする。真のアメリカのオリジネーターが生み出した見事な作品がここにはある。
Written by Scott Billington
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ジミー・リード『Mr. Luck: The Complete Vee-Jay Singles』