映画『ボヘミアン・ラプソディ』字幕監修者の憂鬱と喜び by 増田勇一

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世界中はもちろんのこと、ここ日本でも2019年3月25日現在で興行収入125億円を記録し、2018年公開全映画の中で1位、そして日本の歴代映画興行収入では18位となったクイーンを描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』。この映画の字幕監修を担当した音楽評論家の増田勇一さんに、字幕監修について寄稿いただきました。


 

本年度のアカデミー賞最多となる4部門での栄冠に輝いた『ボヘミアン・ラプソディ』。その快進撃はいまだに止まるところを知らず、興行収益記録の更新を続けている。実のところ「120億を超えた!」などと言われても、あまりにもその数字自体が現実離れしていてピンとこないところがあるのだが、この日本国内だけですでに、のべ900万人近い人たちが劇場に足を運んでいるという事実にはリアルな驚きが伴う。もちろんリピーターが多いこともヒットの要因のひとつではあるわけだが。

筆者はこの映画に、字幕監修者として関わらせていただいた。音楽及び出版業界内での仕事歴は35年ほどになるが、こうした仕事に携わらせていただくのは初めてのことだった。正直に言うと、お話しを頂戴した当初はお断りするつもりでいた。クイーンの音楽にかれこれ45年ほど親しみ続けてきた僕には、このバンドのファンとしての自覚も、それなりに知識も持っているつもりだという自負もあったが、ネイティヴのような英語の使い手でもないし、あまりにも責任が重すぎると感じたからだ。

もちろん字幕監修の仕事が、翻訳作業そのものではなく、細かい事実関係やニュアンスの確認といったことを主とするものだということは理解しているつもりだった。が、自分でも音楽系の映画を観ていて「その字幕、ちょっとおかしいんじゃないの?」と思わされることが少なからずある僕としては、自分自身がそうした声の集中放火を浴びることになるのではないかと恐れていたのだ。実際、雑誌編集者時代にもクイーン・ファンからの重箱の隅をつつくような苦情めいた指摘をときおり受けてきたが、SNS時代ともいうべき現在とあっては、起こり得る炎上の程度も当時とは比較にならない。だから正直、怖かったのだ。

しかし結果的にこの仕事を引き受けることにしたのは、単純に言えばあまりにも映画が素晴らしかったからだ。最初は20世紀フォックス映画の社内試写で、字幕のない状態のものを観させてもらった。すべてを完全に聞き取れたとまでは言わないが、物語自体の流れは原語のままでも充分に理解できたし、ときどき「ん? その時代にその曲を使うのはちょっと設定的におかしいんじゃないの?」といった疑問をおぼえる箇所もいくつかありはしたが、それ以上に、細かいところにまで神経の行き届いた作品自体のあり方に感銘を受け、あちこちの場面で涙が勝手に溢れてきてしまった。同じ試写室内にいたのは20世紀フォックスの方ばかり。泣いたことがバレないようにしなければ、と思っていたら、まわりの方々もみんな目のまわりを赤くしていた。

それからしばらくすると、翻訳家の風間綾平さんによる初期段階の字幕が届いた。20世紀フォックスの担当者や他数名の関係者とともに、映像と字幕の書面、さまざまな資料を照らし合わせながら、言葉のひとつひとつをチェックしていく作業が始まった。それまで知らずにいたのだが、字幕には〈この場面は何秒で切り替わるから、字幕は何字まで〉という、実にきっちりとした規定があるのだった。だから、たとえば序盤に出てくるスマイルのライヴ終演後のシーン。ティム・スタッフェルから、「ハンピー・ボング」という別のバンドに鞍替えする意向を告げられた時のロジャー・テイラーの発言は、僕としては「裏切るのかよ」ぐらいにしたかったのだが、字数の都合で「脱退かよ」となった。6文字でも4文字でも同じようなものじゃないか、という気もするが、そういうわけにいかないのがルールというものなのだ。

また、日常会話のなかで“脱退”などという言葉を使うことはほぼ皆無であるだけに、そこでの言葉選びについても僕は抵抗をおぼえた。が、そこで会社側から出たのは“脱退”という意味の明白な言葉を用いたほうが、物語の流れを理解しやすくなるのではないか、ということ。つまり字幕というものには、音声として聞こえてくる言葉の意味に対する訳文としての忠実さよりも、“聞こえてくる外国語の意味を時差なく理解するためのヒント”であることを求められることがあるのだ。

他にも、音楽的な専門用語をどの程度そのまま残すべきか、といった点も議論の対象となった。たとえば“オーヴァーダブ”という言葉はどの程度一般層にまで認知されているのか? 字幕上は“多重録音”として、可能であればルビを振るという形がいちばんわかりやすいのではないか、といった話も出た。

風間綾平さんからは、その字幕チェックの機会に先駆けて「歌詞の訳文が、日本盤CDに付いているものと同じでなくても良いだろうか?」といった確認もあった。長年、歌詞カードとその対訳を読み慣れてきたファンは、それと異なった訳文が出てくると違和感をおぼえるのではないか、という配慮からだった。そのこまやかな心遣いに感激しつつも、僕は「むしろそれに合わせることはせず、その場面の流れから感じられる意味合いに合わせるべきだと思う」と回答した。楽曲のタイトルに邦題が付いている場合なども同じだ。たとえばフレディ・マーキュリーとジョン・ディーコンの加入お披露目となるライヴのシーンで、フレディはイントロに乗って“Keep Yourself Alive”と口にする。それに対応する字幕は“キープ・ユアセルフ・アライヴ”であり、“炎のロックンロール”ではない。タイトルコールであると同時に、その言葉自体が観衆への呼びかけのように聞こえるからだ。

 

そうした言葉選びや文字数調整、言い回しの変更といったことが、僕の主な作業だった。ただ、最初の難関は、台詞以前に、メンバー個々の主語をどう設定するか、ということだった。結果的にはブライアンとジョンは“僕”、ロジャーとフレディは“俺”にした。ブライアンとジョンはキャラクター的に“俺”とは言いそうにないから、そこに迷いはなかった。ただ、同じ“俺”でも、ロジャーのそれは男っぽくてやんちゃな感じのするもの、フレディのそれは、強がっているような匂い、男っぽく振る舞おうとしているかのようなニュアンスが伴うもの、という解釈をした。もっと言うと、フレディの場合は発言内容やシチュエーションによって主語が変わるのではないかとも思えたし、「ヒステリーの女王は俺の役だ」といった台詞は「ヒステリーの女王はあたしだけで充分」くらいにしたかった気もする。が、同一人物の発言内での複数の主語混在は混乱を招きかねないということで、それは却下となった。

僕自身はそれ以降、試写の機会にも劇場でもこの映画を繰り返し観てきたが、そのたびに「ああ、ここはこうしたほうが良かったかも」というのが出てきている。ただ、自分ではそんなふうに反省材料にばかりが目につくというのに、いまだに字幕に関するお叱りの言葉をまったく受けていないということは、この映画をわかりやすいものとして広く届けていくうえで、少しはお役に立てたのではないかと感じている。

感激したのは、昨年、映画公開に合わせて俳優たちが来日した際、ブライアンを演じたグウィリム・リーに「ミュージック・ライフ誌をやっていた人に字幕を手掛けてもらえたなんて、とても光栄だ」と、ブライアンそっくりの声と口調で言葉をかけてもらえたこと。かつて同誌の新米編集長だった頃、ブライアン自身にも「お会いできて光栄に思う。前任の編集長には大変良くしていただいた」などと言われたことがある筆者は、その際に感じた「勿体ない! 僕みたいな者に対してそこまで言ってくださらなくて結構です」といった気持ちが蘇ってくるかのような想いだった。

(C) 2018 Twentieth Century Fox

また、先頃、20世紀フォックス映画の主催による、この映画の大ヒット祝賀会が都内某所で開催され、光栄にもその場にお招きいただいたのだが、同社のジェシー・リー代表による挨拶のなかで、日本語字幕の大切さについての言及があった。「字幕は、日本側が唯一、クリエイティヴ面に関与することができる領域」というその言葉に、改めて自分が携わらせていただいた仕事の重みを実感させられた。少々大袈裟かもしれないが、字幕をどれくらいわかりやすく作るかというのは、その映画をどれくらい広くアピールしていくつもりなのかという姿勢の表れとも解釈できるわけだ。そして『ボヘミアン・ラプソディ』は誰も想像し得なかった規模のヒットを記録し、広く愛されている。そこに微力ながら関与させていただけたことを、僕自身もとても光栄に感じている。

Written By 増田勇一



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