ジェームス・ブラウン『Live At The Apollo』のハイライトとなった「Lost Someone」
ソウルの帝王としての伝説を築く上で重要だったジェームス・ブラウンの活動初期、彼のヒット・メイカーとしてのキャリアは何かと断続的だった。1956年の23歳の誕生日の直前に、今では名作となり、グラミー殿堂入りを受賞した「Please, Please, Please」で早くも見事なチャート・デビューを果たしていた。しかし、R&Bスターにとって、クロスオーヴァーすることが非常に厳しい当時においては、全米ポップ・チャートのトップ100入りを達成することはできなかった。
1958年に「Try Me」がR&Bチャート1位を記録した時、ポップ・チャートではトップ40目前で記録が途絶えた。そして、1963年のバラード「Prisoner Of Love」を発表するまで、ジェームス・ブラウンはポップ・チャートのトップ20に割り込むことすらなかった。しかし、1961年12月18日、ジェームス・ブラウンは偉大なソウル・パフォーマーへと進化する過程の中でさらに一歩前進し、スローなバラード「Lost Someone」がR&Bチャート・デビューを果たしたのだ。
ジェームス・ブラウンは、長年のコラボレーターであるボビー・バードと、彼のグループであるフェイマス・フレームスのもう1人のメンバー、 ‘ベビー・ロイド’・ストールワースとともに楽曲を共作。セクシーなホーン、レス・ビュイーのギター、ボビー・バードのオルガンとJBの情熱的なリード・ヴォーカルに満ちた曲は、同年の2月にキング・スタジオでレコーディングされた。
「Lost Someone」は、高く称賛されるジェームス・ブラウンのライヴ・パフォーマンスのハイライトとなり、彼の真骨頂を築くことになった1963年のアルバム『Live At The Apollo』でも中心的な役割を果たしている。キング・レコードからのシングルとしては、R&Bトップ20入りした「Just You And Me, Darling」に続いたが、それは1961年に「Bewildered」、「I Don’t Mind」そして「Baby, You’re Right」と、半年以内に3曲のソウル・トップ10入りのメジャー・ヒットを輩出した後のことだった。
ニュー・シングルに対する当時の彼のファンの期待をわかりやすく数字で伝えると、「Lost Someone」はその週で最高い順位にエントリーした新曲であり、R&Bチャートでは20位を記録し、レイ・チャールズの「Unchain My Heart」より4ランク上だった。同じ日にポップ・チャートである全米シングル・チャートにもやっとの96位でエントリーしたものの、最高48位にとどまった。しかし、「Lost Someone」は再びR&Bで大ヒットとなり、新年には2位を達成、その後もジェームス・ブラウンは見事な上昇を続けるのだった。
Written by Paul Sexton
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ジェームス・ブラウン『Live at the Apollo』