ジェームス・ブラウンとクリスマス。プレゼントを配り続けた男の『A Soulful Christmas』
ジェームス・ブラウンにとって、クリスマスはエモーショナルな時期だった。1990年代初期、ソウル・レジェンドは“ザ・ジェームス・ブラウン・トイ・ギヴアウェイ”をスタートさせ、貧しい人々のためにサンタの役を引き受けた。“ゴッド・ファーザー・オブ・ソウル”として知られる彼を記念して後にジョージア州オーガスタに建てられた彼の銅像から程近いインペリアル・シアターでは、毎年12月に、ジェームス・ブラウンのクリスマス会が開催され、そこで彼は何百ものプレゼントを贈っては子供達を喜ばせている。
「俺は自分が貧しくて、クリスマスの日におもちゃを全然持っていなかった頃のことを思い出すんだ。だから子供達にはプレゼントを楽しんでもらって、学校で良い成績を取って、そして夢を追いかけて欲しいんだよ」と、ジェームス・ブラウンは1992年にひとりの男の子にバスケットボールを手渡した後に、そう話し掛けていたと地元紙が報じている。ジェームス・ブラウン・ファミリー財団は、2006年のクリスマスの日に訪れた彼の死から12年経つ現在も、彼が始めたチャリティー活動を続けている。
<関連記事>
・『Live At The Apollo』解説:ハーレムで炸裂した粗削りなソウル・ダイナマイト
・『Live At The Apollo』のハイライトとなった「Lost Someone」
ジェームス・ブラウンの熱狂的なダンスと、華麗なファンキー・ビートと、真情が溢れたは、音楽の風景を変えた。彼はエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーと共に、初めてロックの殿堂入りを果たしたアーティストのひとりだった。リトル・リチャードはジェームス・ブラウンについてこう語っている。
「彼は革新者であり、解放者であり、創始者だった。ラップ・ミュージックはジェームス・ブラウンが始めたものだ」
“ジェームス・ブラウンのソウルフルなクリスマス曲”
「Papa’s Got A Brand New Bag」「It’s A Man’s Man’s Man’s World」「I Got You (I Feel Good)」「Cold Sweat」「Get Up (I Feel Like Being A) Sex Machine」「Hot Pants」等々、卓越したソウルとR&Bヒットを残したジェームス・ブラウンは、重要な社会的ソングもリリースしている。
最も著名な作品のひとつが、2018年8月にリリース50周年を迎えた「Say It Loud – I’m Black And I’m Proud, Pts 1 & 2」だ。驚くことに、この政治的アンセムが初めて発表されたのは、1968年の祝祭アルバム『A Soulful Christmas』でだった。その後ジェームス・ブラウンはこの曲を、次のLPのタイトル・トラックとして再リリースした。
ジェームス・ブラウンは『A Soulful Christmas』の前後、1966年に『James Brown Sings Christmas Songs』、1970年に『Hey America』の計3枚のクリスマス・アルバムをリリースしているが、2010年には、これら3作品からの全37曲を2CDに収録したジェームス・ブラウン・クリスマス・コンピレーション『The Complete James Brown Christmas』が、ユニヴァーサル ミュージックのHIP-O SELECTから初リリースされ、デジタル化されたものが入手可能となった。
インストゥルメンタル・ナンバー「Believers Shall Enjoy (Non-Believers Shall Suffer)」は、寛容の精神を表現したものとは程遠い感じではあるが、彼がこのワクワクした祝祭気分を愛していたのは確かで、それは豪勢な黒人サンタクロース像をニューヨーク州クイーンズの自宅の庭に発注するほどだった。
そして「Santa Claus Go Straight To The Ghetto」「Christmas Is Love」、そして「Let’s Make Christmas Mean Something This Year, Parts 1 & 2」と、独自のファンキーなクリスマス・サウンドを次々に発表した。またクリスマス・シングルの「Tit For Tat (Ain’t No Taking Back)」は、1968年にビルボード・トップ100シングル・チャートで86位を記録した(ジェームス・ブラウンのクリスマス・シングルで唯一のチャート・イン楽曲)。
その後もジェームス・ブラウンは2度にわたるメル・トーメの名作「The Christmas Song」のレコーディングに加えて、祝いのスタンダード・ナンバー「Merry Christmas Baby」と「Please Come Home for Christmas」のレコーディングも行った。そんな中、「白も黒も、青も緑も/会ったことのない男も/さあみんな集まろう」と歌うシングル「Hey America」が1971年にイギリスでマイナー・ヒットを記録している。
“クリスマス当日の死”
サウス・カロライナ州出身の貧しい男の子で、若い時には刑務所で服役しながらも、最終的には世界的に有名になり、自家用ジェット機を所有するまでになったジェームス・ブラウンは、73歳で亡くなるその3日前、インペリアル・シアターへ戻り、子供たちにプレゼントを配っていた。翌日、彼はアトランタのエモリー・クロフォード・ロング・ホスピタルに入院し、そこでクリスマス・イヴを過ごした後、12月25日の午前1時45分に、肺炎によるうっ血性心不全で亡くなった。1955年からの友人だったアメリカ公民権運動のリーダー、ジェシー・ジャクソン牧師はこう述べている。
「クリスマス当日に亡くなるという、劇的で詩的な瞬間でした。彼はクリスマスに世界中のニュースを賑わせた。彼にとってこれ以上の報いはなかったでしょう」
Written by
- ジェームス・ブラウン アーティスト・ページ
- ジェームス・ブラウン『Live At The Apollo』のハイライト
- ジェームス・ブラウン『It’s A Man’s Man’s Man’s World』
- すべての宗教や人種の観衆の心を動かしたジェームス・ブラウン
- JBがポップチャートで成功する布石となった「Out Of Sight」
- ソウルミュージック関連記事
ジェームス・ブラウン『A Soulful Christmas』
iTunes / Apple Music / Spotify