元高校教師の“ターンテーブル・ヒットメイカー”、クリフォード・T・ワードを偲んで

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1970年代、イギリスからは多くのシンガー・ソングライターが登場したが、彼らの繊細で鋭敏な作品はその真価を十分に認められず、華々しい成功を収めることがなかった。そうした中に、元教師のシンガー・ソングライターがいた。彼がヒット・チャートに登場していたのはごくわずかのあいだでしかなかった。しかしながらそのアーティストの歌を聴いた人たちの心には、忘れがたい印象が残っていた。その歌手の名はクリフォード・T・ワード。彼は2001年12月18日に57歳の若さで亡くなっている。

クリフォード・T・ワードが残した楽曲の中で、一般に最も広く知られているのは、チャーミングなバラード「Gaye」だろう。これは1973年に全英チャートでトップ10ヒットとなった。ワードは続いて「Scullery」もトップ40に送り込んでいる。彼は当時、いわゆる“ターンテーブル・ヒット” と言われた”レコードは売れなかったもののラジオでは頻繁にオン・エアされた楽曲”をいくつも残している。また一連のアルバムも洗練された内容になっていた。

ワードは、バーミンガムから南西25マイルのところにあるストアポート=オン=セヴァーンで1944年に生まれた。1960年代には地元のバンドで活動し、それから彼は教師として働き、英国名門私立高校ブロンズグローヴ高校に勤務していた。その当時の教え子の中にはのちにスティングと結婚する女優のトルーディ・スタイラーや、アンダーワールドの創設メンバー、カール・ハイドがいた。

一方で、ワードは曲作りを続け、1972年にはダンデライオン・レーベルと契約を交わしている。このダンデライオン・レーベルは、BBCの有名なDJ、ジョン・ピールが創設したレコード・レーベルだった。ワードはこのレーベルからアルバム『Singer Songwriter』を発表する。『Singer Songwriter』は大きなヒットにはならなかったが、これがきっかけでカリスマ・レーベルとの契約が結ばれる。

このカリスマ時代にワードは前述のシングルをチャート入りさせ、『Home Thoughts』(1973年) や『Mantle Pieces』(1974年)いったアルバムが評論家から高く評価された。この2枚のアルバムはどちらもチャートでささやかなヒットを記録している。その後に出たシングル「Wherewithal」「Jigsaw Girl」「No More Rock ‘n’ Roll」はラジオでは人気があったものの、売り上げはさほど伸びなかった。ワードは生まれつき内気な人物で、ライヴ活動にもあまり乗り気ではなかった。こうした傾向が彼のレコードの売り上げに響いたのだろう。

ワードは1980年代に入ってもレコードを作り続けたが、1987年に多発性硬化症と診断される。彼のファンだったエルトン・ジョンやスティングが治療費を集め、ワードは長年に渡って闘病生活を続けた。デモやアウトテイクを集めた最後のアルバム『Julia And Other New Stories』は1995年に発表されている。学校時代に出会った妻のパットに見守られながら、彼は肺炎で亡くなった。

1975年のアルバム『Escalator』については、ジョン・トブラーは、ジグザグ誌に以下のようなレコード評を寄せている。「クリフォード・T・ワードは、とてもはっきりとした才能の持ち主だ。本誌の読者なら、ぜひ彼の作品をレコード・コレクションに加えたほうがいい。彼の歌は本物の感動に満ちている。誠実な男が歌を通して何かを伝えようとしている。そんな作品なのである」。

Written By Paul Sexton



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