数々のアーティストがカバーした後に再評価されたハウリン・ウルフの「Spoonful」
1960年、シカゴに本社を構えるチェス・レコードがリリースしたシングルは、同社の全カタログの中で最も強い影響力を持ち、多数のカヴァー・ヴァージョンを輩出する曲となった。その曲は 「Spoonful」、歌っていたのは身長約187.5cm、体重約136kgの堂々たる体躯を誇るシンガーだった。更に特徴的だったのは彼の歌声で、恐らく地獄の火山が噴火したらこんな音がするのではないだろうかと思われるような、陰鬱だが轟きの如き咆哮だった。1910年に生まれ、1976年に亡くなった彼に洗礼名として授けられたのはチェスター・バーネットだったが、ミシシッピ州ホワイト・ステーション生まれのこのシンガーは、自らをハウリン・ウルフと名乗った。彼の名前もサウンドも、一度聴いたら容易に忘れられるものではなかった。
ハウリン・ウルフにとっては名刺代わりの「Smokestack Lightnin’」ほど有名ではなかったが、それでも 「Spoonful」はハウリン・ウルフの、恐ろしいほどのカリスマ性と原始的エネルギーが見事に切り取られたパフォーマンスにより、大いに意義深いレコードだった。突き詰めて言えば、フレディ・ロビンソンが奏でる刺激的なギターとオーティス・スパンの荒っぽいジャズ・ピアノで味付けが施された、めくるめくようなワンコードのヴァンプ(訳注:何度も繰り返される導入的な短い楽節)の旋律による、実にシンプルな構成の曲である。ズキンズキンと脈打つようなグルーヴに乗せて、ハウリン・ウルフが切々と語るのは、人を殺人や狂気にすら駆り立てる力を秘めた、欲望という救い難い耽溺だ。その絶大な力と激しさを誇示し、耳にした多くのリスナーに間違いなく拭い去ることのない印象を刻み付けた一枚のレコードである。とりわけこの一行は強烈だ。
“One spoon of love from my 45 will save you from another man
俺の45口径からのひと匙分の愛があれば、お前を他の男に取られたりはしないのに
多くの人々は、ひと匙だけではとても満足できなかった。この曲はあっと言う間にブルースのスタンダードとなり、クリームからエタ・ジェイムス、更にはクロノス・カルテットに至るまで、ありとあらゆるアーティストたちにカヴァーされてきたのである。
「Spoonful」を書いたのは、名うてのソングライター兼プロデューサーで、第二次大戦後のシカゴでエレクトリック・ブルースの軌道を築き上げた最重要人物、ウィリー・ディクソン(1915-92)だった。自らの名義でアーティストとして多くのレコードを出しているウィリー・ディクソンはグラミー賞受賞歴があり、ブルース名誉の殿堂入りも果たしているが、人々の記憶に最も残っているのは、50年代から60年代初期にかけて、チェス・レコード所属の大物アーティストたちによってレコーディングされた、数々のブルースの名曲の作者としてだろう。彼の生み出した傑作と言えば、 「Hoochie Coochie Man」(マディ・ウォーターズ)、「You Can’t Judge A Book By The Cover」(ボ・ディドリー)、「My Babe」(リトル・ウォルター)、「The Red Rooster」(ハウリン・ウルフ)、「Wang Dang Doodle」(ココ・テイラー)、「Bring It On Home」(サニー・ボーイ・ウィリアムソンII世) 、そして「I Just Want To Make Love To You」(エタ・ジェイムス)と、枚挙のいとまがない。
中毒症状を題材にした曲は「Spoonful」より前にもなかったわけではなく、実際この曲はブルース黎明期の偉人チャーリー・パットンによる1929年のレコード 「A Spoonful Blues」の後継とみられていて、更にこの曲はその4年前にリリースされたパパ・チャーリー・ジャクソンの 「All I Want Is A Spoonful」に影響されたナンバーでもある。ただしウィリー・ディクソンの曲においては、「Spoonful」は実のところセックスのメタファーであり、ハウリン・ウルフがこの曲をライヴで演奏する際、わざわざステージでマスターベーションの動作をしていた(大きな木製のスプーンで股間をこすっていたそうだ)という事実も、この話と符合していると思われる。
しかしながら、それ以外のアーティストたちの殆どがこの曲を、ドラッグやアルコールといった依存性物質に対する飽くなき欲求を歌ったものと考えているようだ――とりわけハウリン・ウルフの歌う
“Men lie about that spoonful/Some cry about that spoonful/Some die about a spoonful/Everybody fight about that spoonful
人はそのひと匙のために嘘を吐き/そのひと匙のために泣き/そのひと匙のために命を落とす者もいる/誰もがそのひと匙欲しさに争う
というくだりは依存症について語っていると解釈されている。だがウィリー・ディクソンは、自分の書いた曲は麻薬の常用を歌ったものではないと頑として否定していた。「‘Spoonful’をヘロインの歌だと思ってる奴らは、大抵ヘロインのことしか考えてない奴らだ」と自伝『I Am The Blues』の中で書いている。
ハウリン・ウルフの歌った 「Spoonful」は1960年にリリースされた当時にはチャート・インしなかったが、ウィリー・ディクソンの名曲はエタ・ジェイムスとハーヴェイ・フークアがエタ&ハーヴェイ名義で出したデュエットで、全米R&Bチャートのトップ20ヒットとなった。二人のヴァージョンにはハウリン・ウルフのそれに近い迫力があるものの、ホーンをフィーチュアし、新たにブリッジ・セクションが付け加えられた上にキー・チェンジも盛り込まれたよりソフトで洗練された仕立てになっていて、オリジナルの本能的な激しさは感じさせない。
60年代初期はザ・ローリング・ストーンズやアニマルズ、ヤードバーズに代表されるブリティッシュ・ビート・グループが登場してきた時代で、彼らはいずれもハウリン・ウルフのようなアメリカのブルース・ミュージシャンに絶大なる影響を受けていた。ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズに加わる前にはヤードバーズでギターを弾いていたエリック・クラプトンが最初にレコーディングしたのは、パワーハウスという名の短命に終わったスタジオ・グループで、フロントマンを務めていたのは元マンフレッド・マンのシンガー、ポール・ジョーンズだった。このセッションにはベーシストのジャック・ブルースも参加しており、その1年後の1966年、彼はクラプトンと共にパワー・トリオ、クリームを結成する。いみじくも、クリームはデビューLP『Fresh Cream』で「Spoonful」をレコーディングしていた。ジャック・ブルースの熱のこもったリード・ヴォーカルとやかましいハーモニカにリードされ、彼らはハウリン・ウルフのヴァージョンの粗削りな激しさを見事に体現しており、エリック・クラプトンのギラギラとしたギター・ラインが激しい興奮をきっちりまとめ上げている。また彼らの1968年のLP『Wheels Of Fire』には、17分間に及ぶこの曲の壮大なライヴ・ヴァージョンが収められている。
クリームの名声も手伝って、「Spoonful」は次々と他の60年代半ばのグループたちのアンテナにも引っかかるようになる。短命に終わったニューヨークのバンド、ブルース・プロジェクトが1966年のライヴ・アルバム『Live At The Cafe Au Go Go』に収録する一方、よりマニア向けなところでは、同じ年にアメリカのザ・シャドウズ・オブ・ナイトが、同曲をガレージ・バンド的なタッチでカヴァーしている。両者よりもう少し名の知れたブルース・ルーツを持つアメリカのバンド、キャンド・ヒートも、同じ年にこのウィリー・ディクソンの楽曲に彼らなりのひねりを加えて披露していたが、レコーディングされたヴァージョンが世に出るのには1970年のアルバム『Vintage』を待たなければならなかった。
60年代の白人ブルース・バンドの台頭が、ハウリン・ウルフの名前をより幅広い層に知らしめることとなった。この新たに得た名声を確実にモノにすべく、彼は1968年に「Spoonful」を再レコーディングすることにした。これはチェスのレーベル仲間であるマディ・ウォーターズとボ・ディドリーとの愉快なブルース・サミット、ザ・スーパー・スーパー・ブルース・バンドとしての活動の一環で、3人が入れ替わり立ち代わりこの曲のヴァースを歌うという趣向だった。オリジナルほどのテンションはなく、説得力にも欠けるものの、単純に楽しめるヴァージョンであることは間違いない。
1970年、ウィリー・ディクソンはようやくこの曲の自らのヴァージョン(ハウリン・ウルフのオリジナルに忠実ながら、ギターとピアノによる長いソロをフィーチュアした)をレコーディングし、彼の自伝と同じタイトルを冠したLPに収めた。その1年後、英国のクライマックス・ブルース・バンドが豊かな想像力を発揮し、それは官能的な 「Spoonful」をアルバム『Tightly-Knit』のためにレコーディングした。70年代に生まれたもうひとつ特筆すべきブルース系のカヴァーとしては、イリノイの女性ブルース・シンガー、ココ・テイラーを挙げておこう。
ジャック・ブルースは1988年、ギタリストのレスリー・ウェストと組んで、レスリー・ウェストのアルバム『Theme』で再度この曲のレコーディングに挑んだ。更に1994年、かつてのクリームの盟友であるドラマー、ジンジャー・ベイカーと再合流した自らの2枚組アルバム『Cities Of The Heart』でジャック・ブルースは「Spoonful」の9分間に及ぶヴァージョンを披露している。
もう少し近いところでも、ジョージ・ソログッド&ザ・デストロイヤーズ(2011年に出たアルバム『2120 South Michigan Avenue』収録)やブルース・ロック界に新たに降臨した神、ジョー・ボナマッサの2015年のライヴ・アルバム『Muddy Wolf At Red Rocks』で「Spoonful」のカヴァーをレコーディングしている。御年57歳を数えても、愛を断ち切り難い中毒と表現したこの曲のパワフルなテーマが、今もミュージシャンとリスナーの両方に共感を呼び続けていると言う事実の何よりの証明だ。
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♪ハウリン・ウルフによる「Spoonful」のオリジナル・ヴァージョンをはじめ、ロックン・ロールの礎となった数多くのウィリー・ディクソンの曲をフィーチャーした、プレイリスト『Blues For Beginners』をフォロー:Spotify
By Charles Waring
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