ザ・ビートルズ”The White Album”の制作秘話と9つの楽曲エピソード
我々が俗に『White Album』と呼んでいる作品の正式名称は『The Beatles』である。だが1968年11月22日のリリース当時から、同作は『White Album』という、いわゆる“通称”で呼ばれてきた。作品のインパクトが強すぎるあまり、ザ・ビートルズによるこの9作目のアルバムは世界初の2枚組アルバムと誤解されることもあるが実際には2年前に発表されていたボブ・ディランの『Blonde on Blonde』が世界初である。
ではバンドとしては世界初の2枚組かというと、そういうわけでもない。ディランによる同作リリースの数か月後の1966年6月27日にフランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インヴェンションが2枚組デビュー・アルバム『Freak Out!』を発表している。それでもなお『The Beatles』はリリースから50年が経った今でも(賛否両論はあるものの)称賛を集め続けているのである。
新作を待ちわびるザ・ビートルズ・ファンにとって1960年代後半は永遠のように感じたことだろう。1967年6月の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のリリースから『The Beatles』までは、約17か月も正式なスタジオ・アルバムがなかった(その間イギリスでは2枚組EP『Magical Mystery Tour』が発表されている。イギリスでは1967年12月8日に6曲入りでリリースされたが、アメリカでは数曲のシングルが追加された11曲入りのLPとして発売されビルボード・チャート1位となっている)。
『The Beatles』の収録曲のほとんどはインドのリシケーシュで1968年2月から4月の間に書かれたものだ。メンバーはその期間をマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのアシュラム(道場)で過ごし、トランセンデンタル・メディテーション(超越瞑想)を学んでいた。それからイギリスに戻りしばしの休暇を取ると、5月の終わりから10月中旬まで新作のレコーディングを行っている。通常通り、制作のほとんどがアビー・ロード・スタジオで行われたが、彼らは同作で初めてトライデント・スタジオの8トラック・レコーダーを使用している。
そうしてようやく同作が店頭に並ぶと、辛抱強く心待ちにしていた新作を地元のレコード店で手に入れたファンが失望を抱くことはなかった。A面のオープニングを飾る「Back in the U.S.S.R.」はチャック・ベリーの影響を受けリシケーシュで書かれた1曲だ。同じくマハリシのもとで学んでいたビーチ・ボーイズのマイク・ラブはこう話している。「朝食の席に、ポール・マッカートニーがアコースティック・ギターを持って現れて「Back in the U.S.S.R.」を聴かせてくれたんだ。僕は『ロシア人の女の子のことを付け加えた方がいいね』と伝えたよ」。
その完璧ともいえるポップ・ナンバーから継ぎ目なく続くのはジョン・レノンの「Dear Prudence」だ。こうした曲間の流れは『The Beatles』のあちこちに見られる。同曲の題材となったのは女優ミア・ファローの妹プルーデンス・ファローで、ふたりもリシケーシュで彼らと過ごしていた。この曲はポップというよりロック・ソングに近いもので、アルバムの核にある陰と陽の概念をうまく表している。
『The Beatles』では30曲中25曲が“レノン&マッカートニー作”としてクレジットされているが、それぞれはソロで書いたものだ。それでもポールによれば「Birthday」だけは共同作業で書かれているようだ。また、ザ・ビートルズの楽曲ではリード・シンガーがその曲の作曲者となるのが通常だが、このアルバムでは作曲者がソロで制作の大半をこなしていることが多い。バンド4人で演奏していることはほとんどないのだ。
そんな中、ジョージ・ハリスンも同作で4曲を書いている。最もよく知られているのは激情的な「While My Guitar Gently Weeps」だろう。同曲ではリード・ギターをエリック・クラプトンが弾いているが、クレジットはされていなかった。そのほかにもジョージは「Long, Long, Long」などでソングライターとしての技量を十分に見せている。さらにリンゴ・スターにも初となるソロでの自作曲「Don’t Pass Me By」がある。同曲は彼がグループに加わる1962年8月以前に作っていた曲だ。このような制作過程を考えれば、それぞれが個別に楽曲を書いたことでアルバムの音楽性にまとまりがなくなっているという批評家の見解ももっともだと言える。だが一方で、それこそが同作の醍醐味だと断言する者も数多くいるのだ。
ガーディアン紙のトニー・パーマーは当時こう評している。「レノンとマッカートニーがシューベルト以来最高の作曲家だということにまだ懐疑的な人がいるとしても、このアルバムはそうした上流気取りな態度や上から目線の偏見を、洪水のように溢れ出す愉快なサウンドの数々で洗い流してくれよう」。サンデー・タイムズのデレク・ジュエルは他方でこう綴っている。「『Sgt. Pepper’s』以来最高のポップ・アルバムだ。美しさ、恐怖、驚き、混沌、秩序、そのすべてが音楽的に表現されている。これが今のザ・ビートルズの姿だ。この世代によって、この世代のために生み出された作品だ」。
リリース当時、同作の白地のジャケットは革新的だった。イギリスのポップ・アーティスト、リチャード・ハミルトンがポール・マッカートニーとの協同でデザインしたこのアート・ワークは、『Sgt. Pepper’s』のサイケデリックなジャケットとは真逆のコンセプトである。バンド名がエンボス加工され、一枚一枚にシリアル・ナンバーが振られたが、大量生産をする上でレコード・レーベルはコストの問題を抱えることになった。また、コレクターたちが番号の早い盤を争奪することは目に見えていた。2008年、ナンバー“0000005”の盤が海外オークションサイトのeBayにて19,201ポンド(約285万円)で取引され、7年後の2015年にリンゴが所有していた“0000001”の盤はオークションで790,000ドル(約8,865万円)の値を付けた。
その後『The Beatles』は“ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベスト・アルバム500”で10位となった。そこでも、他の名作に比べ過大評価なのではないかと言う人がいる。だが、ビートルズとして凡作だとしても他のアーティストの傑作より優れているのは当然なのだ。
アルバムを1曲ずつ分析するにはかなりのスペースが必要だろう。だがそれをやったライターも多くおり、長文にわたってこの傑作について詳しい解説をしている。ここではそれをしない代わりに、『The Beatles』を新たな視点で聴くことのできる面白いエピソードをいくつか綴っておきたい。
①「Julia」はレノンの母について書かれた曲だ。ザ・ビートルズの作品中、彼が他のメンバーのバッキングなしで歌ったのはこの曲だけである。
②「Rocky Raccoon」はジョン、ポール、そしてドノヴァンはリシケーシュで行ったジャム・セッションから生まれた。
③「Everybody’s Got Something to Hide Except Me and My Monkey」はザ・ビートルズ史上最も長いタイトルの曲になった。そのフレーズはマハリシの言葉から取られているが、そこに作曲したジョンが「and My Monkey」を足したものだ。
④「Savoy Truffle」の題名は菓子製造会社のマッキントッシュズが出した“グッド・ニュース”というチョコレートの詰め合わせに入っていたチョコの名前から取られた。ちなみにそのチョコはエリック・クラプトンのお気に入りだった。
⑤ カルト教団の教祖、チャールズ・マンソンは信奉者たちに「Helter Skelter」はザ・ビートルズが世界の最終戦争を暗に予言したものだと話していた。実際はイギリスの遊具の名前であることをマンソンは知らなかったようだ。
⑥「Mother Nature’s Son」は、リシケーシュでのマハリシによる講義のとある回を題材に書かれた。ジョンの未発表曲「Child of Nature」も同じ講義にヒントを得て書かれたが、同曲は歌詞を変えて「Jealous Guy」として後に発表された。
⑦ ジョンとポールは「Revolution 1」がシングル向きでないと考えていた。そこで、オリジナル・ヴァージョン制作から数か月後にレコーディングをし直している。
⑧ クラプトンは「While My Guitar Gently Weep」で使ったギブソン・レス・ポールをジョージに贈り、ジョージはそれをルーシーと名付けた。
⑨「Cry Baby Cry」と「Revolution 9」の間には、ポールの歌う未発表曲の断片が挿入されている。「Can You Take Me Back?」として知られるこの曲は、「I Will」と同じレコーディング・セッションで制作された。
さあ、1日のどこかで1時間半の時間を取って、このアルバムを通して聴いてほしい。きっとザ・ビートルズの才能に驚くだろう。そして次のことに思いを巡らせてほしい『The Beatles』のレコーディングを始めた当時、彼らは全員27歳以下だったのだ。
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