イアン・ハンターによる功績:モット・ザ・フープルやソロでの活躍を振り返る
イアン・ハンター(Ian Hunter)は多くのミュージシャンの中でも、その道を志すのがいささか遅かった。2022年6月3日には83歳を迎えたが、音楽を始めてからの期間は68年ほどに過ぎない。
現在、ソロ・ミュージシャン兼ラント・バンド(Rant Band)のリーダーとして活動する彼は、数十年に亘って後進に影響を与え続けてきた。数年前には80歳を間近に控えながら、1974年当時のラインナップでモット・ザ・フープルを再結成。これも往年のファンたちを歓喜させた。
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彼が今日に至るまで大きな支持を集めている要因にはその卓越した曲作りもあるが、年齢を重ねてもクールな姿を保ち続けていることも大きい。彼が成功する前から第一線で活躍していたどのアーティストより高齢の80代となった現在でも、彼はかつてと変わらぬ出で立ちで歌い続けている。
ハンターはまた、ディランの影響を受けた数少ない作詞家のひとりとしても尊敬を集めており、その文才は音楽の歌詞以外にも発揮されている。そんな彼は、英シュロップシャー州オスウェストリーの生まれ。地元のバンドを転々とした後、ノーサンプトン出身のエーペックス(Apex)というバンドや、ロンドンで活動したシーナリーというグループに在籍していた。だが並行して彼は、短期間ではあるが新聞記者の仕事も経験。これが後々になって大いに役立つこととなる。1971年、彼はビート・インストゥルメンタル誌の取材にこう話している。
「学校を辞めて、シュロップシャーのウェリントン・ジャーナルで新米の新聞記者として働き始めたんだ。タイピングは出来たけど速記が出来なかったせいで、その仕事は3ヶ月ほどしか続かなかった。その後、彼女と行ったバトリンズ (のキャンプ場) でふたりの少年と知り合った。彼らはバンドをやっていて、一緒に一芸コンテストに出ないかと誘われたんだ」
「俺たちは知り合ってたった3日だったし、全部で165組くらい出場していたけど、俺たちが優勝したんだ。2週間くらい経って、ノーサンプトンにいる彼らからバンドに入って欲しいと手紙が届いた。それがエーペックスというグループで、そこからすべてが始まったようなものさ」
軌道に乗り始める活動
上記の発言の頃、ハンターはすでにモット・ザ・フープルを率いて3枚のアルバムを発表。次なる作品もリリースを控えているところだった。同グループがセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをアイランド・レコードから発表したのは、60年代が幕を降ろす直前のこと。この時期の音源は、6CDの豪華なボックス・セット『Mental Train (The Island Years 1969-71) 』に纏められている。
だがなかなかヒット・チャートでの成功には恵まれず、グループは解散の危機を迎える。そのときにデヴィッド・ボウイから、バンドの未来を一変させた1曲「All The Young Dudes (すべての若き野郎ども) 」を提供されたのは有名な話だ。
以降、レコードのセールスでもツアー活動でも成功を収めるようになる。その中で「The Golden Age of Rock ’n’ Roll (ロックンロール黄金時代) や「All The Way From Memphis (メンフィスからの道) 」、「Honaloochie Boogie」などイギリスで愛され続けるヒット・シングルも生まれた。
一方、ハンターは1974年に別の表現方法でもその文才を発揮。1972年後半に行ったモット・ザ・フープルとしてのアメリカ・ツアーを振り返った『Diary Of A Rock’n’Roll Star』を発表したのだ。この一冊は現在でも、ミュージシャンが自ら著した記録文学として最高傑作に挙げられることも多い。
今も衰えぬ輝き
イアン・ハンターは1975年に自身の名を冠した『Ian Hunter (双子座伝説) 』でソロ・デビュー。同作からはソロとして唯一の全英トップ20シングル「Once Bitten, Twice Shy (恨みつらみのロックン・ロール) 」も生まれ、以降、彼は現在まで精力的に活動を続けている。特に、直近の3枚のアルバムはラント・バンドを率いて制作したもので、2016年作『Fingers Crossed』では全英トップ40に返り咲いた。
近年ではソロ活動の合間に、再結成を果たしたモット・ザ・フープルの一員としても活動。2009年には5人のオリジナル・メンバーでの再結成が実現 (ドラムのデイル・”バフィン”・グリフィンは健康上の問題からアンコールのみの出演となり、それ以外ではマーティン・チェンバースがドラムを担当) したほか、2013年に行った短期間のツアーではロンドンのO2アリーナのステージにも立っている。
“モット・ザ・フープル ’74″と銘打たれた2019年のツアーには、ギターのアリエル・ベンダーとキーボードのモーガン・フィッシャーが参加。サポートには元ウィングスのドラマー、スティーヴ・ホリーらが加わった。このとき、彼らにとって45年ぶりのアメリカ・ツアーも行われたが、バラエティ誌は4月のシカゴ・シアター公演をこう絶賛している。
「モットの仲間たちに囲まれたハンターは堂々たる出で立ちで、誇らしげに思い切り演奏していた。約半世紀も前に解散したかつてのグループが新たな姿で蘇ったことを心から喜んでいるようであった」
「ファンへの感謝を伝えて回っている」
上記の記事を執筆したミッチ・マイヤーズはこのように締めくくっている。
「イアン・ハンターはここ何年もの間、世界中で歌を披露しながらファンへの個人的な感謝を伝えて回っている。モットのライヴでもいいし、彼の普段通りのツアーが再開したらそちらでもいい。今のうちにその目で彼のステージを見てもらいたい」
ハンターがソロとしてのツアー中に80歳の誕生日を迎えたというのは、実に彼らしいエピソードだ。ラント・バンドとともに行ったニューヨークのシティ・ワイナリーでの4夜連続公演の最終日が、その記念すべき日だったのだ。ビルボード誌の取材で、大きな節目を迎えたことについて尋ねられた彼はこう答えた。
「最高の気分さ!80ってカラッとしていて晴れやかで、素敵な響きだろう。79はどんよりした感じだったからね。50歳まで生きられると思っていなかったから、それからはずっとボーナスのような感じなんだ」
Written By Paul Sexton
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