唯一存命のフォー・トップス、アブドゥル・”デューク”・ファキールを称えて
アブドゥル・”デューク”・ファキールは、この偉大なヴォーカル・グループのオリジナル・メンバー最後の一人であり、現代版のフォー・トップスとして活動を続けているが、本人にとっては今でも時折それが不思議に思えることもあるだろう。今は亡き仲間たちとの作品を常に特徴付けてきた品性とスタイルを持続しながら活動をこなしているアブドゥル・ファキール。彼は1935年12月26日に生まれた。
デトロイト出身の彼は、高校時代からリーヴァイ・スタッブスと友人であり、2人はのちのソウルメイトとなるローレンス・ペイトンとレナルド・”オービー”・ベンソンらと1953年に初めて出会った。その日から、彼らの絆は全く壊れることなく、“all for one and one for all / 皆は一人のために、一人は皆のために”という稀なアプローチを取ることを築いたのは、個々にソロ活動を追求することではなく、4人揃うことで成し得る遥かに強いヴォーカル・カルテットという運命だった。
1964年の夏、フォー・トップスが「Baby I Need Your Loving(邦題: 恋を求めて)」で全米ポップとR&Bチャート・デビューを飾ったときには、すでに極めて重要な経験と技を身につけていた。ホーランド=ドジャー=ホーランドや他のモータウンのライターの見事な作詞作曲を読み取りながら、グループのヴォーカルによる相互作用は比類なきものであり、成功する曲を見出す本能もほぼ失敗がなかった。
彼らの全盛期と思われたかなり後には、アブドゥル・ファキールとフォー・トップスはABC/ダンヒル・レコードや、カサブランカ・レコード、RSOレコードで沢山の優れたレコーディング作品を残し、カサブランカでのヒット時代が終息する前、1980年代初頭にモータウンへと戻った。彼らは最初にローレンス・ペイトンが亡くなる1997年まで、オリジナル・メンバーの4人で44年間もライブ活動を続けた。その後レナルド・ベンソンが2005年、リーヴァイ・スタッブスが2008年に亡くなった。
この秋、定期的な全英ツアーで現在のフォー・トップスが演奏。その時、アブドゥル・デュークは英デイリー・エクスプレス紙にこう伝えた。「今日、私は可能な限りオリジナルのフォー・トップスに近い形で活動してくれるメンバーから成る素晴らしいグループと共にいます。ロニー・マクネア、ハロルド・ボンハート、ローレンスの息子であるローレンス・ペイトン・ジュニア。彼らは私たちが残したものを守る素晴らしい仕事をしてくれているんです」。
「1990年に私たちはロックの殿堂入りを果たし、1997年にはハリウッドのウォーク・オブ・フェイムに選ばれ、1999年にはヴォーカル・グループの殿堂入りをしました。しかし最も重要だったのは、2009年に受賞したグラミーの “Lifetime Achievement Award(特別功労賞)” でした。私の目には涙が浮かんでいました」。
「私には、妻がおり、2人で42年間夫婦生活を続けて住んでいる素晴らしい家があります。過去2回の結婚生活によって4人の子供に恵まれ、彼らは皆素晴らしく成長しました。私は本当に幸せに思っています」。
Written by Paul Sexton
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