あなたが”たぶん”聴いたことのない史上最高のアルバム36枚
カルト・ヒーローもいれば、一発屋もいる。それから正真正銘のビッグ・スターも。世界中で喝采を浴びるアーティストでも、内情に通じた人達に発見され評価される作品もあれば、ただ見過ごされてしまうアルバムも発表している。と言うわけで、もし新しいものを耳にしたいと思っているのなら、このリストはあなたに打って付けだ。ベックのインディ時代のリリースからビー・ジーズの見過ごされてきた逸品、それから世界初のカントリー・コンセプト・アルバム(だと我々は思っている)から、他にもより名の知れたアーティストがキャリアを築くきっかけとなった革新的なレコードまで、これまで聴いたことのないような最高のアルバムを幾つかご紹介しよう。
我々は音楽を発見する為に活動しているので、もし見逃されてきた逸品で世に知らせたいものがあれば、ご意見をぜひお聞かせください。では、未知の領域をお楽しみあれ。
1. フォー・フレッシュメン『Four Freshmen And 5 Trombones』(1955年)
その見事に現代的なアートワークの示す通りのことをやっている彼等(ミックスには小さなリズム・セクションも投入)だが、『Four Freshmen And 5 Trombones』は、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが生まれて初めて買ったアルバムである。ブライアン・ウィルソンが初期のアイディアをどこから得ていたかを知りたい人は、ぜひこの作品をチェック。50年代における最もポピュラーなアルバムのひとつだ。
2. ボビー・“ブルー”・ブランド『Two Steps From The Blues』(1961年1月)
ブルースの一歩手前でサザン・ソウルから僅かに離れた本作は、多種のブラック・ミュージック・スタイルが融合した傑作であり、リリース時にローリング・ストーン誌から五つ星を貰っているが、その後は不当にもレーダーから消えてしまい、見識のあるソウル・ファン以外の耳に触れることはなかった。
3. ザ・モンクス『Black Monk Time』(1966年5月)
ザ・モンクスは、カルト・アクトとしては非常に恵まれていた。アメリカ軍人としてドイツに駐留する彼等は、60年代ガレージ・ロックを開拓し、僧衣を纏い頭髪を剃った。これでカルト的人気を博さないわけがない。そしてその音楽は、それ以上にクレイジーだったが、『Black Monk Time』は現在でも再現不可能な直感的体験の出来る作品だ。
4. ジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガー&ザ・トリニティ『Streetnoise』(1969年)
アメリカR&B、ジャズ、そして60年代後半の初期ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックの合流点といった作品。ハモンド・オルガン主導のファンキーなインストゥルメンタルとジュリー・ドリスコールの豊かな声によるヴォーカル・パートが収録された『Streetnoise』は、つかの間ではあったが彼等の別れの台詞に相応しい。オリジナル・ナンバーをアピールしたり、ドアーズの「Light My Fire」やマイルス・デイヴィスの「All Blues」等のカヴァーに取り組んだりと、ジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガ―とその仲間達はその一瞬一瞬を自分達のものにしている。
5. ニュークリアス『Elastic Rock』(1970年3月)
その死が惜しまれるトランペッター、そしてマイルス・デイヴィスの伝記作者としても名高いイアン・カーをフロントマンに迎えたニュークリアスは、おそらくイギリスから登場した最も素晴らしいジャズ・フュージョン・バンドであり、間違いなくマイルス・デイヴィスが『In A Silent Way』等で目指していたものを理解出来る数少ない作品である(このフュージョン・デビュー作レコーディング以前に同アルバムは聴いたことがなかったとイアン・カーは主張するが)。とにかく、『Elastic Rock』は傑作であり、これによりバンドは、1970年7月モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのライヴ演奏で一等賞を手にした。
6. ブッカー・T.&ザ・MG’s『McLemore Avenue』(1970年4月)
ザ・ビートルズへの輝かしいトリビュート(特に『Abbey Road』に対して)である本作は、「Something」、「Day Tripper」、「Eleanor Rigby」等の名曲のサザン・ソウル・ヴァージョン収録、ブッカー・T.ジョーンズとその仲間達の素晴らしい楽才とザ・ビートルズ固有の作曲能力という、両バンドの長所が引き出されている。「音楽がとにかく素晴らしかったのでトリビュートしなければと強く思った」とブッカー・T.ジョーンズは言う。アルバム・カヴァーでもまた『Abbey Road』の有名なカヴァー写真に対する挨拶がわりに、スタックス・スタジオが建っていたメンフィス、イースト・マクレモア・アヴェニュー926番地の道を渡る、バンドの写真が使用されている。
7. デイヴ・メイスン『Alone Together』(1970年6月)
1968年にトラフィックを去った後、デイヴ・メイスンはアルバム『Alone Together』でソロ・キャリアをスタートさせた。キーボード・プレイヤーにレオン・ラッセル、ドラマーに元バンド仲間ジム・キャパルディを迎え、デレク&ザ・ドミノスのメンバー、そしてもちろんエリック・クラプトンがサポートしたこのアルバムは、ロック黄金時代の見落とされた逸品だ。メロディアスで高揚感溢れる本作がきっかけで、デイヴ・メイスンはこの翌年ママス&パパスのキャス・エリオットとコラボレートしている。
8. ジェイムス・ギャング『James Gang Rides Again』(1970年7月)
キーボードと新しいベーシストのデイル・ピータースを従え、ジョー・ウォルシュが舵を取るジェイムス・ギャングは、デビュー・アルバムで築いたハード・ロックを基盤に、強力なロッカー(サイド1)とよりニュアンスのあるカントリー・ロック(サイド2)から成る自信に満ちた本作を創作し、ジョー・ウォルシュ時代のジェイムス・ギャングがいかに素晴らしいグループだったことを巧みに主張している。
9. クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス『Just For Love』(1970年8月)
キャリア初期の頃はサイケデリックな即興演奏を思い切り披露していたクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスは、しばらく刑務所にいた後にグループに戻って来たマルチ・プレイヤーのディノ・ヴァレンティの影響もあり、新たな目的を持ち、よりハードなサウンドで11年目を迎えた。その結果、作品はトップ30入りを果たし、バンドの最も成功したシングル「Fresh Air」を生みだした。
10. レオン・ラッセル『Carney』(1972年6月)
サイド1でストレートなルーツ・ロック作品を、そしてサイド2でレオン・ラッセルのよりワイルドで特異なテイクを収録し、均等に分かれている『Carney』は、そのタイトル〔訳注:おだてて騙す・ごますり〕が示唆するように、時には奇々怪々、そして全体を通して人を惹きつけるアルバムであり、前座の出しものとして扱われるにはあまりにもったいない作品だ。
11. カン『Ege Bamyasi』(1972年11月)
カンと聞いて最初に紹介される作品は間違いなく『Tago Mago』だろう。しかし、それよりもエッジの効いた『Ege Bamyasi』には、70年代後半/80年代前半のニュー・ウェイヴ・ムーヴメントから飛び出すことになる、あらゆるものの種が含まれている。アルバム自体よりも更に不思議なのは、収録曲「Spoon」がドイツのサスペンス・テレビ・ドラマで使用されたお蔭で、ドイツのチャート6位を記録したことだろう。
12. スティーラーズ・ホイール『Ferguslie Park』(1974年)
彼等のセルフ・タイトル・デビュー作には「Stuck In The Middle With You」が収録されており、来たる素晴らしい日々を匂わせていた。その後ジェリー・ラファティーが去りそしてまた戻り、バンドはこれに続く作品を完成させるのに2年を費やした。しかし、それだけ待った甲斐のある内容だった為、多くの人に聴いて貰えないのが残念でならない。リーバー&ストーラーがプロデュースを担当、グループが数多くのセッション・ミュージシャンに支えられた『Ferguslie Park』は、背後の不安定さとは裏腹に、非常に自信に溢れた幅広い内容の作品だ。
13. ビー・ジーズ『Mr. Natural』(1974年6月)
バロック・ポップのビー・ジーズのファンはカルト的人気の『Odessa』への思いが強い一方で、その他多数の人にとっては、サウンドトラック『Saturday Night Fever』が最高の入門編だと感じる。しかしその間に発表されたのが衝撃的なアルバム『Mr. Natural』を忘れてはいけない。ギブ兄弟がひとつのものを作り変える才覚を発揮し、スーパー・ソウルフルなペルソナを新たに披露、この後に起こることを示唆した一枚だ。
14. ジノ・ヴァネリ『Brother To Brother』(1978年9月)
ジノ・ヴァネリは広く知られた同時代のカナダ人の陰に隠れがちだ。『Brother To Brother』はアーティストなら目指すべき感情が込められた誠実な作品なだけに、残念な話である。確かにジノ・ヴァネリは、例えばニール・ヤングやジョニ・ミッチェルよりも、よりメインストリーム・ポップ調のものに取り組んでいたが、キャリア中6枚目に当たるこのアルバムは、見落とすのは何とも恥ずべき堂々とした作品だ。
15.Underdog』(1979年6月)
この作品のことは全てタイトルが語っている。グループは世に知られていない70年代ロック・ヒーローであり、8枚目のアルバム『Underdog』が登場した1979年頃、彼等はメインストリーム・パンクとニュー・ウェイヴと争わなければならなかった。とは言え、アメリカでトップ25まで迫り、その当時はなかなか良い結果を出したが、その後音楽愛好家のレーダーから消えてしまった。レイドバックなグルーヴに取り組むクラシックス・フォーの「Spooky」のカヴァーだけでも、聴き直す価値あり。
16. ボビー・ウーマック『The Poet』(1981年11月)
ゴリラズや、デーモン・アルバーン・プロデュースの最後のアルバム等、晩年の復活期もあるが、ボビー・ウーマックといって今でも真っ先に思い出されるのは、1972年発表の映画『110番街交差点』のサウンドトラックだ。この作品は80年代に入って初のアルバムとして、よりジャズ調でよりニュアンスある作品としてプロデュースされ、そのあまりに地味な内容に、注目すべき価値があるということに多くの人はいまだ気づいていない。
17. ブロンスキ・ビート『The Age Of Consent』(1984年10月)
ブロンスキ・ビートは時代の先を少々行き過ぎていたのかも知れないが、しかし彼等は不毛の地から永遠に抜け出せず、その業績はほぼ同じことをやっていた他の有名なペット・ショップ・ボーイズなどの影に隠れてしまっているようだ。それでもブロンスキ・ビートは儚い存在などではなく、ゲイ・ライフを探求した『The Age Of Consent』は、同性愛がまだ非難されていた時代に、音楽が足を動かし頭に栄養を与えることを証明した。
18. キム・カーンズ『View From The House(邦題:情景)』(1988年7月)
10年間の大半をコンテンポラリー・アダルト・ポップの探求に費やしたキム・カーンズは、その後『View From The House』でより正直にカントリーの影響を感じられる作品に戻った。ナッシュヴィルへ移住し、再びバンドと一丸となりライヴ・レコーディングした結果、アルバムは彼女にとって初の、そして現在に至るまで唯一の、全米カントリー・チャートに爪痕を残す成果をあげた。
19. ラヴ&マネー『Strange Kind Of Love』(1988年)
目を瞑るとアメリカのヴェテラン・セッション・チームに聴こえるかも知れない。しかしラヴ&マネーは、実際にはスコットランド、グラスゴー出身だ。そして、アメリカのソウル、ファンクとブルースの恩恵を受けていた。ギタリストのリック・デリンジャー、TOTOのドラマーのジェフ・ポーカロ、スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンを仲間に引き入れたこのセカンド・アルバムは、哀愁漂う作品であり、彼等にとっては勤務時間外的な活動だったが、アップ・ビートなシングル「Halleluiah Man」を生んている。
20. ジョー・ジャクソン『Blaze Of Glory』(1989年4月)
ジョー・ジャクソン11枚目のアルバム・レコーディングというだけあり、これまでの経験を十分に発揮し、この作品のコンセプトを感情一杯に表現している。ロックン・ロール・アイコンが時の経過という現実に直面したことを表現しているのだ。デビュー・アルバムから10年、ジョー・ジャクソンは新たな10年を迎えようとしていたが、『Blaze Of Glory』において、彼はその物語の重みに押し潰されることなく絶好調だ。
21. カースティ・マッコール『Kite』(1989年5月)
カースティ・マッコールといえば多くの人がまず『Electric Landlady』に飛びつく一方、『Kite』は洞察力のあるリスナーの出発点となるはずだ。カースティ・マッコールのセカンド・アルバム、そしてヴァージンからのファースト・アルバムは、トップ20入りを果たしたザ・キンクスの「Days」のカヴァーのお陰もあり、アルバム・チャートに爪痕を残した、彼女の素晴らしい声と優れた素材が詰まった一枚だ。
22. コクトー・ツインズ『Heaven Or Las Vegas』(1990年9月)
コクトー・ツインズの作品は、理解出来るか否かのどちらかだ。そしてもし『Heaven Or Las Vegas』を手にしていなければ、ぜひ手に取ってみて欲しい。ほぼ間違いなくグループの作品中で最も理解し易い本作は、UKトップ10を突破し、多くの人に成功作と受け止められたものの、長年のレーベル4ADからの離別を示唆していた。それでもコクトー・ツインズはどこまでも“カルト”であり続けた。大部分の人はまず『Head Over Heels』や『Treasure』等の激しさに飛びつくが、皆さんはきっと『Heaven Or Las Vegas』に啓発されるだろう。
23. ザ・ビューティフル・サウス『0898 Beautiful South』(1992年3月)
『0898 Beautiful South』からの複数のシングルは、これまでの曲に比べ少々下降したものの、ザ・ビューティフル・サウスがイギリスで難題に直面することは滅多になかった。そんなグループの曲で、唯一全米オルタナティヴ・チャートのトップ10入りを果たしたのは「We Are Each Other」であり、これは故郷での成果を凌いだ。結果バンドはアメリカ本土でもっと成功しても良かったのだが、実際にはザ・ビューティフル・サウスは隠れた存在のままだった。もっと多くの人々の話題に上っても良いバンドだ。
24. XTC『Nonsuch』(1992年4月)
XTCは90年代の初リリース・アルバムで、サイケデリックに対する執着から離れることはなかったが、より発展的な、ポップ寄りのサウンドを取り入れた。それはまさにフロントマンのアンディ・パートリッジの曲作りの才能と、エルトン・ジョンの作品で知られるプロデューサー、ガス・ダッジョンの助力に負うところが大きい。ファンの思いは分かれるかも知れないが、それでも『Nonsuch』は、そのすべてがもっと世に知られるべきグループの傑作中の傑作だ。
25. ジェリーフィッシュ『Spilt Milk(邦題:こぼれたミルクに泣かないで)』(1993年)
ジェリーフィッシュのアルバムは、そのどちらも間違いなく見落とされてきた名作だが、『Bellybutton』(1990)と『Split Milk』の間に、アメリカではグランジ、イギリスではブリットポップが彼等の歩む道々に押し寄せ始めていた。ジェリーフィッシュのザ・ビートルズ的、ビーチ・ボーイズ的なパワー・ポップの輝きは、まるで歯が立たなかったが、それでも見事時の試練に耐えて後世に残っている。
26. アーサー・ラッセル『Another Thought』(1994年)
アレン・ギンズバーグとレコーディングし、ニュー・ウェイヴ・シーンに居場所を見つけ、ディスコ・シーンの中で大いに活躍した目まぐるしいほど多くの分野で知られるアーサー・ラッセルは、ニューヨーク・ダウンタウン・シーンのカルト的存在だったが、彼が亡くなった1992年頃には、殆ど世間から忘れ去られていた。それでもなお、一生を通じて多くの作品を生み続け、その死の2年後にリリースされた『Another Thought』は、当初はより広いオーディエンスに届くことはなかったが、1986年の『World Of Echo』の姉妹編のような作品だった。
27. ベック『One Foot In The Grave』(1994年6月)
「Loser」はチャートを驀進したが、人々がひとつの方向を見ている間、ベックはいつものように、反対の方向を目指した。メジャー・レーベル・デビュー作『Mellow Gold』の後に発表されたのは、ザラザラしたローファイなインディー・アルバムで、彼を突き止めるのは不可能だということを示す絶妙な作品だった。「Hollow Log」や「Girl Dreams」のような地味な曲が含まれているのはベックのマイナスになるどころか、彼のスタジオでの専門的技能は、しっかりとした曲作りに裏付けられたものだったことを証明した。
28. ボズ・スキャッグス『Some Change』(1994年9月)
70年代に数多くの作品を発表したボズ・スキャッグスだが、80年代の大部分は表舞台から離れて過ごし、アルバムを僅か2枚しかリリースしなかった。しかしながら、ニュー・レーベルのヴァージンと新たな活力により、彼はアルバム『Some Change』で仕事に戻った。その当時はファンの心を捉えるだけだったであろう同作だが、現在は誰の目から見ても70年代以降で最も優れた作品であり、輝かしいカム・バック作だ。
29. ウィーン『Chocolate And Cheese』(1994年9月)
オルタナ・ロック・ジョーカーとして片づけられることの多いウィーンは、プロとして初めてレコーディングしたアルバムで、遥かに流行の先端を行っていたことを証明した。グループはその突飛な魅力を保ちつつ、ポップからファンクまで様々なスタイルを難なく繰り返し、ハートランド・ロックに会釈。その臆面もないイカレぶりは健在だが、ギャグが彼等の優れた腕前の邪魔になることはない。
30. ザ・ジェイホークス『Tomorrow The Green Grass』(1995年2月)
ザ・ジェイホークスの4枚目のアルバムは漸く全米チャート入りを果たしたが、彼等が世間に広く知られるグループになるのは、まだまだ先のことだった。それでも『Tomorrow The Green Grass』は、オルタナ・カントリーを代表するウイスキータウンやアンクル・テュペロ等が幾度も受けたような賛辞を、同様に受ける価値がある。これはマーク・オルソンが結束を乱す直前の作品だが、ザ・ジェイホークスはこの後も輝き続けた。
31. トリーシャ・イヤウッド『Thinkin’About You』(1995年2月)
全米カントリー・チャートで3位に輝き、タイトル・トラックと「XXX’s And OOO’s (An American Girl)」の2曲の1位獲得カントリー・シングルが収録されていたにも拘らず、『Thinkin’ About You』は多くの人々の記憶から忘れ去られてしまったようだ。急成長中のオルタナ・カントリー・シーンはより“シリアスな”音楽雑誌で大きく取り上げられたが、このより真っ直ぐなナッシュヴィル産の作品はもっと聴き返されるべきものだ。
32. ロン・セクスミス『Ron Sexsmith』(1995年5月)
現在でも“ソングライターのためのソングライター”のように見られているロン・セクスミスは、セルフ・タイトル・アルバムがメジャー・レーベル・デビューだったにも拘らず、カルト的存在であり続けた。しかしインディペンデント・レーベルからリリースとなる前の2作でその技術に磨きをかけてきたロン・セクスミスは、「Secret Heart」や「Speaking with The Angel」といった曲で、エルヴィス・コステロがチャンピオンであり続けてきた理由を示している。
33. アイザック・ヘイズ『Branded』(1995年5月)
アイザック・ヘイズにとってこの25年間は、幅広いソウルを完成させた素晴らしい年月だったが、前作から7年後に最後の力を振り絞り取り組んだ『Branded』では、名作『Hot Buttered Soul』や『Black Moses』等を生んだ井戸に再び浸った。かつての作曲パートナーのデヴィッド・ポーターと、スタックス全盛期のミュージシャンを迎え入れ、更に「Hperbolicsyllabicsesquedalymistic」のヴァースには、パブリック・エネミーのチャック・Dがゲスト参加、またスティングの「Fragile」のカヴァーで現代生態系への懸念を取り上げ、アイザック・ヘイズが特許を取ったも同然のシンフォニック・ソウル・フォーマットをこの『Branded』でアップデイトした。
34. ウィリー・ネルソン『Spirit』(1996年6月)
ウィリー・ネルソンがプロデュースした地味なアルバム『Spirit』もまた、オルタナ・カントリーの波が押し寄せようとする中、気づかれずに消え去る危機に晒されている素晴らしいカントリー作品だ。しかしながら、一度聴いたら、きっと夢中になるだろう。ウィリー・ネルソンはこのアルバムで、90年代に活躍する同時代の人々の多くよりも集中力があることを示し、従ってその収録曲が全体を包括するテーマにのまれることはない。
35. セミソニック『Feeling Strangely Fine』(1998年3月)
全米11位、UK TOP25ヒットとなった最も印象的な楽曲「Closing Time」だけでは、セミソニックの魅力は目減りしてしまうだろう。なぜならそれだけでは、このセカンド・アルバムを飾るスタイルの幅広さを見落としてしまうことになるからだ。収録曲は当初出来上がった60曲から12曲に絞られたものだが、それでもなお多数のアイディアが並ぶ。
36. マーティ・ステュアート『The Pilgrim』(1999年6月)
コンセプト・アルバムはしばしプログレッシヴ・ロックにとって重要なことと受け止められてきたが、マーティ・ステュアートは『The Pilgrim』でヒット作を考え出すことを止め、代わりに実際にあった愛の三角関係に基づく意欲溢れる物語を書き上げた。この話を伝えるに当たり、エミルー・ハリス、ジョニー・キャッシュ、ジョージ・ジョーンズ等が手を貸し、マーティ・スチュアートは同プロジェクトの為に素晴らしい楽曲を作り上げた。
(*本記事およびリストは本国uDiscovermusicの翻訳記事です)
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